「あしたのまち・くらしづくり2010」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 主催者賞

住民自治で行こう!―住民自治による市町村合併後の地域経営の取り組み―
長野県大町市 美麻地域づくり会議
 長野県の北西部に位置する大町市は、市の西部一帯にしゅん険な北アルプス山岳を連ね、山々を映す仁科三湖や豊富な温泉にも恵まれた山岳観光都市です。美麻地区は市の北東部に位置する中山間地域にあり、冷涼な気候で栽培される蕎麦が有名で、「新行そば祭り」には全国各地から多くの人が訪れます。昭和30年代までは地名の由来となるほどの良質な麻の栽培地として全国に知られていました。しかし、石油製品の普及により麻栽培などの基幹産業が衰退した結果、人口流出による過疎化が進み、集落機能は低下しました。それを補おうと村が頑張ってきたため、いつの間にか地域は行政お任せの体質になっていました。


夜明け前

 過疎がすっかり定着して40年、平成の大合併という大きな波は美麻村にもやって来ました。隣接する大町市、八坂村との合併協議が進む中で「今の状態で合併すれば地域が消滅する」との危機感を持った住民有志が、行政(村長、議員、役場)に変わって地域を担う地域自治組織の設立を村に提案しました。
 地域自治組織設立準備委員会が発足したのは合併まで1年を切った平成17年4月のこと。村は国土交通省から3回派遣されるアドバイザー(江戸川大学の鈴木輝隆教授と北海道ニセコ町の片山健也さん)の助言を頼りに地域自治組織を設立しようと考えていました。
 6月13日、淡い期待は1回目のアドバイザー派遣で露と消えます。「皆さんが何をしたいかわからないのに、できるアドバイスはありません。村が無くなった後の地域は住民自治で担うしかないでしょう」最初のアドバイスは強烈でした。
 この日を境に、住民自治の実現に向けた会議漬けの日々が始まります。当初は、「時間の無駄」「堂々巡り」と帰ってしまう人が続出、委員長も2回ほど辞表を出しながら検討は進められました。地域への広報は、委員自らが出演・制作した広報番組をケーブルテレビで放送しました。夜毎の会議が20回を超えた12月29日、村としての業務がすべて終了した役場の会議室で、村長も出席して最後の会合が行なわれました。時計の針が午後9時をまわる頃「これからは、住民自治で行こう!」と締めくくられた会議は、新市での自治組織発足を確認すると共に、住民は地域経営という大きな役割を村から引き継ぐ事となったのです。


ズクだそうぜ!

 大町市となって4ヶ月後の平成18年5月12日、自治会、公民館、ボランティア団体、企業、老人クラブ、保育園保護者会から氏子総代などまで45の団体と個人が参加して、地域自治組織の実働部隊「美麻地域づくり会議」が「ズクだそうぜ!美麻(ズクを出すは信州の方言で、面倒なことを敢えてするといった意味)」をキャッチフレーズに活動を開始しました。とは言っても活動費は市が地域振興に用意した補助金、運営もしばらくは支所が応援する行政との協働を掲げての出発です。
 会の掲げる目的は4つ、@美麻の将来に何が必要か考えよう。A地域で困っていることはお互いに理解し解決しよう。B行政が伝えきれない地域の情報を発信しよう。C地区全体で行なう行事等の実施に協力しよう。これらを達成するにはどうすべきか? 自分たちは何をすべきか? 去年までは役場が雛形を用意してくれましたが、今年は検討委員会の議論をタタキ台としてみんなで事業を考えました。
◆其の一、自治会単位で参加する市民まつり、人数が少ないと元気も出ない。ならば地区全体で参加しよう。今では毎年100人を超える参加者で楽しむイベントとなりました。
◆其の二、広報誌を発行しよう。何を載せようか? 市の広報に載らないローカルな話題や、細かく書かれない内容を記事にしよう。字は大きくないと年寄りは見えない。発行回数は? そもそもタイトルは何にする? ゼロから話し合い『広報みあさづくり通信』を隔月で発行することとなりました。
◆其の三、地域の将来に必要なことを学ぼう。最初にお願いしたのは長野市松代町の皆さん。講演会と現地調査でまちづくりのノウハウを学ぶ企画。「自分たちで情報発信する環境が必要だよ」と印刷機の必要性を教えていただき早速導入。1回3万円だった広報誌発行費用は10分の1に節約され、必要な時に発行できるようになりました。
◆其の四、閉鎖となった村のホームページを復活させ情報発信しよう。美麻以外の人ともインターネットで交流しよう。お金をかけず自分たちで管理運営しよう。等の意見を総合して、自由に書き込みやページ作成ができるWiki(ウィキ)方式を採用したコミュニティ・サイト『美麻Wiki(http://miasa.info/)』が誕生しました。


地域課題を楽しく解決

 2年目からは、「幅広い年代に参加してもらう」、「活動を通じて地域課題を解決する」を目的に県の助成事業を活用して事業を展開。道の駅の活性化をテーマに『美麻い〜とこよっとくれフェア』を実施。会員団体の事業で道の駅で実施可能なものと連携し、立ち寄る観光客と地域の人が一緒に楽しむイベントを春、夏、秋に開催しました。秋の開催をメインイベントとして、地区公民館の文化祭と連携し、過疎や高齢化で増加する遊休荒廃地の解消、特産品の研究開発、地域の景観形成を一緒に行なう『ヒマワリ5000本プロジェクト』を実施。公民館を通じて種を各戸に10粒配布し身近な場所で花を咲かせてもらい、高さ、大きさ、種の量等のコンテストを開催、賞品も搾油したヒマワリ油です。種を使った料理レシピの募集や市内ホテルのシェフと協働してのメニュー開発や試食会も開催。気軽な参加を通じて地域の魅力を考える機会としました。


美麻の宝 発見・伝

 3年目の活動は、会員参加の地域資源発掘ワークショップから始まりました。地域の魅力を住む人の自信につなげるにはどうするか? 「地域の宝は何ですか?」の質問に出てくる答えは千差万別。北アルプスの眺望、自然、麻、人、山菜、棚田、空き家、情報等々。キーワードを結びつけた参加型ワークショップを事業化しました。
◆20年以上荒れ放題の美麻随一の景勝地にある棚田を整備し、自分の宝物をデザインしたTシャツで飾る『お宝デザインコンテスト』◆大町市に現存する公道走行可能な木炭バス「もくちゃん」を燃料から作って走らせ、森林資源の活用を考える『薪バス運行プロジェクト』◆地域に眠る宝を探し出す『美麻トレジャーハイク』◆それらを住民自らが市営ケーブルテレビやインターネットを通じて情報発信する『住民ディレクター育成事業』などを、『美麻の宝発見・伝』として実施しました。
 中でも麻は、=(イコール)大麻ということもあり、栽培が途絶えて数十年、高齢者を中心に地域の象徴と考えながらも誇らしいイメージはありませんでした。今では子どもたちも麻の歴史をほとんど知りません。麻の歴史や価値を地域の宝として再認識しようとする中、横浜市の畳職人の植田さんから「美麻の麻が講道館の柔道畳に産地指定で使われていた」という誰も知らない歴史を伝える文献が寄せられました。これが契機となり、柔道畳のルーツを探る本当の宝探しが始まりました。噂を聞いたかつての農家の方々からは正麻や麻糸製造機などが次々と提供され、ついには講道館に糸を納めていた問屋さんからも証言を得るなど、材料・機械・人の技と麻糸を作る条件が整ったからには、伝統柔道畳を復元するしかありません。地域の象徴である麻を通じて、お年寄りには地域の誇りを、子どもたちには歴史と伝統を知ってもらおうと栽培経験者を講師に小中学校で復元作業を行ないました。約半世紀の時を経た麻を小学生が紡ぎ、その糸で中学生が柔道畳を縫います。歴史に刻まれた地域の宝を次世代に引き継ぐ貴重な時間を得ることができました。


来たれ!開拓者 〜美し村(うましさと)開拓団入植プロジェクト〜

 合併から4年目、市営の滞在型市民農園の管理を美麻地域づくり会議で受託するなど、会の活動も徐々に地域に定着してきました。一方で楽観できないのが『人口減少』です。平成21年9月1日の人口は1107人、3年間で1割の減少です。独自推計によると44年後の2053年には美麻地区は無人となってしまいます。自分たちの子、孫のためにも何とかせねば!『美麻の将来に何が必要か考える』時がついに来たようです。しかし、千人を分母で考えても出るのは後ろ向きな意見ばかり。「自分たちの心の中にこそ開拓すべき未開の地がある」と気付いたとき、発想は大きく転換されました。定住人口に、交流人口(観光客等)、二地域居住人口(市民農園利用者等)、情報交流人口を加えた4つを美麻地区の人口と位置付け、交流人口増加、伝統文化継承、農村風景・農地の再生、産業振興を通じて定住人口を増加させるコミュニティ計画を策定しました。事業内容の検討では、参加者が楽しめる事業にしようと様々なアイデアが出されました。地域の交流の場として朝市を開催しては? 名前は美麻市(イチ)にしよう。でも美麻市(シ)と間違えるかも。それも笑える噂として活用しよう。などとして、人口3万人の大町市(シ)内に交流人口5万人の美麻市(イチ)設立を決定しました。明治8年の村政施行から135年目にあたる平成22年4月4日、数百人の市民が集まる中、大町市長を来賓に迎え美麻市の開市式典が行なわれました。臨時市役所の窓口では、市(イチ)民登録が行なわれ、この日、美麻の人口は5・1%も増加しました。


継続こそ力なり

 活動開始から5年、住民自治による地域づくりは実現できたのか?「変わった」「以前のまま」「一部の人がやっている」地域の意見は様々です。正直、誰もわかりません。わかったのは、立場こそ違え地域を愛する人が数多く存在するということだけです。市町村合併を契機に危機感だけで始まった地域づくり活動は、正に鉄道のポイントが切り替わった瞬間だったのでしょう。隣に並ぶ列車が、気付けば遠くにいる様に、地域のあり様も瞬時には変わるものではありません。
 必要なのは「美麻に住んで満足」と言う声が多くの人から聞かれる日まで、会の活動を次の世代に継続していくことだと考えています。これからは、人もやり方も変わっていくでしょうが、「自ら楽しむ事」を忘れない事こそ住民自治の実現に欠かせない条件と考えています。
 継続こそ力なり、私たちはこれからも地域における社交の場として活動していきます。