「ふるさとづくり2001」掲載 |
<集団の部>ふるさとづくり奨励賞 主催者賞 |
自然を活かすまちづくりとこころづくり |
三重県津市 特定非営利法人 阿漕浦友の会 |
ふるさと津市の歴史 三重県津市の「津」の文字は、「渡し場」「船着場」を表し、中世の時代から港として栄えていました。かつては安濃津(あのつ)と呼ばれ、鹿児島の「坊の津」、福岡の「博多津」とともに、日本の三大港である、と記録した中国の古書もあります。奈良や京都の都から太平洋岸に出る最短コースの港として、関東や大陸へ盛んに船出していたようです。 この津市の南東海岸が阿漕浦(あこぎがうら)です。阿漕浦が文献に登場するのは、10世紀末の「古今和歌六帖」に、「あふ事は あこぎがうらに ひく鯛の たびかさなれば 人志りぬべし」とあるのが最初です。和歌の趣旨は、伊勢神宮御贄所(禁漁区)である阿漕浦で、繰り返し鯛を取っていた密漁がばれたように、男女の逢瀬も繰り返すと世間に知られてしまう、というものです。その後密漁にまつわる阿漕浦伝説は、1100年間さまざまに語り継がれてきました。また阿漕浦は、風光明媚な白砂青松の海岸として多くの古書に記述されています。鴨長明、足利4代将軍義持、本居宣長、野口雨情などもこの地を詠んでいます。弘田龍太郎も阿漕浦で「浜千鳥」の名曲を想起しました。 阿漕浦の再生 ところが、松の老衰、台風による倒木、宅地造成の進行による伐採、水質の悪化、ゴミの増大など日本の高度成長の過程で、阿漕浦は見捨てられた哀れな海岸になってしまいました。 1995年7月、セイタカアワダチソウなど陸地の雑草がはびこり、ゴミが散乱して、荒地になりかけていたこの海岸を、風光明媚・白砂青松の海岸へと復元させることを発起、近隣住民20名が清掃、除草、花壇づくりを始めたところから「阿漕浦友の会」の活動が始まりました。 その後は毎月2回の定例行動日を中心に、クロマツ600本、ハマボウ500本、シャリンバイ、ハマゴウ等300本を植樹。絶滅しかけていたハマヒルガオ、ハマボウフウ、ハマエンドウ等の海浜自生植物を保護・増殖し、群落を形成するまでに復元させました。さらにハマユウ3000株やイソギク500株、ハマナデシコなど300株を植栽、春から晩秋まで海浜植物の花が絶えない浜辺となりました。 また、利用スポットとして「海月苑」「松風苑」の休息施設を造営、ベンチや歌碑も設置して、海の自然を市民がいっそう感受しやすいようにしました。 その結果、クロマツが潮風にさゆらぐ緑間に季節の海浜植物の花が咲きこぼれる海岸ヘと復活しました。この5年間で、「阿漕浦友の会」の会員数は158名に増え、海岸ボランティアに参加した人数は、延べ1万人を超えています。ゴミも姿を消し、阿漕浦海岸の利用者・入客数も飛躍的に増えました。そのうち市外・県外からの来客が40%にのぼっています。 まち全体の環境の向上へ 1997年に(社)日本ナショナルトラスト協会の第15回全国大会を津市で共催したのをきっかけに、海の環境は陸地の川、まち、山の環境と密接に連動していることを認識し、まちづくりの広い視野の中で次のような活動を展開してきました。 1.津市の市街地の岩田川河畔へのしだれ柳の植樹 2.津市郊外の100ヘクタールの里山を保全・再生させる活動 3.小学校や幼椎園などの教育現場に「めだか池とどんぐりの林」(ビオトープ)を造営し、都市部に自然を呼び込むとともに自然を教育に役立てる活動 4.津市で生まれ、世界遺産である京都の天龍寺、西芳寺(苔寺)、岐阜の永保寺、山梨の恵林寺、鎌倉の瑞泉寺などの名勝庭園を造った夢窓国師の業績を紹介し、縁の地=津市近郊の善応寺跡地の保存を提起、自然を「こころ」とした国師の思想を普及する活動 5.要介護の高齢者や車椅子の障害者も憩えるバリアフリーの森林(里山)づくり 6.これら1〜5の活動を市民参加のボランティアを基本に取り組む活動 7.これら1〜5の活動の成果を市民に利用、活用してもらう活動 自然と文化の融合 東に伊勢の海を擁する津市は、朝に太陽が昇り、夕べには月が昇る地です。この地形を活用して「伊勢の国、阿漕が浦。迎月の宴」を催しています。今年で5回目になります。「伊勢の国、阿漕が浦。迎月の宴」は、海と空と満月という雄大な自然を背景に、由緒のある海岸の「由緒」を蘇らせる活動です。 毎年の中秋の名月の宵、伊勢の海から昇る満月を背に、渚にしつらえた舞台で、最高級の芸能を披露します。波の音とかがり火に彩られて、世阿弥の作・能「阿漕」の舞いを中心に太鼓や琴の調べ、舞踊、民芸と多彩に幽玄と雅びの世界を醸し出します。それを砂浜に座った市民が、一献傾けながら一体となって鑑賞する趣向です。この自然と文化の融合には、地元三重県はいうまでもなく、近隣諸県や東京・関東から3000人の参加者があります。今年は、9月14日の開催です。 なお、世阿弥の作・能「阿漕」は、前述の阿漕浦の和歌と密漁伝説に取材したもので、原作の現地で舞う、希有の舞台として評判を呼んでいます。 真・善・美の精神 「阿漕浦友の会」の「ふるさとづくり」は、単にハード面の整備や人寄せイベントに陥ることなく、このまちで暮らす人間の人間性の向上を視野に入れた活動です。“良い人が暮らす良いまち”づくりなのです。 また「阿漕浦友の会」の環境活動は、自然の生態的視点を越えて、常に文化的・歴史的視点を共有する活動です。それは即物的な自然との「共生」にとどまるものではなく、文化的・歴史的にも自然と共生してきた人間の精神をこそ問うものです。「私たちも自然である」との原点から、自然が人間の真・善・美の精神の源泉であると同時に、人間の「精神」が良くも悪くも現在の自然環境をかたちづくっていることを訴え続けている実践です。またそれは、ふるさとのまちの自然環境の向上が、まちに暮らす人々の精神の向上につながることを信じている活動でもあります。 主な経歴及び活動内容 1995年8月…グリーンボランティアクラブ阿漕浦友の会設立。津市阿漕浦海岸における年間を通しての植樹(これまで7000本)や除草・清掃活動などの環境保全活動を行う。以後、現在まで毎月第2、第4日曜日に定例行動を行う。 1996年9月…第1回「伊勢の国、阿漕が浦。迎月の宴」を開催。伊勢の海から昇る中秋の名月を背景に世阿弥の能「阿漕」を中心に琴の調べなど高度な芸能で、幽玄と雅びの世界を再現する活動。この年から毎年開催し、約3000人が参加する津の新しい名物として定着している。本年は、9月14日第5回「伊勢の国、阿漕が浦。迎月の宴」を開催予定。 1996年10月…津市の海岸の美化活動をする「安濃津・松風の会」発起し、設立。 1997年から…ふるさと三重の環境向上を目指す「緑のネットワーク運動」を呼びかけ、中心的に参画。 1997年5月…「県民の日記念行事」を三重県と共催。 1997年7月…「三重県・自然に親しむつどい」県や多くの市民団体と共催。 1997年10月…津市・阿漕浦で「日本ナショナルトラスト協会」全国大会共催。 1997年11月…津市より「感謝状」を受ける。 1998年から…津市近郊の里山の保全活動を開始。 1998年4月…「みどりの日記念行事」を例年実施。 1998年9月…学校法人藤学園に学校ビオトープの造営。 1998年10月…三重県歴史街道フェスタ「庭園における日本の美」を開催。 1999年5月…特定非営利活動法人阿漕浦友の会設立。 1999年10月…津市立育生小学校に学校ビオトープの造営。 1999年10月…「バリアフリーの森林づくり」の構想のもとに民有林を借用。 2000年2月から…「バリアフリーの森林づくり」開始。 2000年4月…三重県環境功労賞受賞 2000年4月…「みどりの愛護」功労者建設大臣表彰 |