「あしたのまち・くらしづくり2014」掲載 |
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞 |
福島で被災した自閉症児・家族の保養・移住支援 |
山口県宇部市 福島の子どもたちとつながる宇部の会 |
1.発足までの経緯 東日本大震災の被災者支援は全国各地で行われていますが、宇部市を拠点に活動している私たちの会は「自閉症児と家族の支援」に特化しています。 会の発足は、30年来、自閉症児の支援を行ってきた前代表・木下文雄さんの呼びかけにより、6人の仲間が集まったことから始まりました。 この6人の顔ぶれは、自閉症児家族もいましたが、ほとんどが、かつてチェルノブイリの子どもたちの保養支援を行っていた仲間でした。当時の経験から、放射能が人間に与える影響、特に育ち盛りの子どもたちへの健康被害についてある一定の知識がありました。 また、山口県の震災復興支援担当が福島県となったこともあり、私たちも原発事故による放射能被害が心配される福島県の、特に自閉症児の家族を支援することを決めました。 自閉症児を抱えて避難する家族の負担は、私たちが想像する以上に大きく、環境が変わるとパニックを起こす子どもを気遣い、避難所に行くことをやめて自家用車で過したり、我慢して自宅で過す家族の話を聞きました。 そこで、私たちは「みんなで少しずつお金を出し合い、一時的にせよ、6か月ほど避難移住させよう」と決めたのです。理由は、6か月もたてば、自分たちで今後どうするか決められるだろうと思ったからです。 そのためには、もっとお金を集めなければならないし、人も不足しています。支援金を潤沢にするためにも仲間をふやす必要があるとして、それぞれが友人・知人に呼びかけ、妻が会津出身という酒屋のオーナー、そのオーナーの紹介で「すたんどあっぷ」という学生たちが中心のボランティアグループ、その他多くの市民が集まり始めました。 何回かの準備会の後、会の名前を「福島の子どもたちとつながる宇部の会」とし、2011年4月6日に総勢30人で会をスタートさせたのです。 年齢構成は、10代の若者から中高年、高齢者と幅広く、職業も不動産関係者、もと警察官、保育士、教員と多種多様。実は、このことが後に移住する家族の支援にとても役に立ちました。 2.保養プロジェクト開始 私たちは早速、福島自閉症協会を窓口に避難・移住を希望している家族を募りました。 しかし、1か月、2か月が過ぎても、なかなか応募してくる家族はいません。「移住が難しいのなら夏休みの短期間保養ならどうだろうか。最初から福島から遠い宇部に避難・移住というのは不安があるのは当然。その前に短期間、宇部の暮らしを経験してもらおう」ということで、短期間の保養で、試験的に宇部に慣れてもらおうと夏休みの保養を呼びかけることにしました。 ちょうど前代表の木下さんが仕事で上京する機会があり、その便で福島に行き、自閉症協会に直接、呼びかけたのが功を奏し、間もなく申し込みが来るようになりました。最終的には、7家族20人を招聘することになったのです。 経費も、宇部市独自でつくった市民の寄付金からなる「復興支援うべ」や赤い羽根共同募金等の助成金で目途がつき、いよいよ保養準備が始まりました。 一番の課題は、自閉症について知識のある者が限られていることでした。そこで、自閉症児に付き添うボランティア募集と並行して、自閉症についての知識を学ぶ研修を何回か入れていきました。 参加家族への事前アンケートでアレルギーの有無、自閉症児の行動の特徴などを調査するなどの準備をすすめ、参加家族が送ってくれた子どもたちの写真を見て、メンバーもご家族が宇部に来る日を指を折り待つ日々でした。 そして7月22日、第1回保養プロジェクトに参加する7家族がやってきたのです。その後、2回、3回と続き、合計4回も行うことができたのは、多くの市民と会員の協力があったからこそです。 2回目は、「障がい者との共生」をテーマに、健常児と自閉症児を対象に、健常児19人と自閉症児の6家族が参加しました。自閉症児に対する理解がすすんでいないのは大人たちだけでなく、子どもたちも同じです。 一部の健常児が自閉症児の物まねをして自閉症児をからかうことがありました。その時には、会のメンバーの1人でスタッフとして参加していた身体障がい者のOさんが、障がい者の気持ちを話し、障がいについて健常児が理解を深める機会となりました。Oさんには、手が震えたり歩行や話すことに少し困難を伴うという障がいがありますが、いつも積極的に支援をしてくれている素晴らしい仲間です。(今年度は会計を担当) 3回目は、若いお母さんと小さな子どもたちが多く、若い母親の放射能に対する不安が大きいことを知りました。 4回目は、全国でたくさんの保養プロジェクトがある中、各地で問題になっている保養する側と参加者との意識のギャップが表面化しました。安心・安全な食べ物と豊かな自然の中で、ゆっくり過ごしてもらおうとした私たちの考えと、観光地も楽しみたいという参加者の思いとの調整に苦慮しました。 3.移住支援 第1回目の保養後、早くも9月の初旬には2家族が移住を希望し、下調べで宇部にやってきました。 そのうちの一人のお母さんは「自閉症児を理解してくれ、チェルノブイリの被災者を支援した経験を持つメンバーもおり、放射能への恐怖を共有できたことが大きかった」と地元新聞の取材に答えています。それと、久保田きみ子宇部市長が「宇部にいらっしゃい。来た後のことはまかせなさい!」と言ってくれたことも大きかったようです。 2家族とも小学生がいたため、どこの小学校にするか、特別支援学校か市内の学校の特別支援学級にするのか、まずは教育委員会で説明を聞き、現場の学校を見学するのに付き添いました。 宇部市教育委員会には丁寧に対応していただき、住民票も異動せず、そのまま福島でも大丈夫という特別扱いで、10月には2家族が宇部市に避難・移住してきました。どちらも、夫を残しての母子避難です。さらに、12月には1家族が移住。合計3家族が宇部で暮らすことになりました。いずれも母子避難・移住です。 ある程度、行政からの避難支援の制度はあるものの、福島に父親を残して二重生活を強いられている家族のため、会から少しばかりの生活費支援をしています。その他にも、自家製の野菜や米を届けてくださる方、定期的に寄付をしてくださる方など、多くの市民の温かい気持ちがご家族に寄せられています。 このような経済的支援の他に、親戚・知人のいない宇部で移住家族が孤立することのないように、懇親旅行やクリスマス会、新年会を計画し、子どもたちに誕生日メッセージカードを贈るなど精神的な支援にも取り組んでいるところです。 4.福島の現状と、これからの活動 報道によると、福島県の震災関連死が直接死を超え、1660人となったそうです。同じ被災県である宮城県、岩手県に比べて、その数はダントツに多いのです。 今年5月の福島県「県民健康調査の検討委員会」の発表では、子どもの甲状腺ガン確定50人、ガンの疑い39人と、疑いを含めると89人の子どもたちに何らかの甲状腺異常が見つかっています。 私たちの会の顧問・西川浩子医師が放射線の専門家であったことから、3回目の保養から健康診査を実施しています。3回目の保養では、三分の一の子どもの甲状腺に、のう胞や結節が見つかりました。 親についても、原発避難に伴うストレスで子どもへの虐待がふえているという調査結果があります。戸外で遊べない子どもたちには肥満傾向があり、親も子も苦しんでいます。 1月27日の毎日新聞では「被災園児に問題行動、ケア必要」という見出しの記事が掲載されています。被災3県で25.9%の子が医療的ケアが必要な状況と分かり、原因として、①友人を亡くした、②家の部分崩壊、③津波の目撃、④親子分離…などが挙げられています。 支援を自閉症児・家族に特化している私たちの会は、「戸外遊び、親や兄弟の癒し・ケア」を中心に保養をすすめていくのはもちろん、自閉症への理解促進と宇部に住む移住家族への支援を続けていきたいと思っています。 5.終わりに これまでの保養によっていくつかの嬉しい成果がありました。 第1回夏の保養では、常に相手に対し攻撃的な言葉を使う子どもがいましたが、その子が福島へ帰るときに言った言葉は「僕たちにも味方がいたんだね」。この子は、現在、落ち着いた生活を送っています。 また、夏休みの学童保育を拒否していた子どもがいたのですが、保養参加後、通い出したそうです。 私たちが実施した健康診査で甲状腺異常が見つかったお母さんは、福島へ帰った後、「手術を無事終え通院中」ということで、お連れ合いから感謝と御礼のハガキが届きました。子どもたちはテレビで山口が出ると大騒ぎし、親戚のような気持ちで私たちのことを思ってくれているそうです。 大変だと思うこともたくさんありますが、このような具体的な成果が見えると私たちの励みにもなります。 これからも福島を忘れず、特に子どもたちの健康被害を最小限にとどめるために何ができるか問いかけながら、ご家族と会員の幸せな笑顔が続きますように、しっかり支援を続けていきたいと思います。
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