「ふるさとづくり2003」掲載 |
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞 |
地域住民による集落活性化への挑戦 |
高知県葉山村 床鍋とことん会 |
「集落全体で汗をかくこと」 「高知県高岡郡葉山村床鍋・床鍋集落」は、葉山村の最南端に位置し、村中心部からも、また周辺地域からも急峻な山に遮られた辺地地区にも指定されている山間の小さな集落である。 この床鍋集落は、かつては山景気に沸き、小、中学校も存在する活気のある地域であったが、時代とともに過疎化・高齢化が進み、平成15年4月には集落人口143人、高齢化比率42・0%と集落機能の維持さえ危ぶまれる状況となっている。 このようななか、平成7年度に集落の有志数名から「このままでは集落が消滅するから活性化の取り組みをおこないたいが、手法のアドバイスや支援ができないか」という申し入れがあり、この時に、行政サイドから提示された“条件”は、「主人公は集落であり、集落全体で汗をかくこと、そしてその責任は集落代表者でも行政でもなく、集落全体の責任である。そしてその間行政は、“プロデュースとサポート”に徹して、必要な場合は事業導入を図る」ということであった。 第1回の会合で何ができるか分からないが「何かをやってみよう」ということになった。この「行動」を選択した背景には床鍋地域の実情があった。この地域は、前述にあるように、他地域から隔絶された地域性から行政サービスにも格差が生じており、少なからず行政に対する不信感があり、地域全体に無気力感といったような雰囲気が漂い、何かに向かって行動を起こすような力強さはなかった。このことから、第1段階を「行動」として取り組むこととなり、いくつかの意見が出されるが、どれもが地域づくりを意識しすぎた大型イベントであったり、多額の経費が予想されるハード事業を要するものであったりと、素人集団には荷の重過ぎるものであった。 「集落を明るくしよう」 このことから、“地域外の意見”として行政マンが提案したことが、「自分たちの集落を明るくしよう」というものであった。 床鍋集落は、集落の中心を県道が横断しており、この県道が唯一の基幹道路であるが、県道とは名ばかりで実態は道路沿いの樹木が生い茂り、まるで全線樹木トンネルのようになっており、空も望めず地域外から訪れる者にとっては、延々と続く圧迫感のある樹木トンネルに視界を遮られ、清流さえも目にできずに、この先に集落が存在することさえ想像できないような状況であった。このトンネルは、集落の転出者が植林し地域を離れたり、人工林の価格低迷により地域住民自らが放置して形成されたものであり、まず、この森林を伐採し、地域を明るくする「行動」を開始してみてはどうだろうかということであった。 集落では、日照を遮ったり、運転時の視界を遮断したりするこの森林を集落生活の“支障林”と位置付け、伐採の行動を起こすこととなった。 伐採後集落は見違えるように明るくなり、広くなった空を見上げながら、「すっきりしたね」「良くなったね」という会話が挨拶代わりになっていった。 そして何よりの収穫は、所有者の洗い出しから、交渉、伐採という全ての作業を地域住民の力によって完結したことにより、「地域活性化」という形の見えないものが住民それぞれの心のなかでイメージとして感じられるようになり、今後の取り組みへの大きな自信となったことである。 また、この活動がきっかけとなり、地区の夏祭りを復活しようという声が上がり、この年の夏には何年ぶりかの手づくり夏祭りを開催し、久しぶりに里帰りした人々に少しだけ変わりつつある“床鍋集落”を披露し、満足げに語り合う地域リーダーたちの姿があった。この時点では、彼らは自分たちが一番大きく変わり始めているという意識はなかったのではないだろうか。 さらに、これはその後に行政担当との会話で明らかになったことだが、木の伐採提案の時に「失礼だがこれらの森林は二束三文だ。経済的価値はほとんどないと思う。仮に30年後に木材がお金になるとしてもその頃には集落自体が消滅しているのではないか。空も見えないような地域に誰が足を運ぶのか。まず自分たちが犠牲を払って住みやすい地域にすることが必要ではないか」と少々乱暴な意見が行政マンから出されたが、これはある意味地域住民の気構えを試してみたいという気持ちがあった。結果的に集落全体で伐採に取り組んだことにより、行政も全力でこの集落の活性化を支援していかなくてはならなくなったので双方のために良かったのではないだろうか。 「この集落に不足しているものは何か?」 第2段階は、集落の将来像を描くことを目的に取り組んだ。この取り組みでは、「この地域に何が不足しているのか」「地域の誇れるものは何か」「地域の欠点は何か」「自分たちは何がしたいのか」また「何ができるのか」このような会合を数十回おこなった。この間には現場踏査やワークショップ方式の会議を実施するなど「住民参加型」以上のまさに住民手づくりの計画策定をおこなった。 その間、行政はプロデュースとサポートに徹して、住民の夢実現のための事業導入などに奔走した。 この第2段階の取り組みにより、次のような青写真を描いた。 1.地域の将来像 閉鎖的な地域からの脱却を図るために、これまでは財産として意識していなかった「地域の自然」と「廃校」を活用して、地域住民が楽しみながら地域外の人々も訪れ、時間の緩やかな流れを体感できる地域を目指す。 2.中核施設の概要 廃校の改修をおこない集落活動、交流活動の拠点施設とする。改修工事等の施設整備は、行政の事業導入に期待するが、整備後の維持管理、運営経費等は集落経営で運営する。また、初度設備、運営資金等のための出資金(400万円)を集落全員で負担することとし、運営管理者1名が常駐し、その他の人員は集落内でのワークシェアリング方式を導入し、地域の就労の場の確保を図る。 3.中核施設の機能 (1)集落生協(集落コンビニ) 集落の利便性の向上を目的として、「森のおみせ」を経営する。 経営安定のために、集落協定(世帯別の購買目標の設定)を結び経営者=消費者の徹底を図る。また、集落内で生産された農産物の販売もおこない、地産地消活動の推進も図る。 (2)居酒屋 集落の憩いの場と情報交換の場として活用する。また、農作業の休息の喫茶室としても利用する。また、地域外の利用者並びに宿泊者の食堂としても利用。 (3)宿拍室 学校の雰囲気をそのまま残して、家族、合宿利用者の交流人口拡大を目的として宿泊機能を整備する。 以上のような、集落の夢を描き第2段階を終了し、次の段階に進む。 第3段階は、順次おこなってきた住民主体のソフト事業をハード事業に移行させる作業をおこなうこととなった。ソフト事業によって策定した「集落活性化プラン」を基に、高知県総合補助全市町村活性化事業を導入し、廃校を修繕し施設整備をおこなった。この事業の実施計画、設計段階においても住民参加方式を徹底し、発注後の設計変更においても住民意向を充分に盛りこんだものとした。 この事業は、長期間にわたってソフト事業を展開した後にハード事業に移行したが、あくまでも「施設整備ありき」で出発したのではなく、事業が導入できない場合や財政状況によっては「夢」に終わる場合があることを前提に取り組んだため、非常に粘り強い取り組みが必要であった。また、閉鎖的な地域であったことから、会が活発化するまでの誘導とソフト事業の重要性の認知に相当期間を要した。 さらに、行政サイドでは予算確保、事業導入に際して議会を含めた意志統一においても「老朽化した廃校の改築」「集落経営」「集落生協」「居酒屋」というように、一般的に行政にはなじみのないものであり、また未知の部分が多く、合意形成に大きな労力を費やしたということであった。 現在、集落での運営が開始され、日中、夜間ともに集落の人々が集い、地域全体が明るく活発な雰囲気に変わりつつある。また、他地域からの訪問者も多く、祝祭日にはかつて経験したことのないにぎやかな状況が生まれている。 運営開始後1か月を経過し、販売目標も大きく上回り、地域雇用の役割も充分果している。さらに、運営を通じて地域住民の絆が強くなり、16年度から農村体験事業を実施するために新たな計画づくりを始めている。 |