「ふるさとづくり2003」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 振興奨励賞

ミニコミ誌づくりから始まったまちづくり
鹿児島県鹿児島市 ときめき・らんど はなみずき
 平成5年8月に「はなみずき編集室」として仲間5名で設立。平成8年に「ときめき・らんど はなみずき」と改称し、ただ今スタッフ15名で、それぞれの空いた時間を活かし、活動を維持しています。


こんなのがあるといいな…と気軽に始めたミニコミ誌「マイタウンよしの」の発行


 夫の里であるここ吉野に居を構えたのは、夫の転勤で西九州を7か所転居を重ねた後のこと。平成2年、夫の両親とともにこの吉野が永住の地となりました。平成4年、小学校PTAの広報部長を務めた時、地域のことを載せたいと思いましたが、定住して日の浅い私は、この地のことを何も知らないことに気がついたのです。生涯を過ごすだろうこの吉野を知りたい…。そして、PTAの広報部で学習した新聞づくりの楽しさで、地域の人々にもお伝えできたら…。
 全く単純な一主婦の軽い気持ちで、資金もなく、ただ「吉野のことをもっと知りたい」という思いだけで、吉野台地の仲間を4名募り「マイタウンよしの」を旗揚げしました。
 まずは、みんなに知ってもらおうと平成5年8月、B4裏表で創刊したミニコミ誌は、2か月後にはB4、4ページに増え、地域の商店街に広告をお願いしながら、それを運転資金に4000部を発行しました。試行錯誤しつつも、1年後には年間2000円の会費制として隔月発行し、読者へは郵送を原則としました。
 内容は、町内会・商店街・史跡の紹介、活躍している人、子育てのこと、行政機関の周知事項など視点を変えれば、材料は尽きることはありませんでした。「永く吉野に住んでいるけど知らないことばっかり・・・!」という声を聞いたりもしました。会員は、入退会はあったものの、現在350名を維持し続けています。会員のなかには、遠く離れた息子さんに送付してくださる方もあったり、また、メディアで紹介をしていただく機会を得ると、「ふるさとのことを知りたい」と遠くからも会員登録をする方もありました。
 地域の方々にももっと知っていただこうと、会員の郵送以外にも地域公民館や郵便局、吉野支所などに600部置いてもらいました。平成9年からはA4、12ページを維持し、吉野の『ひと・もの・こころ』を伝え続けました。地域外の方も「吉野に住みたいですね」という声も聞こえ、読み手と情報提供者と書き手の歯車がうまく回りつづけた10年で、多くの皆さんに支えられてきた地域情報紙でした。


地域の人々に直接コミュニケーションの場と、文化意識の高揚を願って、「はなみずき音楽祭」を開催

 ミニコミ誌の発行を重ねるなかで、直接地域に貢献できることはないかと考えるようになっていました。それは、姪っ子の所属する吹奏楽団の定期演奏会で感動を覚え、自分たちの地域でもこのような演奏会ができないものかと思うようになったからです。
 開催場所は、地域の公民館しか思い当たりませんでした。当時の公民館長に思いをお話ししますと、とても快くご理解をいただき、平成8年度地域文化祭の土曜日の夜を使わせていただくことになり、はなみずきの自主・企画・運営で手作り音楽祭が始まったのです。
 『身近なところで身近な人とともに感動を!』をキャッチフレーズに、セミ・プロの方々をお呼びするとともに、また必ず地域の音楽愛好家にも出演をいただき、心豊かに秋の夜長をお過ごしいただいています。参加者は、年々増え400名を超える音楽祭となり地域にも定着しております。なお、参加者には500円の負担をいただき、出演者の交通費、音響・照明、接待、著作権料などの費用として運営資金に充てています。
 会場が地域公民館の体育館ゆえに、出演者にはこちらの思いをお伝えしながら、当日はスタッフで手づくりの夕食を準備し、おもてなしとしています。地域の事業者や、商店街の方々にも趣旨をご理解いただくとともに、協賛をお願いし、はなみずきの思いの輪が、地域参加型の音楽祭へと発展をしています。
 さあ、8回目となる今年のメニューをただ今企画中です。吉野台地にホットでさわやかな風がふき続けることを願い、身近なところで、穏やかなひとときを地域の方々とともに過ごせることを、スタッフともども幸せに感じています。


地道に手づくりをされている方々の発表・展示の場を…「はなみずきフェスタ」の開催


 ミニコミ誌「マイタウンよしの」の取材を続けるうちに、吉野にはなんと、地道に自分の趣味や生き甲斐を持っていらっしゃる方が多いのだろうと思うようになりました。このすばらしい手づくり作品の発表、展示の場を設けてあげたら、また販売にもつながれば、制作者の次の力にもつながるはずと、「はなみずきフェスタ」を平成10年夏に立ち上げました。
 さらに、地域のコミュニケーションの場になって欲しいとの思いから、集客力のある、吉野の商店街の中心地、COOP吉野店・医療生協吉野店の会議室を借りて開催をしました。パッチワーク・陶芸・アートフラワー・生花・クレイフラワー・木目込み人形・トールペイントなど、約15店舗から20店舗の出店があり、3回目からは収益の一部をユニセフに寄附をしています。昨年5回目を開催しましたが、もう少し形を変えてフェスタを開催したいと、ただ今模索中です。


子どもたちとも直接関わりを持ちたい・・・と「はなみずきジュニア交流」

 南のふるさとづくり推進協議会に平成9年度から加入していますが、そこでは鹿児島ブロック単位の活動もあり、離島の三島村や十島村との交流もあります。三島村の硫黄島に出かけた際、子どもたちにジャンベの演奏を教わりました。ギニアのママディ・ケイタさんに指導を受けながら、三島村の文化として定着したジャンベは、島の子どもたちにもすっかり自分のものとして活かされています。
 このジャンベと島の生活・風土などを、吉野の子どもたちにも体験させられたらと、平成14年度夏に「はなみずきジュニア交流」を企画・実施しました。異年齢の子どもたち11名の参加でしたが、硫黄島の子ども会育成会の温かい受け入れに、子どもたちは徐々に打ち解け、ジャンベを演奏したりと楽しい交流をしました。島のなかを孔雀が歩き回り、自然を満喫できる硫黄島の直接体験は、子どもたちの感受性を豊かなものに育んだようです。他の地域の文化に触れたり生活を体験することで、わが街吉野を見直すきっかけになって欲しいと願っています。今年は、硫黄島に昔から伝わるお祭り、八朔おどりに参加できたらと交渉中です。


地域のなかのなはみずきの存在は・・・お祭りに「出店」

 はなみずきに関わりを持ち始めた女性たちは、目覚め、それぞれ自分の仕事を持ち始めました。すばらしいことです。そんななかに、最近は地域のお祭りなどの催し物に出店を依頼されるようになりました。スタッフも時間を調整しながら、マドレーヌを焼いたり、クッキーを作ったり。祭りの当日には焼き鳥やフランクフルトを焼いたり、おでんを作ったり、かき氷をしたりと自分たちが楽しく参加することで、地域にも還元できたらと、頑張っています。


これからの「ときめき・らんど はなみずき」の展望

 ミニコミ誌の発行を始めて10年を終えましたが、地域も社会の大きな変化の波を受け、変貌を遂げていることが見えてきました。直接地域に関わる継続的なコミュニティビジネスができたらとただ今思案中です。
 地域の課題を見つめ、福祉、生涯学習、環境と総合的な視点で、サロンの場を提供しながら。「地域サポートセンター」が開設できたら・・・と、夢は膨らんでいます。