「あしたのまち・くらしづくり2008」掲載
<子育て支援活動部門>あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

「あんじゃねぇ」地域をつくる大人たちの子育て支援ネットワーク
長野県泰阜村 伊那谷あんじゃね自然学校
あんじゃね自然学校の開校

 あんじゃね自然学校は、2002年4月に開校しました。「あんじゃね」とは、泰阜村の方言で「案じることはない、心配ない」の意味です。
 泰阜村は、長野県南端部に位置する人口1960人余り、高齢化率は37%の過疎の山村です。森林が面積の87%を占め、点在する19の集落のうち二つは65歳以上が人口の半数を占める限界集落です。高齢化によって、持ち山の管理が十分にできないなど、遊休農地や里山の荒廃、農作物への鳥獣被害の拡大も課題となっています。
 こんな山村の現状を変え、子どもたちがのびのび遊び、お年寄りも生き生きと安心して過ごせる地域をつくりだしたい、子どももお年寄りも村の自然も、「案じることはない」と言える村にしたい・・・「あんじゃね自然学校」は、そんな願いが込められています。


村のおじいま、おばあまが先生!

 「あんじゃね自然学校」で学ぶのは、泰阜村の豊かな自然と地域の人々の知恵や技。毎回村のおじいまやおばあま(おじいさん、おばあさんの意味)が、講師となって活躍します。2002年開校以来、様々な活動が行なわれました。活動の場所は、自然学校を飛び出し泰阜の山や川、森の中です。例えば、2004年には放置されて何年もたった村有林に、子どもたちはツリーハウスや秘密基地を作りました。村の林業家の方が、村有林の木を子どもたちの目の前で切り倒し、子どもたちはその丸太で地上高さ5・3メートル、床面積6畳、窓やドア、ロフトもついた立派なツリーハウスを作り上げました。それまで植林されていた木々が密集していた森に、明るい日の光と子どもたちの元気な声が響くようになりました。
 昨年度の活動の一例です。かつては村を支えた一大産業だった養蚕も、今は村に1軒残すのみになりました。子どもたちは、唯一の養蚕農家である早野さんのお宅を訪れました。「かわいい〜。触っちゃった!」とはしゃぐ子や「おじいちゃんから聞いてたけど、お蚕様って見るの初めて! 意外と大きいね」と驚く子。えさやりのお手伝いをして「僕のあげた桑の葉っぱ、お蚕様が食べてるよ」と誇らしげな子。早野さんから「あと1週間でこの蚕は繭になるよ」と言われた子どもたちは、半信半疑1週間後に早野さんのお宅を訪れました。早野さんの予言通り繭になった蚕を見て驚くと同時に、養蚕農家の長年の経験に尊敬の心を持ったそうです。


開校まで、20年間の歩み

 泰阜村は、大型開発による負債はないものの、主要な産業は乏しく、地方交付金の依存率が50%以上、自主財源が20%に満たない厳しい財政事情です。「市町村の合併の特例に関する法律」(いわゆる合併特例法)の期限切れを前に各地で市町村合併が相次ぎましたが、泰阜村の地勢では、規模の拡大による効率化などありえないうえに、近隣のどの市町村と合併をしても周辺部となります。そのため、合併によって暮らしが豊かになるどころか、むしろ学校の統廃合や役場の支所化により過疎化が加速され、村の暮らしは一層不便になる恐れがあります。これらの理由から、泰阜村は「合併をしない」宣言をし、自立の村づくりを目指しています。
 泰阜村は、村民へのサービスをまず福祉の観点から保証し、そのうえで地域住民による「共助」の仕組みを作ることで、地域自治と住民の暮らしを守る村づくりを目指しています。「共助」の担い手として期待されるのは、従来から村にあった共同体を基盤としながら、新しく作られた住民組織です。
 あんじゃね自然学校は、村立の施設ですが、運営は開設当初からNPOのグリーンウッド自然体験教育センターが担っています。運営に関わる経費(地元講師への謝金、人件費、光熱費など)はグリーンウッドがすべて負担し、村からの支出は一切ありません。村民向けの活動では参加費がきわめて安価に設定してあり、自然学校の運営はグリーンウッドの他の事業収入や民間助成金などで賄われています。
 このような協働関係について、グリーンウッド事務局長の辻英之さんは次のように話しています。「行政の丸投げではないかと批判されることもあるが、NPOの自由度を確保するために、村とNPOが協働して考えたシステムです」
 グリーンウッド自然体験教育センターは、Iターンの若者たちが20年前に設立した自然体験教育を行なう団体です。当初グリーンウッドのスタッフたちは招かれざる「よそもの」だったそうです。「自然体験」という言葉が市民権を得ていなかった時代。都市部から移住してきた若者たちが行なう、自然・生活体験を通じて子どもたちが自然や人との豊かな関係を育む、そんな教育活動も「よそもの」による奇妙な活動として理解されにくいものでした。
 しかし、見慣れた自然の中で嬉々として活動する子どもの姿と、NPOの指導者たちの真剣な姿勢に、共感と理解を示す住民が増えていきました。やがて地域の人々は慣れない手つきで畑仕事をしている子どもたちを見かねたように手伝ったり、マナーを守らない子どもたちを村の子として真剣に叱るようになりました。子どもたちのために持山を自由に使ってよい、という人やオルガンを寄付してくれる人も出てきました。
 やがて「生きる力」が提唱され、体験活動充実の施策が全国で見られるようになります。1998年には、泰阜村でも文部省から委託を受け「子ども長期体験村事業」を実施することになりました。自然体験活動を行なってきたグリーンウッドと地域の人々が連携し、実行委員会を組織しました。地域で連携して行なう初めての自然体験活動です。
 実行委員長を務めた木下藤恒氏は、2週間のキャンプで成長した子どもたちの姿を振り返り「わしゃ、生まれ変わったら教師になりたい」と口にしました。地域の人にも感動をもたらした活動は、地元の人の手で継続して行なわれることになり、地域に「グリーンツーリズム」を始める人々が増えました。2004年には中越地震の被災児童を自然体験キャンプに招き、子どもたちの心の傷を癒しました。地域の豊かな自然を生かした新しい産業が試みられるようになったのです。
 このような活動を村も積極的に支援しました。1998年宿泊型自然体験学習の拠点として「やまびこ館」を建設、翌年には村の子どもたちの体験学習施設として「あんじゃね自然学校」の建設が始まりました。グリーンウッドが自然学校の運営を担い、民間助成金など資金を確保し、活動をコーディネートすることになりました。地域の人々が、講師となって村の自然や文化について教える役割を担うことになりました。
 2002年4月、あんじゃね自然学校が開校。20年間かけて築きあげられた協働関係が実り、地域財政の厳しい村の負担を最小限にとどめ、子どもたちを育てる「あんじゃね」な村づくりが始まった瞬間です。


地域にもたらされた変化

 あんじゃね自然学校開校から7年。当初、村の文化や知恵を伝える価値を感じていなかった住民たちはなかなか講師を引き受けようとしませんでした。しかし、子どもたちとの活動を通じて、村の魅力や自然とともにある村の文化を伝えることの意義を感じるようになりました。2005年には講師陣のデータバンクができ、2007年には自然学校の活動内容を提言する「企画運営会議」が、2008年には自然学校を支えると同時に、大人たち自身も学ぶ場として「あんじゃね支援学校」が始まりました。
 「あんじゃね支援学校」では、学校や役場職員、PTA、青年団、地域づくり団体などからメンバーが一堂に集います。会議では、親世代、祖父母世代が一緒になって、子どもたちに伝えるべきものを議論しています。
 「40〜50代くらいまでは、自然はいやな対象だった。しかし、よく周囲を見つめると、自然もそうだが、人間を形成する上で非常に大事な要素があることを感じた」という声や「蚕はいまのうちに体験させたい」「イナゴをとって食べるなどをやってほしい」との提案。同時に「親も教えることを教えていなかった」「足元の価値を子どもに伝えるのは難しい」と反省する。地域の文化や自然とともにある暮らしの意義を掘り起こし、伝えようとする地域住民の力が、組織化されました。
 7年間の活動で子どもたちの縦と横のつながりもできました。過疎化が進み19の集落が点在する泰阜村では、子どもたちが放課後に集まって遊ぶことが難しいく、時には親が子どもを友だちの家へ車で送迎することもあります。あんじゃね自然学校は、休日や放課後に、異年齢で学区を越えた子どもたちが遊ぶ貴重な場所となっています。調理やものづくりなどの活動が多いので、高学年の子が幼い子に手を添えて作業をしたり、逆にケンカしてそれを仲裁する子どもたちの姿がよく見られます。自然学校に参加していた女の子は、中学生になると「ボランティアスタッフ」として低学年の子どもたちの面倒を見ています。


成果

 あんじゃね自然学校の成果をまとめると、@子どもを育てる地元の大人たちのネットワークができた、A地域の自然環境の改善、育ちの「場」が作られた、B地元の人々が地域の良さを確認でし、豊かな自然を生かした地域産業が作られた、C子どもたちの縦と横のつながりができたことだといえるでしょう。20年間の長い助走期間を経て、豊かな自然の中で子どもたちが育つ泰阜村ならではの子育て支援ネットワークが実り始めています。