「ふるさとづくり2005」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 内閣総理大臣賞

里山をみんなのふるさととして未来へ受け継ぐ活動
茨城県土浦市 特定非営利活動法人宍塚の自然と歴史の会
はじめに

 土浦市宍塚には関東平野では最大級の広さ(約100ヘクタール)の里山がある。ここは、つくば市、土浦市中心部からともに約4キロメートルという都市近郊にありながら、優れた景観、生物多様性に富む自然と、国指定史跡上高津貝塚、宍塚古墳群、国の重要文化財の梵鐘を有する般若寺を始めとする豊富な歴史遺産を併せ持つ貴重な地域である。宍塚の自然と歴史の会は、この里山の自然と歴史を深く理解し、特性に即したよりよい形で未来に受け継ぐことを目的として、近隣の市民によって1989年に発足した。2003年にはNPO法人となり、地元、行政と協力して次のような活動を進めてきた。


里山の碁らし、農業、文化の歴史を調ベ、広める活動

 里山の自然環境や景観は、人々が農業や暮らしに利用する中で歴史的に形成されたものである。高度経済成長期以後、農業と暮らしが大きく変化する中で、里山の様相は急速に変化した。そこで、以前の里山の姿、管理、利用法、その背景となる暮らしや農業、文化を記録し、保存することを緊急課題と考え、次のような活動に取り組んでいる。
・聞き書きの活動…会発足当初から継続して、宍塚のお年寄りから、昔の話を伺ってきた。40名以上の方からお話を伺い、それぞれ数回から数十回の訪問を重ねて、文章化した。
・文献資料、地図、航空写真、昔の写真などの資料収集
・写真、録音による記録…昔の道具などは写真で、歌、唱え文句などは録音して記録した。
・成果の公表…当初は会報に随時掲載していた。1999年には聞き書きと資料をまとめて「聞き書き 里山の暮らし 土浦市宍塚」として出版し、2005年2月にその続編を出版した。2005年版は、聞き書き編、テーマ編(農業用水、山、谷津田と稲作、畑と作物、住、食、衣、年中行事、動植物)、資料編の3部構成とした。
・聞き書きの本の普及・活用…地元、学校、図書館等へ配布し、書店で販売し一般市民にも広めている。1999年版は県の中学生向け推薦図書に選定された。2005年版も普及が始まり、好評を得ている。
・地元の古老による「宍塚の歴史」の会報への掲載…これまで77回連載し、継続中である。
・お年寄りを訪間して、「ぼろ帯」と呼ばれる野良着の帯(裂き織りの帯)を見せていただいたとき、私たちはその美しさに感激した。過酷な労働の中でも受け継がれてきた様々な文化、一人一人がもつ豊富な技に驚かされた。次第に、お年寄りたちは思い出を語るだけでなく、積極的に、技を伝えて下さるようになった。その内容は農作業のあれこれ、昔の遊び、藁ない、草履作り、注連縄作り、味噌や納豆つくり、蚕からの糸とりなど多岐にわたっている。縄綯いを教わった大学生たちは、練習して次には一緒に子どもたちに教えるようになった。また、伝統行事のうち、近年廃れていた「青屋箸」(旧暦6月にすすきの箸でうどんを食べる)に会として取り組み、好評を得た。会主催の秋の収穫祭では地元の行事食「ぬっぺ」をお年寄りの指導で作り、参加者から喜ばれた。


里山の自然について語ベ、保全方法を探る活動

 筑波研究学園都市の研究者を中心とした各分野の専門家の指導を受けながら、自然環境の調査を継続的におこなっている。その結果、植物681種、鳥類143種、トンボ51種、蝶類64種を確認するなど、宍塚が関東平野でも極めて生物多様性に富んでいる地域であることが明らかになった。その成果は会報、調査報告書などで発表してきた。また、4回の全国的なシンボジウム開催(オニバスサミット、里山サミット、サシバサミット、ため池シンポジクム)をはじめ、学習会を度々開いて保全方法を探ってきた。現在も日本自然保護協会や東京大学保全生態学研究室と協力して多分野の自然環境調査と保全方法の研究を進めている。


里山を保全、再生する活動

 農業と暮らしの変化に伴い、放置される林、畑、田が増え、ごみの投棄もあり、里山は荒れていった。そこで、こうした状況を改善し、生物多様性と景観を保全再生するため、会の中に設けた「里山さわやか隊」を中心に、次のような活動を行なってきた。
・林の植生管理…1989年より地主と協力して、長年放置された林の下草刈り等の作業を進めてきた。その結果、生物の種類の多い、心地よい林が蘇ってきた。手入れをする林の面積は次第に広がっている。
・水路の整備…用水路周辺の草刈、底ざらいなどを継続して行なっている。その結果、明るくなった水路にマシジミやドジョウなどが増え、子どもたちが遊べる小川が戻ってきた。また、ビオトープ池も整備している。
・谷津田米オーナー制度の実施…生物の宝庫であるが耕作条件の悪い谷津田で、農家が耕作を継続できるようにするため、市民が出資し米を買い取る制度を設けてきた。こうした活動の中で、荒地化した田を復田して稲作を始める地元農家が現われ、谷津田の耕作面積が年々増加している。
・体耕田の草刈…多様な生物を育む環境を復元するため、耕作放棄され、背丈を超えるセイタカアワダチソウに覆われた谷津の草刈をすすめてきた。その結果、サシバ(渡り鳥の鷹)の採餌が見られるようになり、広々とした谷津の景観が蘇った。
・体耕田の復田、畑の復元と利用…谷津の休耕田を復田し、そこで、農学専門家を塾長とし、地元農家の協力で稲作りを学ぶ「田んぼ塾」塾生を中心に、古く地域で栽培されていた餅米品種、古代米などを無農薬で栽培している。農作業に地元小学生をはじめ、ボーイスカウト、障害者団体、一般市民などが参加する。畑は「里山ふれあい農園」と名づけ、会、会員が分担して耕作している。地元のお年寄りから指導を受け、大豆などの収穫物の加工にも取り組んでいる。林や池の管理作業で得た落ち葉やハスの葉などを堆肥にし、林の材でキノコも栽培している。
・溜池の生物多様性を保全するための活動…野生のハスの増殖、ブラックバス等外来生物が池の生物相に悪影響を与える状況がおこってきた。そこで、土浦市から委託を受けハスの除去作業を継続して行なってきた。2004年には、試験的に池の水抜きを行ない、外来魚捕獲にも取り組んだ。絶滅危慎植物であるオニバスの系統保存も行なっている。
・道の草刈と整備…観察路の草刈、道普請などに継続して取り組んでいる。
・ごみ拾い…行政の協力を得て、大型ごみの撤去も含めてごみのない里山作りを進めてきた。


子どもたち、若者、市民へ、里山の価値を知らせる活動―環境教育活動

 里山の中で、四季の変化を楽しみ、遊び、生き物に触れ、土と親しむ体験は子どもの健全な成長に大きく役立ち、大人にとっても有意義なものである。そうした里山の教育力を生かすために環境教育に積極的に取り組み、次のような活動を進めている。
・観察会の実施…年間約80回実施し、のべ千数百名が参加している。専門家を講師にしたテーマを絞った観察会、遊びながら自然を学ぶ「子ども探偵団」、土曜観察会など。
・学校教育、生涯教育との連携…「環境教育部会」で学習方法や教材の閉発をし、学校(小学校から大学まで)の校外授業、公民館等の野外学習に里山の活用を呼びかけ実施に協力している。とくに、地元の宍塚小学校は会と連携して谷津田での稲作りや、オニバスを育てる活動、里山の学習などに継続して取り組んできた。その結果、100人に満たない小規模校にもかかわらず、2000年以来、里山などをテーマとした壁新聞作りで「子どもエコクラブ全国フェステイバル」に3度も県代表となり、2002年には環境大臣の表彰を受けるほどの成果を積み上げている。
・学生サークルの受け入れ、援助…東京の環境問題サークルの大学生たちが毎月訪れて地元の方々や会員の援助を受けながら農作業、林の手入れ、縄ないや草履作り、食品加工などに取り組んできた。継続した活動の中で、彼等は里山の自然や文化を受け継ぐ意義を学び、着実に成長している。
・広報活動…毎月の会報(月刊16ページ)、子ども向けお知らせ(年11回、1万4000部ずつ配布)、リーフレット、各種パンフレット等を発行し、1999年からホームページを運用。


宍塚の里山をみんなのふるさとに

 かつて、村の人々は農作業、屋根葺き、水路や道の整備、祭、人生儀礼など、多くの場面で協力して働いていた。その強い絆と膨大な労力が里山を支えていた。しかし今後、里山を保全するには、地元だけでなく、より多くの人々の力、さらにそれを支える行政の力が必要となるであろう。地元住民と周辺市民が、この里山について共通認識を持ち、自分の大切な場所として、積極的に関わっていけるかどうかが、里山保全、再生の鍵となる。宍塚では最近、保全、再生活動の結果、里山を訪れる地元の人たちが増え、日常的に通ってくる周辺住民も増えてきた。昨年の秋、会が主催した収穫祭には約300名の人が集まり、地元の参加者も増加した。宍塚の里山を共通の場として、出身地、職業、年齢、性別様々な、新たな人々の絆が生まれてきたといえる。地元出身者も、他地域出身者も、この里山に憩い、農作業や保全活動に汗を流し、生き物とふれあい、さらに地元の記憶、伝統を受け継ぐことによって、ここに自分自身のふるさとを再生、創生しているのである。そして、今、多くの子どもたちがこの里山で育ってきている。今後もより多くの人々が宍塚の里山を自分のふるさとし、未来へ受け継いでいけるよう、様々なつながりを深めて、さらに活動を進めていきたい。