「あしたのまち・くらしづくり2011」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 主催者賞

協力し合えば何でも出来る
栃木県茂木町 棚田の郷かぶと
 栃木県茂木町山内甲(かぶと)集落は、町の中心地より北東部に位置し、東西は山に囲まれ、南北に細長い山間地に47戸が点在している。
 以前は山も田畑も管理が行き届き元気な山村であった。村人たちが農外収入を求めて外に出るようになった。急速に田畑の荒廃地が増え、段々畑の放棄地が増え続け活力を失っていた。
 増え続ける荒廃地に歯止めをかけ、以前のような美しい山村の原風景を再現し元気な農村を再生しようと、地区民一人ひとりに呼びかけ、話し合いの結果、全員の賛同を得た。
 目玉は棚田を復活し、都市と農村の交流拠点づくりを目標に、夢と希望を確認して全員が立ち上がったのである。時に平成17年夏のことであった。
 10年近い放棄地に繁茂した雑木や篠竹を伐採、約10日かけて段々田圃が復田された。
 地区民総出の汗の結晶が達成感の笑顔に広がった。協力し合えば何でも出来る。協同の力を認識した次第である。
 この棚田には山間の清水が湧き出る源流があった。汚染されない水で、米栽培ができる。
 これを取水口として整備を計る。さらに話し合いは進む。復活した段々田の土手に、あじさい、彼岸花を植栽。自然に生息している、あざみ、ほたる、たんぽぽ、山ぶき等自然との調和に配慮。花園の中の棚田づくりに拍車がかかる。さらに周辺のコサ刈を行なう。この年の秋、これらが実行に移され、見事に復活された。さらに討議が続く。来年(18年)耕起作業、田くろかけ、代かき、田植えを総出で行なうことを確認した。
 翌18年春、待望の田植えが昔ながらの手作業で実施。人と人の結びつきが一層親密になり、作業を通して強い絆が本物になったことを痛感した。
 田植え終了後、来年(19年)棚田オーナー創設により、都市と農村の交流について話し合いを行なった。
 6月中旬源氏蛍、7月上旬平家蛍、秋の稲穂にいなご、赤とんぼ、自然の天然の恵みを売り物に一層の自信が湧いた。
 オーナー20組を目標に設定、次のような案がまとまった。
1.会費1組3万円。
2.オーナーは春から秋まで協同作業を行なう。
3.秋収穫後棚田米30キロ持ち帰る。
4.2月オーナー募集20組。
5.4月上旬説明会。イベント餅つき大会、釜たきご飯で歓迎する。
6.4月下旬田のくろかけ。
7.5月中旬田植え。昔ながらの手作業。食事は赤飯提供。
8.6月蛍観賞。希望者は農家宿泊交流。
9.棚田の青を背にファッションショー公演会。県立宇都宮白楊高校の生徒招致。
10.じゃがいも掘り体験。
11.8月下旬草刈り、水田の除水。食事は地元の長尺竹割り手作りそうめん流し器。
12.9月中旬稲刈り、オダガケ自然乾燥。
13.10月下旬収穫祭。棚田米30キロ渡す。昼食は新米の餅つき、釜たきご飯。
14.11月紅葉ハイキング、反省会意見交換。
15.その他気付いたことは常時提案する。

 平成19年春、棚田オーナー募集、予定通り。19組が入会した。地区一丸となって目標に向かって取り組んだのが現実のものとなり満足度100パーセントである。
 年次計画の通り進行した。その中での一大イベント、青田を背に、古代、現代の洋装、カソリの着物にモンペ姿の、竹取り翁の物語。創作ファッションを演じたのは、県立宇都宮白楊高校の創作着物等服飾デザイン科のショップアップファッションショー。500人の観衆に夢と感動を与えた。このことがNHKテレビ、とちぎテレビ他各新聞に報道されて、今まで埋もれた集落が脚光を浴びた。
 また、宇都宮大学農学部の里人応援団のご協力もあり、これがキッカケで集落の放棄地は一変して元気村が再現できるまでになった。
 集落全体が美しき農村花街道も整備され、コスモス畑も誕生するまでになった。
 棚田の郷かぶと、創設され5年目を迎えたが、オーナーも32組を数え、都市と農村の体験場として元気村が進行している。
 棚田ファッションショーも今年も公演、継続的応援が心強い。
 こうした取り組みが功を奏して22年度栃木県元気農業コンクールいきいき農村部門で最高賞の大賞を受賞した。
 荒廃地が蘇って明るい素材を提供すること、地域コミュニティの大きな核になり、定着し、さらに発展してきたことは、ご支援とご協力をいただいた関係者の多大の賜であり、これに応えるため都市と農村の交流、加えて人づくりに頑張りたいと念じている。
 7年前は猪の住家だった棚田に今や全国から視察団がやって来る。大型バスがいまだ通行できない県道が障害になっているので、関係機関にお願いをしているところである。
 世の中は確かに科学、機械が進んで、人と人の人情や人間として本当の温情が失われていく中にあって、棚田の原風景を残し後世に伝え、人と人の結びによる農村の人情を広めていく場として協力し合えれば何でも出来るを指標として強く前進していく所存である。