「あしたのまち・くらしづくり2013」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

地域住民一体となって進める地域活性化
宮城県柴田町 上川名地区活性化推進組合
江戸の昔から変わらぬ農村集落
 宮城県柴田町上川名地区は、柴田町の北東部に位置し、地区の北東部は山林、西部には田園地帯が広がります。江戸時代から続く歴史がある地域で、明治5年4月に上川名村、明治23年に隣接村と合併して槻木村、その後、槻木村は槻木町となり、昭和31年に槻木町と船岡町が合併して、現在の柴田町に至っています。
 地区の面積は約1.35平方キロメートル、人口166人、世帯数51戸の地区で、町の行政区では下から3番目に小さい区です。昔から戸数にあまり変化がなく50戸前後で推移してきました。
 昭和40年代後半頃までは専業農家が大部分でしたが、現在は稲作中心の第2種兼業農家がほとんどです。専業農家は2戸ですがどちらも高齢者が経営しています。
 貝塚や城跡、各講や孫授けなど歴史・風習があり、初夏にはホタルが乱舞し、水田・里山など自然環境が豊かで、新鮮な野菜や山菜にも恵まれるなど、多様な地域資源を持っています。

しかし、少子高齢化・人口減少の波が我が集落にも…
 一見昔から変わらぬ集落に見える上川名地区においても、少子高齢化や人ロ減少、農家離れが徐々に進んできて、空き家も出始めており、さらに各戸とも高齢化が進んでいます。休止になる地区の伝統行事も出始め、地区の集まりの度に、集落の行く末を案じる意見が多く出されるようになってきました。
 上川名地区は小規模の地区ですから、会合にはほとんどの家から出席があります。会合終了後の懇親会で、酒を酌み交わしながら「ただ将来を不安に思っているだけでは駄目だ」「まずは自分たちが行動を起こさなければ何も変わらない」「では皆はどんなふうに暮らしていきたいのか」など何度も本音で語り合いました。そこから出てきた方向性は、上川名地区が元気でいるためには、地区内外を問わず数多くの方に上川名に愛着を持ってもらい、末永く交流活動をしていくことが必要なのではないか、ということでした。そのためにどのような取り組みをすれば良いか、その方法を考え始めました。

「このまま何もせず年だけとりたくない…」女性たちの強い思いが農村レストラン開設へ
 地区では、平成19年度から上川名地区資源保全隊を組織し「農地・木・環境保全向上事業」に取り組み、地区の農地・水路等の資源の保全、生物多様性の保全、景観形成などの農村環境の保全のための活動を進めてきました。平成20年度、21年度に、宮城県の事業である「集落営農ステップアップ支援事業」に取り組み、その中で民俗研究家の結城登美雄氏から食を通じた地域づくりについてアドバイスを受けたところ、地区の女性たちが集落で運営する「農村レストラン」の開設に意欲を示すようになりました。
 上川名地区は、観光地でもないし、これといった特産品や工芸品があるわけではありません。郷土料理といっても、この辺りでは昔から出されている餅や地場の野菜を使った煮物などが中心です。しかし、結城氏から「普段作るもの、それで良いのです。自信をもって」という後押しと、地区の女性たちが「このまま何もせず年だけ取っていきたくない。生きがいを持って暮らしていきたい」という強い思いを持ったことで、地区で運営する農村レストランを活動の中核の一つへ据え、開設へ向けて準備を進めることとなりました。
 地域の自然・歴史・食を再生保全することを地域ぐるみで取り組み、地域の資源を活用して都市部との交流を活発に行ない、地域の活性化を図ることを目的として掲げ、平成22年7月、地区民に呼びかけ上川名地区活性化推進組合を発足させました。
 町からの協力も得られ、平成22年11月に地区集会所の調理室の飲食店営業許可を取り、試験的に弁当や仕出し料理を提供。平成23年度には、宮城県観光連盟の観光エコ活動推進事業補助金が採択され、農村レストランの開設に向け本格的に準備に取り掛かりました。平成23年11月に菓子製造業、漬物加工業、集会室を客室としての許可を取得、組合員から出資金を募りテーブルや椅子を購入し、平成24年2月に農村レストラン“縄文の幸”のオープンに至りました。地区集会所を活用し、地区で運営する農村レストランは、全国でも珍しい取り組みだと思います。店名は、人面土器で有名な上川名貝塚があることと、郷土料理を食べてもらい訪れた人も地域の人も心豊かになってほしいという願いから“縄文の幸”と名付けました。

男性陣も負けずに活動展開~郷土史編纂~
 平成23年からは、組合の中の郷土史研究部会が中心となり、上川名地区の今昔を後世に伝える取り組みとして、各家に保存されている古い写真を集め、古老への聞き取り調査、時代考証や編集会議などに1年以上の歳月をかけて作成した写真集「写真で見る上川名の移り変わり~温故知新~」を平成25年3月に300部(カラー80ページ)を発刊、地区全戸に配布し、上川名地区出身者へも頒布しました。この写真集50部を町に寄贈し、この取り組みを知ってもらうため町内の他地区へ配布していただき、また小中学校や図書館の他、町の各施設で閲覧していただいています。地区の郷土史を研究し、後世に伝えていくことは、今を生きる自分たちの務めであり、また、地区外の方との交流を進めるうえでも、自分たちの地域を知ることは必要不可欠なものと考え、今後も地域の慣習・伝統行事などの調査研究を継続していき、農村レストランと併せて組合の中心事業としていきます。

上川名活性化推進組合で取り組んでいる事業や今後取り組む事業
(1)農村レストラン“縄文の幸”運営
 地区集会所を活用し、地域に訪れた方々や交流イベント等の際に地場産品を活用した郷土料理を提供しています。組合の女性たちが中心となって運営し、予約に応じて営業するほか、仕出しも行なっています。料理の内容は、地場産品を中心に、餅料理や季節に応じた郷土料理、精進料理を提供しています。飾りっ気のない田舎料理ですが、それが好評で平成24年度には、約800名のご利用がありました。
 また、杵と臼を使った昔ながらの餅つきを行ない餅料理を提供する「モチ出前隊」を結成し、地区外のイベントなどの要請に応え餅つきを出前しています。
 農村レストランの開設に伴い、農村レストランで働く地域の女性たちの生きがいの場が新たにできるとともに、これまでは自家用に作っていた野菜を農村レストランに納入するために本格的に作り始める住民も出始め、波及効果が出てきています。
(2)郷土史の研究
 平成25年3月に写真集を発行しました。今後は、地区の文化遺産の保護と調査として、地形や戸数の移り変わり、農産物栽培や衣食住の移り変わり、講や伝統行事の由来、神社・お寺の歴史などの調査研究を行ない、定期的に調査報告書を全戸に配布し、地区ホームページに掲載していきます。
(3)里山ハイキングコースの整備
 地区内にある名所・旧跡を巡る里山ハイキングコースを設定し、案内板設置とコース整備に取り組み、地域住民の健康増進と都市部の方へ自然との触れ合いの場を提供し、自然環境保護の重要性を体感してもらっています。
(4)貝塚周辺の公園化
 小高い丘にある上川名貝塚周辺の下刈りを行ない、貝塚に建つ火の見櫓を塗装し、イベントの際にはイルミネーションを点灯しています。貝塚周辺の土地所有者からは公園化することの承諾をもらっており、今後は、史跡を保護するとともに公園化に向けて植栽を行ない、地区内外の方たちに楽しんでもらえるようにしていく予定です。
(5)交流イベントの開催
 地区内外の交流を図るため、里山ハイキングやホタル観賞会などを開催しています。
・里山ハイキクングと歴史探訪会
・ホタル鑑賞会
・用排水路に棲む生物調査と淡水魚料理試食会
・柴田町の姉妹都市北上市の黒岩地区、東日本大震災で被災した山元町磯地区と毎年交流イベント
(6)地区ホームページの開設と地域新聞の発行
 地区ホームページを開設し、地区の紹介はもとより、農村レストラン・ホタル鑑賞会・神社例祭などの各種イベント情報の提供や、農村風景などを発信し、上川名地区の豊かな自然をPRし地区外の人たちの交流を促進していきます。また、地域新聞を発行し、全戸に配布し地域づくり等について共有し“上川名地区を愛する”心を育んでいきます。
(7)産地直売所の開設
 隣地区と共同で廃校になった分校校舎を利用して、遊休地対策や高齢者の生きがい対策として野菜や山菜等を販売する産地直売所の開設に取り組みます。平成25年8月のオープンを目指し準備を進めています。

小さいながらも、生き生きとした地域を目指して
 本音で語り合うところから始まった上川名活性化組合の取り組みも3年が経過しました。組合は、地区住民が中心となって活動していますが、その趣旨に賛同される地区外の方も組合員として徐々に加入していただいており、上川名地区の応援団の輪が確実に広がってきています。上川名に愛着を持ち、関わってもらえる方を増やしていく、という組合の目標が、少しずつではありますが形になってきているのではないかと思います。
 上川名地区は、従来からの地域自治組織である「上川名区会」、農業・環境面の「上川名地区資源保全隊」、そして地区活性化に向けた取り組みを行なう「上川名地区活性化推進組合」の三本柱によって、小さいながらも地区住民が生きがいや誇りをもって住み続けたいと思える地域に、そしてさらに多くの方に上川名地区へ訪れてもらえるよう魅力ある地域にしていくため「自分たちにできることは自分たちで、できるところから」「会議は短く、懇親会は長く」をモットーに、これからも活動を続けていきます。