「あしたのまち・くらしづくり2015」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 内閣官房長官賞

地域を変える/子どもが変わる/未来を変える
東京都豊島区 特定非営利活動法人豊島子どもWAKUWAKUネットワーク
 豊島子どもWAKUWAKUネットワークの設立のきっかけとなったのは、2011年の夏の終わり、代表の栗林さんに、プレーパークで顔見知りだった中学3年生T君がつぶやいた言葉でした。「オレ、高校行けるか分からない・・・」夜のスーパーで夕食の弁当を買っているT君に出会ったときのことです。自称他称おせっかいおばさんこと栗林さんはその言葉を聞き逃しませんでした。
 そして9月11日から毎日、栗林家を開放した無料塾が始まったのです。しかし、慣れない勉強に行動が伴うはずもなく、まずは約束の時間に来る練習です。6時に来るはずが9時過ぎに来たり、時には迎えに行ったりという日々、それでも「よく来たね、エライ」と褒め、全てを受け入れ、信頼関係を深めることに努めました。彼の夕食はいつもの500円以内のコンビニ弁当から、栗林家での夕食になりました。「だって悪いよ」「だって迷惑でしょ」「だって」が口癖の彼に、どうか自身の自己肯定感が育つようにと全てを肯定し、時間と想いを注ぎました。
 10月下旬、T君サポーター(講師)を学生4人に依頼し、栗林さんを含め5人体制で学習支援を続けることになりました。英語、数学、社会と、それぞれの得意科目を曜日ごとに教えてもらったのです。学生サポーターは、プレーパークで一番子どもの気持ちに寄り添える学生ボランティアの青年たちです。学生サポーターも、T君を支える実感に、やりがいと希望を持って関わってくれました。
 そして12月21日、栗林さんはようやくT君のお母様に会うことが叶いました。地域の個人塾にT君を繋げるため、お母様に「東京都チャレンジ支援」という助成金を申請して、受験準備の塾代金20万円と高校受験料免除の手続きを勧めました。しかし、助成金申請には保証人が必要で、孤立している母子に保証人の当てはありません。そこで、栗林さんが保証人を引き受けました。保証人は、高校進学したら償還免除ですが、高校進学しない場合は、20万円の返済義務があります。保証人を受けたものの、正直20万円の返済となったら困ってしまいます。栗林さんから「地域の子どもを、地域で一緒に支えてほしい」と相談を受けたのです。事務局長の天野と栗林さんはさらに地域の仲間に相談しました。皆で千円のカンパを募り、1か月間でなんと、約100名のT君サポーターとカンパ11万円が集まりました。プライバシー保護と個人情報に配慮しつつ、信頼できる人から人への有機的なつながりで、T君の現状をリアルに伝えたことが、結果的に「子どもの貧困」という見えにくい問題を、地域の方に知ってもらう機会となったのです。
 ハラハラドキドキの受験サポートでしたが、この100名ものつながりはT君だけに留まらずに「全ての子どもがおとなになることにワクワクしてほしい!」という思いを込めて、豊島子どもWAKUWAKUネットワークを設立しました。
 2012年6月24日の設立記念シンポジウム「地域を変える/子どもが変わる/未来を変える」には、80名を超える地域住民が集まり、見事都立高校に合格したT君や学生サポーターとともに無料塾報告をいたしました。終わったあとの感想でT君の「今まで生きてて一番うれしかった」の言葉に、栗林さんは感無量でした。
 シングルマザーのT君のお母さんは、NHK朝イチの取材を受けたときに、当時を振り返り「誰かに相談する余裕がなかった。栗林さんはあえてそこを立ち入ってくださった。有難かった」というコメントを残しています。生活にゆとりがなくいっぱいいっぱいになっている人は、自分から助けてということができません。だからこそ、地域のおせっかいが必要です。
 2013年3月には、「要町あさやけ子ども食堂」をオープンしました。子どもが一人だけでも入れる食堂と銘打って、第1第3水曜日に夕食を300円で提供しています。ここは店主の山田さんが住んでいる一軒家です。
 自宅を改装して山田さんの奥様が25年前にパン屋を始めました。天然酵母にこだわったパン屋です。自宅には早朝からパン職人さんが出入りをして、いつも賑やかでした。地域のいろんな方がパンを買いに、家を訪れておりました。ですが生憎、5年ほど前に病に倒れ、亡くなりました。
 同じ頃、山田さんはサラリーマンとして勤めた会社を定年退職し、さらに原発事故の影響で息子夫婦が関西に移住し、誰も家に来ない、電話も鳴らない、一人暮らしの日々を過ごすことになりました。あの頃はどん底だったと山田さんは当時を振り返ります。
 そんなある日、大田区で子どものための食堂をやっていると教えてくれた方がいて、山田さんは見学に行きました。八百屋さんのだんだんで開催される「子ども食堂」です。子どもたちが集まって、美味しそうにご飯を食べて、一家団欒の温かさがあり楽しそうでした。これと同じことを要町の私の家を開放してできないだろうか・・・
 「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」の集会で、「子ども食堂、やってみたい」と山田さんがつぶやきましたら、隣にいた栗林さんが聞き逃さず、その場で多くの方の賛同を得て引くに引けずに、「やりましょう」ということになりました。
 山田さんは保健所の営業許可をとるために、少し家の工事をしました。食材をどうするか、調理のスタッフをどうするか、子どもは来るだろうか。いろいろ心配事がありましたが、奥様が残しておいてくれた地域のネットワークで手伝ってくださる方が次々とあらわれ、とうとう2013年の3月に、「要町あさやけ子ども食堂」がオープンできました。長い夜が終わって、もうじき夜明け、でも今はまだあさやけの時。そんな気分で山田さんは命名しました。
 「あさやけ子ども食堂」には、親の帰りが遅く夕食を一人だけで食べていた子や、不登校だった子、赤ちゃん連れのシングルマザーなどが立ち寄ります。みんなで同じご飯を一緒に食べる。食べた後は、幼児から高校生の年代の子までが、一緒になって遊びます。子どもたちはすぐに仲良くなるのです。一軒家なので、階段をのぼったり降りたりするだけでも楽しいようで、上の部屋では段ボールハウスの秘密基地やお化け屋敷ごっこが始まったり、みんなとっても楽しそうです。
 お料理は、調理を担当してくれるスタッフに加え、ボランティアをしたいという方が次々と来られ、学生さんからお年寄りまで老若男女が入りまじり、わいわいみんなで作ります。お手伝いしてくださる方々にとっても、ここが居場所になっているのを感じます。オープンしてから3年目を迎えていますが、素敵なことがたくさん起こっています。誰がどうしたと言うわけではなく、子ども食堂という「場のちから」がそうさせているような気がします。
 2013年8月にはNPOの認証を受け、地域の子どもを地域で見守り育てるために、包括的な支援、有機的なネットワークづくりに取り組んでいます。
 2014年11月からは、「夜の児童館」を始めました。椎名町駅前にある金剛院というお寺を借りて、毎火曜日4時から8時まで、オープンします。孤食の子どもたちを対象としています。大学生のお兄さんお姉さんと宿題をしたり遊んだり、大きなテーブルを囲んで、手づくりの夕食をみんなで食べます。家庭的な時間を提供することを心がけています。
 現在、無料学習支援はWAKUWAKU主催は1か所ですが、他の団体とコラボしたり、立ち上げのお手伝いをしています。6月にはとしま子ども学習支援ネットワークが立ち上がり、豊島区内の学習支援の点在化をすすめています。
 代表の栗林さんは、池袋本町プレーパークの運営に10年あまり携わり、たくさんの気になる子どもと出会ってきました。プレーパークは子どもの外遊びの場を保障します。どろんこになったり、木登りしたり、思いっきり遊べる場です。既存の遊具はありません。子どもたちは創造的な遊びをします。今年度からWAKUWAKUに事業委託されており、子どもはもちろん、子育て中のお母さんたちの交流の場としても機能しています。
 学びサポート、暮らしサポート、遊びサポートの3本柱で、豊島子どもWAKUWAKUネットワークは、地域の子どもと家庭を支えるために、これからもさらなる活動を展開させていきたいと思います。