「ふるさとづくり2005」掲載 |
<集団の部>ふるさとづくり賞 主催者賞 |
天神崎の自然保護活動 |
和歌山県田辺市 財団法人天神崎の自然を大切にする会 |
田辺湾一帯の自然と天神崎 紀伊半島の西岸のほぼ中央部に位置する田辺湾(和歌山県田辺市)は、黒潮(枝流)の影響を強く受けて、沿岸海域は暖流系の豊かな生物相を育み、また、陸域においても同じ傾向を含んでいる。湾内の海岸地形は複雑で、たくさんの大小の枝湾(入り江)があり、また、海底地形は起伏に富み、岩礁(あるいは暗礁)が多い。暖流の影響に加えて、これらの複雑な地形的要素が、湾内に多様な生物の生息を可能にしている。 湾内には、神島(国指定天然記念物)、畠島(京都大学臨海実験地)、沖ノ島(サンゴが豊富)などがあり、この海岸一帯の自然景観は古来多くの人々に親しまれてきた。 天神崎は田辺湾の北側に突き出た小さな岬で、少し潮が引くと平らな岩礁が広がり、この岩礁(磯)は豊かな海辺の生物を安全に観察できる場所となっている。しかも、その背後の丘陵地は海岸林(照葉樹林)と湿地とからなり、暖地性植物・昆虫をはじめ、湿地の生物相も豊かな場所である。 天神崎は市街地に近く、しかも景勝の地でもあることから、市民の憩いの場(遠足・散策・魚釣等)として古くから親しまれてきた。また、天神崎を含め、この地域一帯の海岸の自然(海岸林・海辺)は、和歌山県立自然公園として指定されている。 天神崎保全運動 (1)運動の起こりと初期の経緯 1974年(昭和49年)、天神崎の丘陵地の森に別荘が建設される計画を知った市民は、この丘陵地の森林を保護したいことと、森林を壊すとその周辺の岩礁(磯)の自然にも影響が及ぶことを踏まえ、「天神崎の自然を大切にする会」を結成してこの保全に取り組んだ。市民は当初、署名活動により行政的な解決を求めたが、県立自然公園であるものの、和歌山県・田辺市ともにその解決策(保全策)がなかった。そのため、会は何度も議論をし、悩んだ結果、やむを得ないこととして募金による買い取り運動へと進まざるをえなかった。しかし、この募金活動には賛同しない市民(会員)も多く、そのために新たに別の団体である「天神崎保全市民協議会」をつくって募金活動(市民地主運動)をはじめたのである。この時、市民はそれが「ナショナル・トラスト運動」だということは知らなかった。 一方、別荘建設を計画している会社は、借入金により土地を購入し、すぐに別荘を建設したいという計画であったため、買い取るならば早急にして欲しいということを大変強く厳しく要求された。この願いに応えるために、寄付金のほかに近隣の学校の先生方はじめ多くの人々からの借入金等により、何とか対応をしてきた。このことは本会として、運動の初期の最も困難な課題であり、苦心したことの一つである。このことを、外山八郎は、「バケツリレー的なことだった」と表現している。 (2)全国的な支援と国の対応 1982年、和歌山県と田辺市との予算により、天神崎の土地取得のための支出をすることになった。本会が借金をもして取得した土地(5000万円相当分)を公有地(市有地)として買い上げたのである。このことが“行政による支援”という意味として受け止められたのか、あるいは“和製のナショナル・トラスト運動”として各種の報道により全国的に紹介されたためか、この時期から大変多くの寄付金が全国各地から寄せられることになった。その結果、1985年、寄付金により別荘予定地については何とか取得できたのである。 1982年、斜里町は知床100平方メートル運動5周年を記念して「日本におけるナショナル・トラストを考える」シンポジウムを開催し、そこで、事例報告をしたのが、長野県妻籠宿、岡山県郷土文化財団、北海道小清水町、そして天神崎であった。これを契機にナショナル・トラスト運動のことが、広く知られることになり、本会への寄付金はさらに多くなった。 1982年、環境庁に「ナショナル・トラスト研究会」が発足し、知床と天神崎から運動についての報告を受け、また、それぞれの現地視察も行なった。1983年、環境庁は、ナショナル・トラストの日本名を「国民環境基金」とし、衆議院環境委員会(1984年)・参議院環境委員会(1985年)が相次いで天神崎を視察した。 1986年、長年の課題であった財団法人設立基金(5000万円)が整い、県知事から「財団法人天神崎の自然を大切にする会」の設立が認可され、それとともに、「天神崎保全市民協議会」を解消した。また、1987年には、特定公益増進法人に、自然環境保全法人(ナショナル・トラスト法人)として認められることになり、(財)天神崎の自然を大切にする会がその第1号に認定された。 活動の内容と現状 本会への寄付金の受け入れは次の通りであるが、近年は募金額・会員数がともに減少し、会の運営は大変困難な状況である。しかし、私たちは、多くの会員や全国からの支援に支えられながら、募金活動や各種の事業に取り組んでいる。 (1)募金活動(表1参照) @心の地主募金…土地取得のための資金 A基本金拡大募金…法人の運営の安定化を図るための基金 (表1 募金額の累計)
(2)会費…正会員・賛助会員の会費。本会の運営・各種の事業資金。(表2参照) (表2 会員数の推移)
(3)各種の行事・事業 @「天神崎通信」(年1回)と「天神崎だより」(年2回)の発行 A自然観察教室の開催(年2回) B見学・訪問者への対応(案内と説明)…申し込みによる。年間30〜40件 C子どもの絵画展 D田辺湾海底環境保全事業とその写真展など(平成15年度〜16年度) E各種の団体からの支援活動…音楽会・絵画展・舞踊の会など F自治体や環境団体(和歌山環境ネットワーク)が行なう環境関係の行事等への出展 これらの行事・事業の中で、田辺湾海底環境保全事業は、田辺市や国土交通省などからの支援と、多くのダイバーの皆さん(大阪や地元のダイバー)の協力を得て、田辺湾内の海底のゴミを拾い、写真とビデオを撮ってもらった。そして、それらの成果を写真展として開催し、約80点の写真を展示し、ビデオを映写し、ゴミ(バイク等)の展示をも行なった。 また、2004年(平成16年)2月に、本会の取得地である山林で不審火による火災(2000平方メートル、被害250株)がおきた。ところが、その焼け跡地に、市内の中学校(1年生)の子どもたちと小学校(6年生)の子どもたちが植樹をしたのである。火災が起きたことは誠に残念であるが、子どもたちのこうした思いが、苦しい運動を続ける私たちの活動を支えてくれたことになり、私たちは改めて自然環境保全への大切さを強く実感したのである。 保全地である湿地は、昔は水田だったが、年々埋まってくる状況であった。田辺市の事業計画(2003年度〜2004年度)により、この湿地を元の水田のように再生してくれた。その結果、現在、この湿地には、ハンゲショウ・ミズオオバコ・ミズワラビ.キクモなど、本来の水生植物が生育し、水生昆虫も多く増え、カスミサンショウウオやシュレーゲルアオガエルなども産卵している。 これからの課題と未来に向かって 本会は、運動が始まった時から、この運動は「未来の子どもたちのために」という夢を追ってきた。その後31年の間、多くの人々が見学や学習に来ている。そうした中で、何にもまして嬉しいことは、31年前に唱えた「未来の子どもたち」が、今こうして、この地の自然に親しみ、学び、そして、楽しんでいることである。幾多の困難を乗り越えながらの、苦しい活動の連続ではあったが、今訪れる子どもたちの笑顔により、それらは喜びにかわり、そして、そのことが大きな成果なのである。さらにこの成果をなお次の「未来の子どもたち」にも伝えていきたいのである。 保全を目標とする天神崎海岸林(約18ヘクタール)の約41%が田辺市と本会による保全地(取得地)となったが、保全運動はなお続く。自然や環境の保全に関する法律等は、これまでにも数多く制定され、近年では、「自然再生法」や「環境の保全のための意欲の増進及び環境教育の推進に関する法律」が相次いで施行された。私たちの運動が、こうした法の制定にもつながってきたのであろうかと思うと、長い年月にわたって多くの人々が流してきた汗と努力が、いくらかでも報われるような思いである。それにしても、現状では、ナショナル・トラスト運動(募金による土地の買い取り)は、まことに苦しい。自然環境の課題がますます増大する中で、「未来」という大きな夢のために、他の保全策をも含めて、それらと併用できる方途はないものか。そういうことをも探る取り組みも考えていきたい。 |