「ふるさとづくり2003」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

手長の森に再び獅子舞を
長野県辰野町 羽場祭礼同志会
 笠踊りのお囃子と人々の拍手が止み、ひとときの静寂の後、手長の森に篠笛と太鼓のお囃子が響き渡りました。すると2頭の獅子が境内に現れ、勇壮にそして激しく、時には愛嬌を振りまきながら舞っていきます。神社に集まった大勢の皆さんの幸福を願いながら。
 平成14年10月27日。すばらしい秋晴れの空のもと、日本のほぼ中心に位置する、長野県辰野町羽場地区において、この地に鎮座する『羽場手長神社』の新築落成式が約100年ぶりに執りおこなわれました。
 私たち「羽場祭礼同志会」は、この記念すべき式典に合わせて、「獅子舞」を復活し、大勢の皆さんの前で披露いたしました。


羽場祭礼同志会の活動とその歴史

 羽場祭礼同志会の歴史は古く、その前身は明治時代に遡ります。当時後継ぎとして家で農業を営んでいた青年たちは『共和社』という組織に入り、農業の傍ら「桑番」、「山番」という田畑の警備をしていました。そしてお祭りの時期になると、獅子舞等の出し物で各戸を廻りお祭りを盛り上げていたようです。
 時は流れて、昭和50年過ぎになるとこの地区の青年会は会員不足等のために休止状態になってしまいました。しかし、区民の中から歴史ある青年会を復活させ地元の祭りや行事を若者の手で盛り上げていきたいという機運が高まり、「羽場祭礼同志会」として再び活動を始めました。ちょうど15年前のことです。
 現在、羽場祭礼同志会は17名で活動しています。一昨年まで羽場地区の秋の例祭をはじめ地元の行事や結婚式、新築祝いといったおめでたい席での笠踊りや長持ち歌の披露等を主な活動としておこなってきました。会員は日々仕事等に追われながらも皆で協力し合い、そして楽しみながら活動を続けています。


獅子舞復活の機運の高まり

 以前より祭礼同志会の演目につて、会員から笠踊りや長持ち歌以外の演目を習得し、披露していきたいという声がありました。それは、羽場地区にまつわる伝統あるものを演目の一つとして取り入れたいという希望でした。
 そんなある晩、夜が更けるのも忘れて皆で酒を酌み交わしていた時、昔この地で獅子が舞っていたという話が出るや否や、獅子舞を復活させようという機運が一気に高まりました。まさに善は急げ!です。次の日から会員による羽場の獅子舞の歴史についての調査が始まりました。一昨年の12月の話です。
 とは言いましても、手がかりになるようなものはありません。知っているのは、私が近所のおじいさんから聞いた、明治30年代のお祭りでは地元の若衆が獅子舞を各戸で披露していたという程度の内容だけでした。
 しかし、地元の歴史に詳しい先生に一緒に獅子舞に関する地元の古文書を探していただくようお願いする一方で、区内に獅子舞にまつわる品が保存されているか調査をおこないました。そして努力の甲斐があり、獅子舞に関する古文書が見つかり、また宝蔵倉からはかなり古い獅子頭が雄雌一対出てきたのです。


羽場手長の獅子舞の歴史と獅子頭

 先生に見つけていただいた古文書は、江戸時代の文政年間(1800年代)にこの地域を治めていた高遠藩と、羽場の名主(村長)とのやりとりの書状でした。その内容は、手長神社の鳥居改築を祝うにあたり、獅子舞や狂言をおこないたいので許可をお願いしたい旨を記してあり、羽場地区の名主が高遠藩の代官に宛てて送ったものでした。
 この願い文を受け取った高遠藩の代官三沢市郎兵衛は、3日後に次のような返信を羽場村名主宛に送ってきています。

一.其村(羽場村)の氏神祭禮に付き若者獅子舞興行仕り度き願いの通り届承り奉行人を遣わし候間 左様 心得候。
 右の趣申し出し候。
 壬申 八月三日
        三沢市郎兵衛
 羽場村 名主

 この書状の中には、獅子舞は若者がおこなったこと、獅子舞をおこなったお祝いには大勢の人々が観に来るので(当時羽場の地は木々が茂り「手長の森」と呼ばれ道行く人々に親しまれていたそうです)、高遠藩の寺社奉行が監視に来ていることが分かります。昔は百姓一揆を警戒し、農民が集団で行動することを恐れていたため、祭礼等による人集めを厳しく監視していたことがうかがい知れます。
 また先生は、手長神社の鳥居改築より以前の享保年間(1700年代初頭)にはこの神社に神楽殿が存在しており、神楽殿の存在時期から推測すると、羽場の獅子舞は相当古くからおこなわれていた可能性が強いと説明してくださいました。
 一方、宝蔵倉に保管されていた獅子頭は木製の箱に納められていました。この獅子頭を箱から出してみた時には、そのすばらしい姿に皆思わず歓声をあげてしまいました。古いとはいえその表面には金箔が残っています。また、その作りや形は、現在の各地で見ることができる獅子頭のそれと比べかなり大きく、百獣の王(獅子とはライオンの俗称)の風格と迫力を漂わせていて、同席していた会員の子どもが思わず泣き出してしまうほどでした。
 獅子舞は古来より悪霊退散、五穀豊穣等を祈り、人々に幸福をもたらすと言われていますが、確かにこの獅子に睨み付けられたら悪魔も逃げ出してしまうと皆で笑いました。
 また、この獅子頭は、当時は実に立派な姿であったと思われますが、現在は下顎をはじめ破損箇所が多数あり使用できない状態でした。
 獅子頭と古文書を皆で見た時には、よくぞここまで羽場の獅子舞のルーツを調べることができたと思い、感慨ひとしおでした。
 おそらく、他の皆さんの目には私たちの姿はちょっと変に写っていたかもしれません。しかしその当時は、縁起が良いとされる獅子舞を披露することで、家族をはじめ地元の皆さんに喜んでもらえるのではないか、という期待感と、祭礼同志会の活動を通して活気ある地域づくりをしていきたいという一心で、人目など気にしなかったと思います。


羽場手長神社落成式にむけて

 「かつて羽場の地でおこなわれていた獅子舞を復活させよう!」平成14年8月、いよいよ羽場祭礼同志会は獅子舞復活に向けて動き出しました。区民の皆さんに披露する時期は、羽場手長神社の落成式の日と決定しました。
 また獅子の舞い方と、太鼓や篠笛のお囃子については、以前私が講習会で学んだ経験があったので会員に手ほどきすることにしました。しかし、獅子頭やお囃子道具等がありません。そこで業者から有料で借りることにしましたが、1回の借用に獅子頭だけで2万円もかかります。そこで獅子頭の借用は最低限に抑え、代用に張りぼてを作り練習をおこないました。
 約3か月の猛練習の甲斐があり、会員全員が獅子の舞、ひょっとこの踊り、お囃子をなんとか一通りできるようになりました。会員のやる気と努力が実を結んだのです。


愛される獅子舞をおこなっていくために

 落成式当日、私たちは皆さんの見守る中、笠踊りと獅子舞を無事披露いたしました。獅子が激しく舞ったり、時折愛嬌のある仕草をすると歓声をあげ拍手を送ってくださる大勢の皆さんの笑顔を見ることができました。
 最後にご参集の皆さんと羽場地区のさらなる発展と幸福を祈願して獅子が咆哮した後、刀を用いての悪魔払いを執りおこないました。その時の深々と頭を下げる皆さんの、幸福を願う真摯な姿が強く心に残りました。
 この模様を新聞やテレビ等で取り上げていただいたせいか、結婚式や新築祝いをはじめ町の行事等から出演の依頼をいただき、以前に増して練習に取り組んでいます。このようなおめでたい席にお呼びいただけることは本当に光栄なことですし、お祝いの席が賑やかに、華やかになるお手伝いができれば幸甚であると考えています。
 また、獅子舞を皆さんの前で披露する際、「人間は常に『幸せ』を望んでいる」ということを忘れてはならないと思っています。当たり前のことかもしれませんが、私たちは生まれ育った「ふるさと」で獅子を舞い、改めてこのようなことを学んだような気がします。この気持ちを忘れることなく羽場の獅子舞を歴史的、文化的な地元の伝統芸能遺産として末長く継承していこうと強く思っています。


ふるさとにもっと「笑顔」と「元気」を

 平成15年正月、羽場区が私たちの活動を認めてくださり、なんと獅子頭一対を購入してくださいました。地元区並びに区民の皆様に深く感謝すると同時に、われわれの活動もさらに充実していかなければならないと考えています。
 本年は、以前からおこなっている会の積立金を原資に、地元区に必要な物品等を寄付させていただく予定です。
 私たちのこれからの活動ですが、最近町内外の高齢者施設からも獅子舞出演の依頼が来るようになりましたので、今後はこのような施設へボランティア団体としてお伺いする予定です。また、次世代の担い手である子どもたちにも獅子に触れてもらう機会を検討しています。このような交流を通じて、羽場地区の伝統・文化を広く知ってもらうと同時に、獅子舞が人々に愛される理由や、人々とふれあいながら地域に暮らす大切さを知ってもらいたいと思っています。
 祭礼同志会は、かつて羽場手長の森で舞っていた獅子が復活されたことを契機に、これを地域の貴重な伝統芸能として大勢の皆さんにご理解をいただけるように活動をしていく所存です。また、このような活動を通じて、薄れつつある住民同士の結びつきを大切にしながら、笑顔と元気の満ちあふれた「ふるさとづくり」に貢献していきたいと考えています。