「あしたのまち・くらしづくり2014」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

自分たちでできることは自分たちで…自助努力
沖縄県南城市 つきしろ自治会
特定健診
 『特定健診』これまで耳にしたことが無かった言葉であるが、行政より依頼があり私は南城市健康づくり発表大会に体験談を発表することになった。その会場の控え室で初めて聞いた言葉である。行政の管理職から説明を細かく聞くことができた。その説明の10分間程の会話をかわすことで、私は健康づくり活動に係ることになる。
 生活習慣病が重症化すると延命処置を繰り返す。長年続けることで、一人で何億という高額の医療費が費やされる。しかもそれは税金で賄っている。現在の日本全体が飽食の時代、それにより生活習慣病の蔓延化に歯止めがきかない現状は、国民一人ひとりが危惧し、真摯に受け止めなければならないと思った。そこで国は『特定健診』の設定をした。国民一人ひとりが『自分で自分の健康を守る』年1回の健診を受け『自分に異常がないか、もし異常が見つかったなら早目に対処しなさい』と促しているのである。私はこの発表大会に携わったことで『人の生命・現在のすべての環境・今、豊かに生きている現状』を原点に立って考えてみるべきと思った。
 戦後私たちは、人権・権利・平等をずっと訴えてきた。結果、高齢者や弱者・擁護・さらに福祉の充実は、誠に素晴らしいと思うのである。しかし、あまりにも至れり尽くせりの現状社会は、『まだやってほしい』の意識は、これからの日本国はどうなるのかと思うのである。若い人たちに負担をかけないように『自分で自分を守る』という『自立』こそが、多くの人の幸せを願う福祉社会ではないだろうか。私はこの思いを発表大会で直に感じ、小さな地域から係わっていき国の示す特定健診の受診率を65%まで区民に訴えていきたいと決意した。

健康づくり推進部発足
 我がつきしろ自治会は、1979年4月につきしろ行政区として誕生した。当時の世帯数56世帯・人口267人、現在は世帯数454世帯(アパートを含む)、人口1140人の行政区で、平成19年度特定健診受診率12.8%、南城市70行政区で最下位から2番目に低い受診率であった。当時私は当自治会より役員依頼があり、その時自治会長に健康づくりの素案を提出し、その活動を続ける条件で役員を引き受けた経緯がある。
 そこで健康づくり推進員を募集し、70名の推進員が集まり『つきしろ健康づくり推進部』として発足した。いろんな議論をし、区民に対し健康意識を高めることが大事であると考え『健康ニュース』広報誌を毎月発行する。『自治会だより』にも同様の趣旨掲載をし、促すことや『健康づくり推進とは何か?』皆で確認し合う。
 推進員にはまず、『自分の健康を自分で守る』そのためには自分で健康づくりの実践をする。日頃の生活の中で、食生活や体重測定・血圧測定・ウォーキング・軽体操等、日々の生活体験から体調の良好さを家族・知人・友人、そして地域へ発信し裾野を広めること、そして特定健診受診率向上に啓発啓蒙に努めることを認識していただいた。
 大事なことは「我が自治区に国保者が何人いるのか?」ということだ。役所では個人情報との関係で確認ができない。ならば推進員自らの足で戸別に調査を開始した。結果、平成20年は男性136人・女性121人・計257人の国保者が判明。そこから集落の特定健診受診作戦が展開した。
 次に私は平成20年5月24日、つきしろ公民館をスタートし『一人で沖縄一周マラソン』を決行した。市の健康課の支援や県の国保連合会の協力を得て、市のタスキをかけ466.2キロ(架橋のある島を含む)を各市町村役場で特定健診受診向上をアピールしながら1週間かけて役所ヘゴールした。この体験は今後の活動のバックボーンとなった。
 健康づくり推進員の活動により、区民の意識は徐々に高まりだした。さらに、病院の先生方による毎月1回の『健康講演』。財源上、先生方にはほとんどボランティアでお願いをした。誠に感謝でいっぱいである。そして平成20年度の受診率を46.4%まで一気に上げることに成功、南城市でトップに躍り出た。その後、一気に国の示す65%にターゲットを求めたが、努力の甲斐なく平成21年度は46.6%でわずかな上昇で止まった。推進員との議論の中で今後『絆と信頼』を構築しなければ「ただ受診しろと促すだけでは向上はない」自治区は37年前に開発された寄り集まりの異文化の集落。いわば合衆国。『信頼』の街づくり推進を訴え『自分たちでできることは、自分たちでなしとげる』という自助努力が、集落で何かを動かし区民が動いて何かの目的のために行動をする。その行動を続け、少しずつ集落が変わっていくことで『信頼』の輪が広がるのではないかと確認し合った。

環境整備・美化と共同企業体
 平成22年、私は区民の要望により自治会長に就任した。1975年、(株)大京により800の区画造成がされた。35年経った今でも、まだ400の空屋敷があり、沈滞したこのつきしろの街は『霧の街・ゴーストタウン』として風評名高かった。この集落をどう展開し、新たな観点で村おこしができるか思考を重ね、現状を直に見極めることにした。
 400の空屋敷は高木が生い茂り、私はただ樹木の緑として見ていた。よく見るとそこには生活用品の捨て場になっており、不法投棄が散乱していて、それは緑ではなく環境汚染ではないかと思うようになった。そこで思いついたのが「その厄介物の空屋敷を村おこしの資源に変えることはできないか」と指向を決めたのである。環境整備を進め、建物が建立して人口を増やし、区費を納めてくれることで立派な資源として活用できると考えた。
 地権者へ「自分たちの土地は、自分たちで管理してください。もし遠隔であったり、事情があるのであれば、当自治会にわずかの管理料を納めてください」と、行政との連盟で通達したところ、管理依頼が次々とあり自治会ではボランティアグループで空屋敷整備に積極的に取りかかった。
 次に、我が集落に建物建立を実現するには、あと2段階の指向を実行しなければと考えた。1段階は、整備された空屋敷に県の緑化推進委員会の協力を得て、夏は“ひまわりミ”、秋は“コスモス”の花を咲かせる。その見事な『花の里つきしろの街』を県下にアピールした。そのかいあって寂れたこの自治区に、各地域より情報が頻繁に入るようになった。
 2段階として大事なことは、この集落の空屋敷に多くの建物が建立するには、企業体の組織を結成することである。自治会が直接係わるのではなく、企業体独自で企画運営をしていく。自治会が企業体に要望するのは『企業体と施主との契約条件には、必ず自治会員になり自治会費を納めていただくこと』ただ一つの条件のみである。
 企業体組織は、弁護士・会計事務所・設計事務所・不動産事務所・建設会社を含めて20数社で結成されている。平成25年にはモデルハウスが完成し、このつきしろにこれまでになかった現象が見えはじめた。建物がぽつりぽつりと建立されはじめたのである。嬉しいことである。区民の顔が明るい。「変わってきた」という声。区民との『信頼』がひしひしと感じるようになった。
 平成20年以降、国の示す特定健診受診率65%に必達するため、区民に訴えてきた。しかし、40%台より上昇しないという現実。そこには、はっきりと『義理人情の世界』『信頼と絆』邪心のない誠意に満ちた区民の心が嬉しかった。そして特定健診受診率も平成22年度63%、平成23年度65.5%、平成24年度63%と、受診率を上げることができた。
 『健康づくりは地域づくりから!』つきしろ自治会の健康づくりを軸とした全ての活動は区民の『信頼』に支えられている。ひるまず尽くしていきたい。

字界統合
 平成23年、自治会は1979年に行政区として発足以来、区民には大きな課題があった。自治会は健康づくりを軸として、環境整備・美化を進めることで住民との信頼を求めてきた。その大きな課題とは『字界統合』である。つきしろは三つの行政区が混在していて、煩雑な暮らしを強いられてきた。
 これまで何度か統合計画の経緯があるが、幾度か頓挫している。多くの区民の要望により実行委員会を発足し、3回のアンケート調査作業を実施した。住民説明会を開催しメリット・デメリット等、区民からの質疑を受けた。アンケート調査・区民からの質疑は、全ての回答を会報で報告し、周知作戦を徹底した。そして区民の信頼の下、行政との作業を速やかに進めることができた。
 字名については、南城市が4町村合併時に字名の上に旧町村名を置くことが協定事項であった。つきしろ区は、佐敷字佐敷・知念字志喜屋・玉城字垣花と、そのいずれかに決定することは、今後ずっとしこりが残ることを懸念する。そこを考えた時、どうしても『南城市字つきしろ』と字名を決めなければいけない。外野席から「それは無理だろう」と雑音があり行政からも「どちらかの町村名を入れてくれ」と意見があったが、実行委員会は「南城市は合併し数年が経っている。市が各地区名を削除しない限り、南城市は一つの市として合併したとはいえない」と訴え続けてきた。そのかいあって平成24年9月議会において、70の自治区でただ1自治区が『南城市字つきしろ』と議会を通過した。平成25年4月1日より行政執行がなされた。区民の悲願であった『字界統合』が成立したのである。
 平成22年自治会長就任時、異文化の合衆国に平成20年度特定健診受診率を46.4%まで上げたあの自信が行動に結びついた。人は情熱があり行動をおこす。それを続けることで良好な変化を知る。その変化で信頼が生まれ協働の街づくりに構築される。行動することは、必ず壁がある。その壁に直面することで知恵がでる。『仕事が仕事を教えてくれる』昔からの格言はその通りである。
 住民主体で協働の街づくり『自分たちで出来ることは、自分たちで成し遂げる』この自助努力の理念を忘れることなく、区民の皆さんと歩んでいきたい。