「ふるさとづくり2002」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

太鼓の音に魅せられて
大分県上津江村 かみつえ酒呑童子太鼓倶楽部
 私が太鼓クラブと関わるようになったのは、10年程前の村の文化祭の日、酒呑童子太鼓の子どもたちの演奏を聴いたのがきっかけでした。演奏はもらろんでしたが、子どもたちの生き生きとした迫力のある姿と、体育館の床を伝ってくるズズーン、ドーンという響きがからだと心をゆさぶり、いっぺんにひかれました。もちろん、一緒にその場にいた長女が私と同じ感動を受け、「お母さん、私も太鼓がしたい!」と言ったことから始まったのでした。


太鼓を通して外に向け自己表現

 酒呑童子太鼓は昭和63年3月、5名の小学生で結成されました。指導者の井上裕子先生が、人口1300あまりの小さな村の子どもたちに、田舎特有の引っ込み思案でおとなしいところを、なんとか太鼓を通して外に向け自己表現できるようになってほしい、元気を出してほしいとの思いから始められたことでした。私たち大人も、その当時は自分の住んでいるところを訪ねられた時、自信を持って「上津江村です」と言えませんでした。
 今は林業を始め、フィッシングパークやオートポリス等いろいろな方たちの努力により名前も知られるようになりました。田舎を求めて都会から来る人たちも増え、上津江に対する気持ちもかわってきました。これまでの努力により酒呑童子太鼓の名前も知られるようになったことで、子どもたちも上津江のPR隊としての役目を担うこととなり、さらに活動の幅も広がってきました。


太鼓だけでなく感謝の気持ちも教える

 現在は、小学校2年から中学校3年までの子どもたち14人で活動しています。これまで水曜日の夜7時から練習していましたが、今年学校が5日制となったことで、第2・第4の週は金曜日に変更し高校生も来られるようにしました。というのも高校まで車で1時間程かかり交通の便もよくないので、ほとんどの子が下宿か寮にはいるかしているのです。長年練習して上達した頃、やめざるをえない状況は、クラブにとっても残念なことでしたが、今それが少しずつではありますが変わりつつあるのは嬉しいことです。
 子どもたちは、限られた時間の中で、ほとんど休むことなく一生懸命練習します。初めは床たたき、基本のリズムをマスターするまで、先輩の姿を見ながら必死に練習します。太鼓を打つには力もいりますから重たい太鼓の出し入れも自分たちでして力をつけます。走ったり、腕立て伏せをしたり、太鼓をもって階段を登り降りしたり…。
 イベントの時は新人の子は旗もちです。先輩が打つ間しっかり旗をもって立っておかなければなりません。これも大切な役目の一つです。こんなことをしながら子どもたちは少しずつ上達していきます。打つことだけではありません。始まりと終わりのあいさつ、体育館への礼、先輩が後輩の世話や指導をしたりします。また、先生は、親に対しての感謝の言葉を必ず言わせます。家族の中では、なかなか照れや甘えがあってありがとうなど言えないものです。それを言葉にして言うというのは、とても大切でありがたいことだと思っています。その他お世話になった方々とのつきあいや、お礼の仕方などこまかく指導していただいています。1人で大きくなってるんじゃないよ、まわりの人のおかげだよ、太鼓クラブは自分たちが上手だからあるんじゃないよ、まわりの人たちがささえてくれてるからできるんだよ、ということを知らず知らずのうちに教えていただいています。
 私たち父母は、こういう指導をしてくださる先生の意思を今度は親の立場からサポートしていきます。父母の会を作り組織的に動いていますが、人数が少ないので、みんなで一緒に動きます。子どもたちが練習している間イベントに行く当番決めをしたり、車や弁当等の手配、衣装のチェック、また交流会等をする時は食事の準備やおみやげ等々さまざまな雑用をこなします。イベント数が多い時は、ついていく回数も多く実際のところ大変です。その他に、畑やお茶摘みなどの作業を通し、老人ホームや施設へ収穫した作物をお届けするボランティアなどの活動をしています。太鼓そのものの活動はよその太鼓チームと比べると少ないくらいなのかもしれませんが、田舎はみんながいろいろな活動に従事するので、それが大変なのです。保育園、小学校、中学校、村の行事、家事、農作業、そして仕事と同時にこなしていくのはなかなかむずかしいことです。重なることも多いので親子で頭を痛めることとなります。それで先生と衝突したこともあります。私たちはつい二つのうちどちらかを選ぼうとするのですが、そんな時先生は「どうしてどちらか一つを選ぼうとするの? どちらでもできるように頭を使えばいいじゃない」と言われました。そこで私たちはまた親子で策を練るのです。初めはとってもむずかしく感じられたことでしたが、だんだんそれもうまくなってきて、子どももあたりまえのことのようにスケジュールを組むようになりました。そうなんです、できない、と思うことから考えると道はできない。できるように努力し、工夫することで道はできるのです。何かを目標としている時、どう向かえばいいのか、その一つを学びました。また、現代の子どもたちは、わりと思いどおりに生きていると思います。必死に頭を痛めて選んだり決めたりすることは少ないと思います。子どもにとっても、いい訓練です。


大人の演奏を見て目の色が変わった

 またこんなこともありました。小学校の運動会のあと、1時間以上かけて行ってイベントに参加することになっていたのですが、早めに来てくれということで予定より大急ぎで行かなければならなくなり、子どもたちは疲れているのにそこまでして…と親としては思わなくもありませんでした。ところが大きなイベントで、子どもたちが着いた時に演奏していた大人のチームを横から見ていた子どもたちの目が、キラリと光りました。
 そして隅の方で練習を子どもたちが始めたのです。私たち大人もそうでしたが、子どもたちは、一気に疲れもふっとび、太鼓のことだけが頭とからだによみがえってきたのです。その後の子どもたちの演奏は親から見てもすばらしいものでした。もちろん帰りはぐったりで、翌日すぐには回復できない子もいましたが、やればできること、子どもたちのもっている力と可能性のすごさを感じたのは確かでした。
 こういうことも含め、親子でさまざまなイベント、交流会、ボランティア等を一生けんめいやっていくうちに、私たちは仲間として、同志としてつながりも深く、親どうし、子どもどうし、そして会員全員がとても仲よくなりました。こういう経験ができるというのはとても嬉しくありがたいことだと思います。先生の指導は厳しく、また人間ですからたまに感情的になることもあります。でも子どもたちは、文句を言うことはあっても、嫌いだとかやめたいとか言う子はいません。逆に「負けるものか」と燃えるようです。


「厳しさが足りない」

 6年生になる末の娘は、先日おもしろいことを言いました。スポーツクラブでミニバレーもしているのですが、「私、太鼓とバレーはどっちもおもしろい、でもどっちかというと太鼓がおもしろい。だってバレーは厳しさが足りんもん」と言うのです。次女も同じことを言ってましたし、長女にいたっては全日本女子バレーの監督が鬼のように教えているのを見て、「私もあんな風に教えてもらいたい」と言ってました。びっくりしました。子どもって大人が思っているほどやわじゃないんですね。必死で努力して頑張って、自分の可能性をひき出してもらい、それなりの成果があがった時の充実感を知れば、子どもって、ものすごいパワーをだせるんです。"今時の子どもは"、とか"若者は…"とかよく言いますがきっと持ってるものは昔とかわらない、そういうさまざまな経験で味わう心の動きや想いをいっぱい体験し、満足感や充実感を得られれば、どんな子でもきっと前向きに輝いて生きられるのではと思います。
 そんなことを考えた時、太鼓という、うちこめるものにめぐりあえた酒呑童子の子どもたちは、幸せなのかもしれません。太鼓の活動を通して先生は、自主性・社会性・自信作りを目標とされていますが、十分子ども達の中にその芽は育まれていると思います。大好きな太鼓を打つ子どもたちの輝く姿が、聴いてくださる方たちに感動を与え、それを感じて子どもたちが感動し、さらに頑張る力になっていると思います。そして、そのことは、そのまま私たちのふるさと上津江村の姿を、多くの皆さんに伝えているのだと思います。地域づくりは人づくりだと思います。太鼓を通して育っていく子どもたちは、きっと大切なものを得て大きくなり、地域づくりの原動力となってくれることでしょう。
 今年、15周年を迎える酒呑童子太鼓ですが、これまで続けられたのはこれまで関わって頑張ってきた子どもたちや父母と、支えてくれたまわりの人たち、そして何より指導してくださる先生のおかげです。今、第1回生だったメンバーの1人が指導を手伝ってくれています。10数年続けて、やっと小さかった芽が実ったのですよね。とても嬉しいことです。これからも親としてできることを続けながら、この太鼓クラブで子どもたちが育っていく姿を見守っていきたいと思います。