「ふるさとづくり2003」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

シニアの生きがいとまちづくり
栃木県栃木市   特定非営利活動法人栃木県シニアセンター
 2005年には50歳以上が過半数に達することになります。シニア層の多くは健康で、経済的にも困難は少ないかもしれません。しかし強い体力の保持は難しく、それ相応の努力も必要です。また、働き口が少なくなり、安定的な職場の確保も難しくなってきました。そのような、もろもろの社会環境から「生きがい」の喪失が一番心配されます。そこで、シニアの「生きがい」をどう見出すかが課題となります。人口に占めるシニアの割合がますます大きくなりつつある現在、シニアが社会に果たす役割は大きいと考えます。シニアが「生きがい」をもって生活するなら、その人口比率等とあいまって、社会全体に大きな活力をもたらすことになります。これからの市民社会を支えるのはシニアです。その機会を得る場を提供したいと考え、活動が始まったのです。


シニアのためのパソコン教室の開催

 ウインドウズ95の発売騒動より3年後、1998年にはパソコンがかなり普及してきました。ここで話題に上ってきたのが高齢者の「デジタルデバイド」情報格差です。パソコンの扱いは若者が勝っています。どうしても機械に弱いのは高齢者です。このままでは高齢者が社会から取り残されるのではと心配されてきました。そこでまず、私たちが活動を始めたのは「シニアのためのパソコン教室」です。
 業務上、私たちはパソコンには多少経験がありましたので、新聞に折り込み広告を出しました。シニアを対象にした入門クラスの募集で定員は10名に対して、なんと34名もの応募がありました。これが最初の事業でした。そして、シニアの人たちのニーズが想像以上に多かったということです。高齢になるほど学習意欲が盛んになるのですね。
 パソコン本体は企業からすべてお借りし、会場も無償で借りました。講師はそれなりの人ということで若い女性のSEにお願いしました。すべてボランティアです。そしてこれが企業との協働の始まりでもありました。その頃、ノートパソコンは少なく、大きなデスクトップパソコンを移動させるのに大変な苦労をしました。今では懐かしい思い出です。それから、既に6年も経ちました。あの時の受講生たちは今どうしているでしょうか。
 私もこれを機に自分のスキルアップを図るためいろいろな学習の機会があるたびに参加しました。そこで大企業Hさんのインターネット教室に参加することになり、後に今で言う大きな「協働」の芽が生まれたのです。その頃は「協働」という言葉はまだあまり使われていませんでした。「協働」の言棄の前にコラボレーションというカタカナのほうが早く動いていました。


1市5町に拡大したパソコン教室

 1998年、阪神淡路大震災を契機にボランティア活動等の社会貢献活動促進のための法律「特定非営利活動促進法」が成立、そこで私たちも法人申請をしました。最初の法人名は「モダンライフ社」でした。しかし、この名称では団体の活動内容が分かりにくいというご意見等がありまして、2001年に現在の「栃木県シニアセンター」と、名称を変更することになります。1999年栃木県知事の認証を受け、会員の募集も順調に推移し当初の会員は300名近くになりました。
 法人設立を期して「0282ネット」ということで栃木市を中心とした「シニアのためのパソコン教室」を1市5町に拡大した企画を発表しました。内容はIT入門とワード、インターネットです。これは行政と企業とNPOとの三者協働で、いわば三者協働の先駆けです。団体にはパソコンを揃える余裕はまだありませんでしたので、Hさんにご支援ご協力をお願いしたのです。同時にシニアのための機関紙「モダンライフ」第1号も発行され、これは後に小山市の生涯学習講座「山本有三」(栃木市出身、代表作品「路傍の石」)の講座のテキストにも採用されることになりました。
 この発表は「シニアの生きがい」というテーマと同時に新聞報道され、問い合わせは初日を含めて154件にのぼり、1日目の電話は鳴りっぱなしでした。
 宇都宮市からの者が多数を占めましたが、遠くは大田原市、烏山町、矢板市からもあリました。その結果、宇都宮市でのパソコン教室は2回開催することになりました。
 これだけシニアの「生きがい」に対する関心が高かったのです、高齢社会に入っていたのですね。
 この事業は西方町の公民館からはじまりまして、最終的には0282(局番)以外の町でも開催し、7町に達しました。当時はインターネットが気軽にできる時期ではありませんでしたので、この「シニアのためのパソコン教室」は圧倒的な人気を得たのです。次回開催を催促されたことが何回かありました。


国のIT講習にも参加

 2001年、国が国民のためのIT講習を開始しました。市町村単位でおこなわれ、一定の受講者数が決められての講習になりました。これに私たちの団体も壬生町、栃木市に事業参加しそれなりの貢献をしたと自負しております。とくに受講者の大半がシニア層ということで私たちの講師陣が近い年代の者であったため、接しやすかったのではないでしようか。また、サポーターが多数参加しましたので、これも好評の一因であったようです。
 また、この頃シルバー大学校にてもパソコン教室を始め、パソコン搬入と講師派遣で多数の卒業生を出し、その中から後の講師、サポーターの方が生まれました。そして、このIT講習等を機会に私たちの団体のITボランティアスタッフも30名近くになり厚みが出てきました。企業現役の方、企業OB、元学校の先生等でした。
 2002年、引き続き壬生町、栃木市の国のIT講習の事業に参加することになり、ここで、いろいろなノウハウを積み重ねることができました。また、視覚障害者のIT講習も受託し貴重な経験を積みました。このような経験を元にこんどは自分たちがスキルアップを図ることになり毎週1回集まりまして、現在勉強をしているところです。それぞれが資格をとってスキルを磨くかたちで地域のシニアの方たちを支援できるよう進めていきたいと考えています。
 また、現在毎週金曜日に事務所で開催される「パソコン金曜教室」には栃木市だけでなく市外からの参加者も多く、半数以上を占めていて、自分のペースでパソコンの学習に励んでいます。生徒さん10人に3人もサポーターがつく手厚い介護(?)です。自分のお店のポスターを作る方も出てきました。70歳に近い方も何人かおられます。ここに来ることが楽しみになってきたのでしょうか。
 「シニアのための男の料理教室」も3年余続いております。夏には野外で「バーベキュー大会」そして暮れには「そばうち教室」と、男性中心ながらも時には家族を入れての教室となっています。


ボランティアセンター維持管理を受託

 2002年3月、私たちの団体は栃木市の「ボランティアセンター」の維持管理を受託することになりました。栃木駅の前に設置され、名称は「ボランティア駅前ルーム」とされ、場所としては大変恵まれました。利用者にとっても便利であり、駐車場も充分で申し分ありません。しかし設備面でちょっと残念なところもありますが、ここに市民のボランティアの活動拠点ができたことにより、その効果は出てきました。隠れた団体の発掘と新しい団体の結成がされたことです。個人の登録も出てきました。従ってボランティアの登録者数も増加の傾向となり、今までと動きが変わりました。設備等の問題もあり、まだ充分な市民活動の拠点とはなってはいないものの、拠点としての貢献は明らかです。
 2002年7月、栃木市に20年ぶりで本格的な災害が発生しました。そこでこの拠点「ボランティアセンター」が最大の貢献をしたのです。この拠点なくば災害支援のボランティア活動もできなかったことでしょう。栃木市初めてのボランティア災害支援センター、県内では2番目のセンターで「栃木市災害ボランティアセンター」という名称でここに設立されたのです。構成は市内ボランティア団体、個人、栃木市社会福祉協議会、栃木青年会議所、栃木県シニアセンターです。事務局を当団体が引き受けて活動を開始し、10日間の支援日程で進めましたが、8日間で終了することができました。最初の日のボランティア動員数は184人、新聞報道にもありましたが中学生、高校生の貢献もありで、栃木市のほとんどのボランティア団体、個人が参加され、物資面では企業のご協力をいただきました。また、その他に神戸、東京、埼玉の方たちからもご支援をいただきました。県内では那須の方、烏山など遠方の方にもお世話になりました。とくにセンターの立ち上げ、またその後の技術的な支援はNPO―NGOにご支援をいただきました。これもNPOのネットワークの強みでした。


NPO起業向け講座の開催

 2002年9月、栃木県からNPOへの本格的な事業委託を受けました。NPO起業向け「管理者養成講座」です。9月から11月までの3か月間、土日を除いての毎日の授業です。これは是非とも成功させたいと思い全力をあげました。このようなかたちでNPOの起業支援をし、社会貢献活動の活性化に貢献できるまたとない機会となりました。全国ベースでみて、この講座は栃木県が8番目の開催になります。先発組はすべてNPOの先進県です。講師陣にはNPO界のトツプリーダーをはじめ、専門の大学の先生、公認会計士、税理士、社会保険労務士等々、実力者にお願いして進めました。受講生は1人の落伍者もなく修了式を迎えることができました。この講座の受講生たちは「人が変わったね」と家族に言われるそうです。ボランティア・市民活動・NPO・社会貢献などの本質を知ったとき人間は変わるのかもしれません。いま、受講生たちはさらに自分のスキルアップを図り、単独であるいはグループを組んでNPO起業に向け歩み始めました。