「あしたのまち・くらしづくり2015」掲載
あしたのまち・くらしづくり活動賞 振興奨励賞

地域も高校生も底上げする取り組み
宮城県気仙沼市 底上げYouth
 宮城県気仙沼市。
 人口7万人の町は、津波によって多くの被害を受けた。仮設住宅で今もなお生活を余儀なくされている方が多くいる。気仙沼市は中学校13校中11校で校庭に仮設住宅が建っており、みなし仮設住宅を合わせると全体の約2割にあたる1万1300人が仮設住宅で暮らしている。仮設住宅はひとりひとりのプライバシーの確保が難しく、勉強机すらも置けない状況であった。これは、子どもたちの周りに学習できる環境がないことを意味した。「限られたスペースの中で集中して勉強に励むことができない」という仮定のもと僕が代表を務める特定非営利活動法人底上げ(以下底上げ)は放課後学習支援を仮設集会所や地域のコミュニティスペースで行ってきた。2011年夏から始めた活動の受益者は延べ2000人を超え現在も4箇所で活動を行っている。
 2012年はじめ、そこに集まる高校生の言葉に僕はハッとさせられた。
「(震災後、被害に遭われた気仙沼の町にたいして)これからの町にたいしてみんなはどう思う?」という僕の質問に対し、
「私たちは勉強と部活だけしてればいいんです。進路も先生に言われたところに行く予定です。しょうがないんです出来が悪いので。」
 というのだ。
 というのは、底上げは震災後、市民の有志が集い結成された「防潮堤を勉強する会」の議事録担当で、毎回参加する度に感じていたことが「これから先の未来の話をしているのに、高校生はもとより若い子たちがいないなあ」という疑問があったからだ。「未来の町をになう若者」という言葉を良く耳にするが、ここ気仙沼では若者が町に対して意見を言ったり、考えたりする場がほとんどない。それだけではなく、高校生が話してくれた「あきらめモード(それは町に対しても自分自身に対しても)」が漂っているように思えた。
 内閣府が実施したアンケートによると日本の子どもは自己肯定感が他国に比べて低いという。(平成26年版子ども・若者白書)
 同じくして、気仙沼で生活するなかで高校生に対して思うことに「すぐにしょうがない、どうせできない」という自己肯定感の低さであった。
 そこで底上げは、震災で多くを失った気仙沼をフィールドとしながら、その土地の魅力を生かしつつ、高校生の自己肯定感を一緒に高められるプログラムはできないものか考えるようになった。
 そのことで地域とそこに住む高校生がイキイキするのではないかと思ったからだ。
 消極的な高校生たちに対して、地域と関わりをもちながら学ぶ機会と自己肯定感を高めるにはどうアプローチしたらいいのだろう。
 試行錯誤の末、月に2回「子ども会議」という自分たちが町に対するイメージや想いを言える場所を作った。そこには学習支援で出会った高校生を中心に10人前後の子たちが毎回訪れる。しかし当然のことながら、彼ら自身にそもそも町に対しての知識があまりにも少なく議論が発展しない。自ずと気仙沼市内をまず歩いて学ぼうと、町歩き「フィールドワーク」を行うようになった。
 「矢部さん! 気仙沼ってこんなきれいなスポットあるんですね!」「震災後、漁業の復旧復興は行われてきてるけど、観光の復興はまだまだなんだぁ」と意見が飛び交う。高校生たちとフィールドワークを重ねるたび、郷土愛が育まれていくのがわかる。一方でその気持ちを外部の方々に紹介しようと気仙沼にボランティアに訪れた方を対象に話をする機会を作った。2012年12月には、東京都田園調布雙葉女子高等学校・兵庫県灘中学高等学校の生徒への町案内を高校生白身が実施した。
 底上げの狙いはこうだ。
・子ども会議で気仙沼に対しての意見を言える場を作る
  ↓
・そもそも気仙沼に対して無知な自分たちに気づく
  ↓
・気仙沼を知るために実際に町を歩いてみる
  ↓
・気仙沼のことを知るようになる、好きになる
  ↓
・外部の人に気仙沼の魅力を伝える
  ↓
・気仙沼に対して何かしたいという想いを抱くようにする
  ↓
・実際に活動に落とし込んで動くようになる
 ボランティアで訪れた方に対して気仙沼の状況やみどころを話すことは高校生たちにとって当然初めての経験で、はじめはうまく喋れなかったり、伝えられなかったりという場面が多々あった。しかしそれ以上に「気仙沼のためになにかやりたい!」「話してるだけじゃ何もかわらない!」という声があがりだしたときには内心ガッツポーズであった。
 そうなると、具体的に何をやっていくかという話になってくる。前にも述べたが我々が大切にしていることは、①地域の魅力を生かすこと、②高校生の自己肯定感を高めるということである。①に関しては町歩きをする中で発見しやすい。②に関してはすぐに高められるものでは決して無く、自らがやり遂げた達成感、そこまでのプロセスを一歩一歩進めなければ高めることができない。大人が目標を設定し、そこの道のりを高校生に対して大人が誘導することは簡単だ。しかしそれは我々が目指す自己肯定感を高めることにはつながらない。子どもたちとの信頼関係を構築しながら、ゆっくり、ゆっくり、あせらず、じっくり活動を行っていった。私たちが意識したことは上の二つに加え
・常に楽しいと思わせる場作り
・否定しない空気感
を意識した。
 その過程で、子ども会議に参加していた7人の高校生が中心となり2013年1月に団体を結成。名前は「底上げYouth」となった。あるとき、高校生が「恋人」という話をしだした。気仙沼出身の歌人落合直文(1861―1903)がはじめて「恋人」という言葉を使ったのが気仙沼だと言うのだ。
高校生「恋人ってことばが初めて使われた場所って気仙沼なんだよ」
スタッフ「え? そうなの? 知らなかったーー!」
高校生「え、そんなことも知らないの?」
スタッフ「逆に、何でそんなこと知ってんの!!! すごい面白いじゃん!」
 物事は離れてみてはじめて気づくことが多い。その土地では当たり前に思われたことも実際、他地域ではそんなことはないのだ。もともとそこに住んでいなかった我々が入ることによりその土地の魅力が浮き彫りになることが少なくなかった。
 底上げYouthは、気仙沼出身の歌人落合直文に注目し、<「恋人」発祥の地、煙雲館>の紹介リーフレットをラブストーリー仕立てにして制作することとなった。そこからが苦悩の連続であった。そもそも、高校生たちは自ら考え動いた経験がほとんどなかったからだ。「恋人」というテーマは決まったものの、どのように観光リーフレットにまとめていくか、だれがいつまでにどのようにして制作していくのかなかなか前に進まなかった。底上げはその際、誘導することは一切せずにひたすら楽しく活動できる場をつくった。高校生が活動していくことが気仙沼にとってとても貴重だということを言い続けた。うまくいかず、自分の役目を投げ出す高校生に寄り添いながら強い信頼関係を作ってきた。
 2013年夏、僕たちスタッフの前で高校生は大泣きした。手には完成した観光リーフレット「気仙沼恋人スポット」があった。気がつけば「高校生が地域の魅力を発見し生かしながら自己肯定感を高めることができるのではないか?」という構想から1年半が経過していた。
 そこからの高校生たちの動きが凄まじかった。時に悩み時に苦しみながら完成した観光リーフレットに対し、高校生は愛着をものすごく感じていた。そのため「一人でも多くの人に読んでもらいたい」という想いで、高校生自身で観光リーフレット設置してもらえるよう営業を行い、気仙沼観光コンベンション協会をはじめ市内商店やホテルなど25箇所に設置。
 高校生が自ら企画立案した観光リーフレットは気仙沼にお披露目されることとなった。ここで高校生と地元の繋がりができたことはとても意味のあることだと思っている。高校生が目を輝かせながら、観光リーフレットの営業に来る。ホテルや商店の大人たちは高校生が気仙沼のために活動しているということを知る機会となる。一方高校生は地域の大人との対話を通じ視野を広げる。視野を広げるだけでなく、多くの大人に活動を応援、賛同され自己肯定感が高まっていく。ある高校生は「普段親と、学校の先生以外大人と話す機会はほとんどない」という。リーフレットというツールを使い地域の大人と高校生の接点を作ったのだ。観光リーフレットは現在までに、第一弾から第四弾まで制作し、3万部を発行した。気づけばメンバーも30人を超えていた。
 これらの活動が評価され、2013年12月、地域の課題解決に取り組む高校生が参加して行われた「全国高校生 MY PROJECT AWARD2013」では、総合1位、高校生特別賞を受賞している。それだけではなく、気仙沼観光コンベンション協会のホームページに底上げYouthが提唱する「恋人ツアー」が記載されることとなった。
 底上げYouthの三浦亜美(当時高校3年生)は「私が底上げと関わるようになってから、子どもでも意見を言えることを知りました。私が生まれ育った気仙沼。しかし私はどこか気仙沼に不満を抱いていました。」という。しかし底上げと出会う中で「私も町の一員として声を上げていいのだと実感できました。」「私は子ども会議を通して、より気仙沼が大好きになりました」と話す。小松大河(現在高校2年生)は「底上げYouthでの活動を通して、自分を肯定できるようになり、より自分に自信が持てるようになりました。」と語る。
 底上げYouthの取り組みは地域活性という文脈だけでなく、高校生の自己肯定感を高め今後気仙沼に生きる若者の人材育成の役割を担っている。(文責・NPO法人底上げ代表理事 矢部寛明)