「あしたのまち・くらしづくり2011」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

パートナーシップで管理運営する自然公園
茨城県那珂市 清水洞の上自然を守る会
那珂市五台地区の概要
 那珂市は、東京から北東100キロメートル、人口5万6000人、県庁所在都市である水戸市や日立製作所の工場群があるひたちなか市、原子力研究所が立地する東海村に隣接しています。常磐自動車道路の那珂インターチェンジ、JR水郡線、国道6号線、国道118号線及び国道349号線が南北に通過しています。
 市内には、核融合研究所、茨城県立県民の森及び植物園などが立地しています。交通の便が良く水戸市やひたちなか市の住宅地として人口が増加してきました。稲作、ごぼうやカボチャ、野菜などが特産物になっており農業は主要な産業です。また、市内には工業団地が整備されて有力な企業が進出しています。
 五台地区は、那珂市の最も南部に位置しており県庁所在都市である水戸に隣接しています。また、那珂市立五台幼稚園、私立大成幼稚園、那珂市立五台小学校、県立水戸農業高等学校、県立那珂高等学校、茨城女子短期大学が隣接して所在する学園地区となっています。

清水洞の上地区整備構想
 那珂台地からは湧水が豊富に湧き出し、北部は久慈川へ、南部は那珂川へと形成された谷津にはそれを水源とした谷津田が広がっていました。また、谷津の下流には農業用ため池が整備されて、水車小屋も昭和30年代まで存在していました。そうした谷津やため池には、多様で豊かな動植物が生息する自然がありました。
 しかし、減反政策や機械化に適しない谷津田では休耕が真っ先に始まり、また農業の担い手も少なくなり、結果荒れたままの里山と谷津田が残りました。長い間人の手の入らない、水の循環しない痩せた自然が放置されていました。
 30年ほど前から、地元の心ある方々や地権者を中心に、町に対して(旧那珂町、現那珂市)湧水群を活かした地区整備要望が出されました。町は動植物の分布や湧水等について調査し整備構想計画を作成しましたが、財源難のままお蔵入りとなっていました。
 その後、無償借地方式、買収方式など整備手法についての模索があり、整備、管理運営も含めて住民自らボランティアで行なおうという機運が盛り上がり、中心的人材も集まり始め、良好な自然環境を次世代に手渡すことを目的に、行政と役割分担をしたうえで行政と連携・協働する整備及び管理することになりました。

清水洞の上自然を守る会
 清水洞の上自然を守る会は、五台地区内の住民を中心に2011年5月現在116人の個人会員と8団体会員で構成されています。平成22年度の活動伏況は、活動日の20回の作業には、幹事や理事を中心に毎回15~30人内外、延べで389人の参加がありました。
 幹事、理事ともに地域の中心的な人材が参加し、地域への影響力は大きいと思います。市とは設立時から協働の関係で、役割を分担しながら連携して自然公園整備のために汗を流しています。また、市内で同様の団体ともネットワークを組んで、ボランティアによる自主的な地域づくりのあり方について相互に工夫を交換しています。

清水洞の上地区整備全体計画
 清水洞の上地区整備の全体計画は、市が行なうものと住民自らが行なうものに役割を分担し、協働して行なわれることになっています。住民は、作業奉仕(ボランティア)で行なう予定ですが、本来は重機を使用しなければならないような作業もあり、資金を確保することが必要で、積極的に外部資金を導入しています。
 平成22年度には第1次計画地域3.5ヘクタールのうち、市の分担する事業は2.2ヘクタール、5253本の除間伐、植栽は228本実施されました。住民が整備する部分は、①地域内3000平方メートル内外の竹林伐採処分及び下草刈り取り、②1000平方メートルの観察池整備、③地区内物置の取り壊し及び倉庫の再生利用、④東屋(四阿家)の設置、⑤周辺遊歩道・観察池周囲の間伐材利用のベンチの設置等が計画され実施されました。間伐材はチップにして遊歩道敷材料として使用され、また、一部は竹炭原料としても使用されました。また、竹は竹の子として生食用にもなりました。
 湧水下部の湿地帯の雑草を排除し観察池の整備がされましたので、ドジョウや蛙、メダカやフナなどの小魚も生息が可能となり、食物連鎖の輪が回ってくると思われます。もともと、猛禽類の営巣も確認されており、渡り鳥の渡りも含めて多様で豊かな生物の生息が可能となると思われ、そうした自然を身近に感じながら地域の誇りを次世代へ手渡すことができるものと思われます。

東屋(四阿家)の設置
 東屋(四阿家・あずまや)の建築は、会の幹事で地元の高齢者クラブ会長の野木利三郎さんが棟梁で行なわれました。80歳を超えていますが、極めてお元気で、会員を指揮し完成に導きました。野木さんは、東屋を実際には作ったことはないということでしたが、近隣の東屋を見て歩き、寸法を測り写真にとって設計をして、材料を用意しました。
 建築物は、後々まで残りますので、「恥ずかしいものは作れない」とおっしゃって頑張っていました。なるべく費用の掛からないように、また材木に新たな生命を吹き込むように、家屋を解体した時の材木をリサイクルして使用しています。公園にできた東屋は心のこもった、温かい、立派なものになりました。
 東屋の周囲の階段を作るのに、ヒノキ材を用いました。そのヒノキの木材は、間伐材をもらい受けて、運搬しました。生木ですので、大変に重量のあるものです。皮をむいて乾燥をさせて使用すると腐食に強くなります。会員のお一人が茨城県の森林ボランティアに所属しており、その方が、竹林の伐採や間伐などを皆さんに指導しました。竹林は込み合ってくると外へ外へと根を伸ばし、隣地を侵食することになります。しかし、間伐をしっかりとやって、管理すると、外へ外へとは伸びずに、竹林の中で収まるようです。良い竹の子も取れることになります。
 東屋の上棟式は、物置前に、仮に組み立てられていた東屋を一度解体し、建築場所に運び、組み立てをしました。四隅の基礎のコンクリートにつけられた印に、4本の柱が立てられて梁が渡されました。重量感がありしっかりとした屋根の姿が現れました。
 塗装業をやっている会員によると、しっかりと乾燥した木材に防腐処理をした材料は、100年持つということです。棟梁である野木さんの神事が行なわれました。四隅に清めの塩と神にささげるお酒が振る舞われ、最後に小薗井会長の音頭で、二礼二拍手一拝で、これまでとこれからの工事の安全を祈願しました。
 会長の挨拶が行なわれましたが、地域住民の全くのボランティアで建築された東屋というものは、全国でも稀な例で、誇りにして良いと挨拶をしました。ここまで良くやったと満足感があります。皆さんの笑顔が印象的でした。この清水洞の上公園に遊びに来た人々がゆったりくつろぐことができる四阿は、公園施設等には欠かせない存在です。今後は雨風にさらされるでしょうから大切に管理していきたいと思います

ホタル観察池の整備
 ホタルが飛び交いメダカが生息する環境をつくろうとする、守る会の方針を実現するために、専門家の方々にアドバイスをいただくため、4月4日の目曜日、「日本ホタルの会」の本多会長はじめ役員の方々に清水洞の上地区を見ていただきました。3月に東京の多摩動物公園で行なわれた、日本ホタルの会が行なった子どもたちに向けたホタルの講演に参加し、その際に茨城にお出でいただき清水洞の上地区を見ていただきたいという願いを聞いていただいたものです。
 先生方は、熱心に全体を見て回り、様々なアドバイスをしてくれました。また、カワニナ(先日100匹前後放流していた)が充分に生育し、数も増えていることも確認していただきました。
 7月25日には、清水洞の上地区の中心となる東木倉地区の三世代交流に、自然を守る会メンバーが参加しました。小学生がホタルの餌になる“カワニナ”を小川に放しました。最後にそうめん流しで楽しみました。東木倉地区の様々な住民組織である東会・女性の会・子供会育成会の皆様にも協力をいただきました。

清水寺の大杉
 清水洞の上地区には、水戸光圀が開いたという清水寺、町の天然記念物に指定されている大杉があります。境内の清水池には厳島神社(弁財天)の末社があります。池には、現在でもこんこんと清水が湧き出ていますが、当時はもっともっと豊かに湧き出て、落下する水の流れは「せき竜」と言われたほどだと伝えられています。
 池の周りを高さ30メートル、樹齢600年以上の巨杉が厳かに立っています。清水洞の上公園の整備は、地区公民館の建て替えにより、トイレと駐車場の整備も終わり平成23年5月18日、自然公園としてオープンしました。

協働のまちづくり
 那珂市では、市と市民が協働によりすすめるまちづくりを「協働のまちづくり」として、推進しています。市、市民、市民自治組織、市民活動団体及び事業者が、自己の果たすべき役割と責任を自覚し、また、それぞれの立場及び特性を認めたうえで、相互の信頼関係に基づき、地域の課題解決に対等の関係で連携協力して取り組むこととしています。
 行政、市民、地域で活動する団体等が、それぞれの立場や特性を互いに認めたうえで、対等の関係で、協力し合い、まちづくりに取り組むことだと説明されています。
 清水洞の上自然を守る会と那珂市が協定した「清水洞の上地区の維持管理に関する協定書」は、市内で歴史的遺跡や里山や谷津などの自然を守る活動をしている団体と行政との連携のモデルとなっており、那珂市が進める「協働のまちづくり」の先進事例となっています。