「あしたのまち・くらしづくり2013」掲載 |
あしたのまち・くらしづくり活動賞 主催者賞 |
支え合って暮らし続けられるまちづくり、アテラーノ旭の活動 |
高知県高知市 アテラーノ旭 |
1.はじめに 高知市の西部に位置する旭地域は、戦災を逃れた地域で、道幅の狭い木造建築の多い昭和の時代を思わせる町並みの残る地域です。戦後は、和紙や製糸、製材などの産業があり、個人商店の立ち並ぶ活気ある町でしたが、昭和50年頃から県外からの大手量販店の進出によって、地元産業の衰退、個人商店が減少してしまいました。そうした地域産業の変化とともに、少子高齢化、町の空洞化が進んでいった地域であります。 このような町の背景のなかで、平成16年に「お風呂難民」の問題が起きました。地域に唯一残っていた銭湯が廃業になり、利用していた多くの人たちがお風呂に入れない状態になりました。地域には、お風呂がない住宅、アパート。市営住宅にさえお風呂のない状況があり、それを黙視することはできませんでした。 そこで、地域の町内会長、民生委員、医療生協の組合員、銭湯の利用者、宅老所の施設長などのメンバーが集まり、「旭に公衆浴場を存続させる会」を立ち上げました。そして、地域にある旭文化センター(高齢者福祉施設を併用)にお風呂場が設置されていることを知り、署名を広く訴え、多くの住民の協力のもと、1か月の間に6300余りの署名を集め、市議会に請願しました。 平成18年4月より、「旭入浴サービス事業」として、高知市が始め、年180万円の予算で地域の人たちの入浴が保証されるようになりました。現在も週4日、「旭に公衆浴場を存続させる会」が委託され運営を続けています。 2.アテラーノ旭の設立に向けて 銭湯の問題をきっかけにして広がった住民運動は、「旭にお風呂ができたけんど、まだまだいっぱい問題があるでね~」というメンバーの言葉に象徴されるように、次への課題を見つめました。 地域住民同士の繋がりが希薄になりつつあり、高齢化も進み、個人商店が少なくなる町を私たちで少しでも元気にしようと集まったメンバー。 「まちを元気にする、とはどうすればいいのか」1年近くの議論を重ねた後、地域の人だれでもが立ち寄って集まる場所づくりに取り組みました。 旭のまちの古い時代は街道筋だったという元町の1軒の空き店舗を借りました。昔は家具屋だったという店は、何もないがらんどうの建物でした。 改装資金をどうしようと考え始めた時、メンバーの一人が「老後の道楽と思って、まず、自分たちで出そう。財布と相談して智恵も力も出しおうて、足らん分は募金を集めて」と始めた資金作りは、多くの住民からの支えで125万円も集まりました。改装資金のほか必要な物品も地域の人たちからの頂き物で出発しました。 名前は、土佐弁で「私たちの旭」という意味をカタカナにした言葉「アテラーノ旭」と名付けられました。 店は約16坪の広さ。そこに大・小のテーブルを置き、片側の壁や棚には趣味や特技を生かした手芸品の販売コーナー、もう片側には趣味の写真や作品を展示するミニギャラリー。入り口には、野菜菜園をしている人が持ち寄った野菜や果物を販売するコーナーもあります。 店は、日曜・祭日を除く毎日朝9時から夕方5時まで、当番のボランティアさん交替で開けました。珈琲、紅茶200円、定食500円。1日中、地域の人たちが入れ替わり、立ち寄り賑わいました。 定食を始めて、2年数カ月は交替の当番制で、地域のお料理自慢の主婦の人たちが作りました。 店はいつも賑やかで、笑い声が絶えませんでした。時には、つらい話や愚痴を聞く場にもなり、「アテラーノ旭に来たら楽しくなる」とか「ストレス解消の場」だと言ってくれる人が多くなりました。地域の交流の場となり、アテラーノ旭の場を通じて、新たな趣味のグループやイベント、勉強会、ミニコンサートも行ないました。 交流の場は、地域の人たちの能力を引き出し、エネルギーが発揮される場所にもなりました。そうした地域の人たちの力は、問題を解決する集団にも育っていきました。例えば、ある50代の男性は仕事がなく、生活不安と孤独でうつ状態でした。家族から相談を受けた私たち数名は、近くの里山で農業をしている所にお願いして、半分農作業を手伝い、半分遊山を毎週日曜日に一緒に楽しみました。メンバーは変わっても取りとめもないおしゃべりと自然の中で軽い労働を通じて、彼に笑顔が戻り、働く意欲を取り戻すことができました。彼は今、高齢者の暮らしを支える仕事に頑張っています。 3.地域の人の猫の手になろう「手だすけ事業部」を作る アテラーノ旭のお茶の間メンバーや役員会の中で課題になっていたのが「アテラーノ旭に来られる人はいいけれど、1人で暮らしながら困ったことを抱えた人はどうしているだろう」ということでした。 色々と模索している中、国の緊急雇用対策の一環で高知県の施策「あったかふれあいセンター事業」が始まることを知りました。この事業を利用して、地域の人の猫の手になろう。と「アテラーノ旭手だすけ事業部」を平成21年9月に新たに立ち上げました。 4.アテラーノ旭手だすけ事業部の体制とその活動 ・食のおたすけ班=食事の作れない人のところに昼食、夕食を届ける事業 ・やさしさのお助け班=介護保険の使えない分野の手だすけ ・困りごと相談=簡単な困りごとは私たちで、内容に応じて行政や専門家、議員に繋げる ・レクリエーション班=季節に応じた楽しい行事。いきいき百歳体操なども行なう その他、支え合いマップ作りにも取り組みました。 手だすけ事業部は、いくつかの班に分かれていて、それぞれの専門の知識、技術を必要としていますが、地域の人たちの暮らしの手だすけをするという目的に向けて連携して進めてきました。 一方、手だすけ事業部は、地域の高齢者支援センターのケアマネージャーや保健士、居宅介護事業所、病院のケースワーカー、障害者支援センター、地元の民生委員さんや町内会長さんなどとの連携を大切にしながら、高齢者、障害者などの見守りを行なってきました。 例えば、こんな相談事もありました。ある日、Sさんという80歳代の男性を連れて、Yさんという50歳代の男性がアテラーノ旭を訪ねてきました。「ここへ来たら、相談に乗ってくれるというて聞いてきたけんど…」と前置きして話した内容は、「年金を受け取っているはずなのに、おなかが減ったと言って来るし、確かに痩せたし…」という相談でした。とりあえず、その日の夕食から配食班がSさん宅にお弁当を届けることにしたが、地元の民生委員さんに聞いたりしているとSさんは一人住まい、認知症で年金を一度に使ってしまい食事ができなくなっていたのです。すぐに、支援センターに連絡し、介護保険の申請をしました。介護保険は申請してもすぐに利用はできない難点があり、その間の支援もやさしさのお助けでカバーして支援を行ないました。 食のお助け班の活動は、単に食事のための弁当を届けるというだけではありません。利用者によっては認知症であって必ず手渡しの必要があったり、寝たきりの人のところには、家の中に入ってベッドの傍に届けることや利用者が留守の時には1時間後ぐらいに電話をかけ確認をしています。 昨年、こんなことがありました。Yさん宅にいつものようにお弁当を届けに行った時、Yさんが亡くなっていました。その日はちょうど日曜日の夕方、急いで救急車を呼んだのですが、すでに亡くなって時間がたち、警察が来て、第一発見者ということで配食スタッフと私たちが立ち合いました。日曜日のため担当のケアマネージャーと連絡が取りづらく苦労しました。私たちは個人情報の問題で、家族の連絡先を知らせてもらえないケースが多いのです。これからも、こうした孤独死が増えるのではないかと危惧されます。 お弁当の中身の注文もいろいろあって大変です。軟飯にしてほしい、鯖はダメ、豚はダメとか青野菜は違うものに変えてほしい。など様々な要望があります。中身が違うお弁当を別の人に渡すと困るので、お弁当を風呂敷に包んだ上に名札を付けて届けています。 配食班は、365日お弁当を届ける作業を試行錯誤しながら取り組んできました。味も薄味で野菜を多く使ったバランスの良いお弁当だと評価を得ていますが、1個のお弁当代金が550円で、現在、昼食・夕食を合わせて1日100個前後を配達しています。利用者となるべく会話をし、利用者の健康状態などに気をつけ届けていて利用者の皆さんから喜ばれています。 やさしさのお助け班の活動の一番必要とされるのは、今まで元気だった高齢者が急に具合が悪くなった時や怪我をした時などです。多くの独居高齢者の息子さんや娘さんは県外で仕事をしていて、長期に仕事は休めないし、介護保険の申請をしていない人も多いのです。高齢者によっては介護保険の制度すら知らない人もいるのです。 さらに、親子が日常的に接する機会がない場合、親が認知症になっていても分からないし、現実を受け入れられないことがあります。そんな時、私たちのやさしさのお助け班は上手にコミュニケーションを取りながら、笑顔で理解してもらうように努力していきます。 やさしさのお助け班の日常的な仕事は、家の片づけ、大掃除、ガラス拭き、草ひき、庭木の刈入れ、電球の取り換え、時には握力の弱くなった高齢者は自分の家の戸を開けられないと電話を掛けてくるときもあります。その他、道の狭い坂道を手引き介助しながら通院の介助、見守り、話し相手など様々な内容が寄せられます。まさに、猫の手の活動です。 レクリエーション班は、楽しい季節に応じたイベントを計画して色々行なってきました。中でも、アテラーノ旭設立以来、毎年行なってきて地域を驚かせているのが節分の鬼です。普通は、「鬼は外、福は内」とやるのが世間一般ですが、「○○さんちは福は内」といって旭では鬼が地域の家を訪ね小さな福を届けるという変わった行事を6年も続けてきて、地域ではすっかり定着しました。初めは、少人数で200軒程の家をまわりました。段々と鬼の格好や金棒もレベルアップし、話題になり今年は3コースに分かれ、それぞれ赤鬼、青鬼が1200軒を訪ねて福を届けました。ちなみに小さな福とは、豆やキャンディーのほかメッセージを書いた短冊が入れられています。「街中がみんな仲良し福来る。街中がお互いさまと支え合い」などカラーでカットの入った短冊です。この日は、鬼と記念写真を撮るように待っていてくれたり、心付けをしてくださる方もいて私たちも楽しく取り組んでいます。応援に大学生たちも参加して年々広がっています。楽しい取り組みで地域との繋がりを作ることを考えた活動の一つです。 5.アテラーノ旭手だすけ事業部の今後 アテラーノ旭のお茶の間ができて6年が過ぎ、手だすけ事業部ができて3年が過ぎました。平成24年で、高知市のあったかふれあい事業は廃止され、委託金もなくなりましたが、できるだけ体制を変えずに活動を続けています。しかし運営をするうえでは、大変困難があります。働いているスタッフに労働に見合う賃金が支払えていない状況ですが、なんとかこの体制を維持するために努力しています。 また、アテラーノ旭のお茶の間に来る人たちのほとんどが、高齢者の仲間入りをしていますが、まだまだ元気です。そして、何らかの形でアテラーノ旭を支えてくれています。地域の人たちから家で使わなくなったものが届き、毎日フリーマーケットを行なっているコーナーもあり、新たな資金作りと地域の人にとっては安くて楽しい商品として喜ばれています。 スタッフもいろいろな智恵を出し、新しい商品を作ることも始めました。運営面の自己努力をしつつ、地域の高齢化の深刻な状況を行政などに広く訴えながら、一方では地域の専門の支援組織、医療機関、住民の側の組織でもある町内会連合会、社会福祉協議会、老人クラブ、趣味のグループなども含め地域の横の繋がりを深める必要性を感じています。いわゆる、地域ケア会議などを立ち上げ、高齢者を含め生活弱者への支援、見守りを各分野からの支援のできる輪を作る必要があると思います。 アテラーノ旭もこの一員として、これまでの経験を生かしながら参加したいと考えます。これからの社会、こうした住民の力を地域の中で生かす活動がより必要な時が来ると思い、今後も地域になくてはならないアテラーノ旭の活動を進めていきたいと考えています。 |