「ふるさとづくり'87」掲載

秋田福祉リサイクルセンター
秋田県 親和講
 昭和59年4月、高齢者や身障者の社会参加と資源リサイクルを図るために、秋田福祉リサイクルセンターの建設を目指して運動はスタートした。
 リサイクルセンターの構想は、もともといまから7、8年前に「あすの秋田を創る生活運動協議会」で持っていたが、なかなか取り組むことができずにいた。この構想を聞いた私たち「親和講」が、メンバーのいろいろな職業、能力を出しながらやろうということになった。それがそもそもの始まりである。


一円玉募金とステッカー配布運動

「親和講」にとっては、秋田福祉リサイクルセンター建設に取り組んだのが初めての活動ではなかった。親和講の“前身”は気の合った仲間7人で結成していた親子会であった。不満や悩みを腹から打ち明けられる飲み仲間といった方がピッタリする。そのうち誰からともなく言い出した。「こうしてうさをはらすだけでなく、何か世の中のためにできることはないだろうか」と。
 そして55年12月、12人に増えた仲間で親和講が誕生した。会といえば会則に縛られるような気がして“講”の名がつけられた。現在のメンバーは32人。年齢は32歳から70歳で、平均48.9歳といったところである。自動車販売業や看板店、レコード店経営者からトタン屋さん、タクシー運転手と職業もさまざま、地域も秋日市のほぼ全域にわたっており、河辺町の会員も一人含まれている。
 さて、その活動は、まず1円玉募金を挙げなくてはならない。年に4回の例会に会員が1円玉を持ち寄り、これまで数10回に渡り、県災害遺児愛護会に寄付した。1回の寄付金は4000円から5000円だが、「家の引き出しに眠っていた1円玉を集めた」ことが社会福祉につながっていくし、「何気なく集めた」1円玉の重さを会員たちはいまかみ締めている。1円玉募金というのはよくあることで、やれば誰でも簡単にできることである。要はやるかやらないかであり、その点で会員が身を持って実践したという意義は大きい。
 もうひとつは「安全宣言車」と「交通安全宣言の家庭」の2種類のステッカー配布運動である。500枚ずつ作成して会員に分配し、近所や知り合いの家を直接会員が訪ね歩いて2枚1組100円で売るとともに無事故を誓った署名を集めた。集まった署名簿を世話人が県交通安全対策課長を訪れて手渡すとともに、原価を差し引いたお金をやはり同愛護会に寄付をした。なかにはひとりで86人の署名を集めた会員もいた。
 この話が新聞で報道されると親和講に問い合わせが相次いだ。「私も次回から協力したい。なんとか200枚のステッカー下を割り当ててほしい」という声である。自分たちで行ったことが他人の共感を呼び、それが広がっていくことはうれしいものである。ステッカー運動は毎年春と秋に実施していくことにしている。
 親和講では「主義・思想・年代を超えた合意」をモットーにしている。6月6日には家族ぐるみで秋田市クリーンアップ作戦に参加する。下浜・桂浜海岸を担当し、楽しい仲間づくりの輪を広げている。


資金調達と福祉リサイクルセンターの建設

 福祉リサイクルセンターの建設は、何しろ行政の補助を一切もらわず、まったく親和講独自の力でやることになったが、資金調達に悩んだ末、昭和59年8月27日、民謡と歌謡のチャリティショーをやろうということになった。民謡は地元の日本一にお願いし、歌謡は親和講のメンバーのなかにプロ歌手がいたので、これ幸いと出演してもらった。だだ親和講にとっては秋田市文化会館の大ホールに2000人を埋める初めての大事業だけに、券をどうさばくか苦心した。
 家族、職場の同僚、地域住民、友人と会員一同が奮闘の結果、当日は800人もの入場者があった。単なる歌の鑑賞ではなく、福祉と資源再利用への理解の深い人数と一同感激した。
 建設の場所は、会員のなかでもいろいろと意見が出た。人が集まりやすい市の中心に近いところ、土地が安く、ある程度の物が展示販売できるスペースのあるところ、車がある程度駐車できるスペースのあるところなどの意見があったが、結局、山王の比較的市街地に近い場所が見つかった。県庁、市役所からも2キロほどで、釣り堀センターの跡地である。
 釣り堀センターの跡地の有効利用を図るため、池の水をポンプで抜き取り、そのなかに数本の柱を立て、板を敷いた。ちょうど地下倉庫がでてきたかたちとなり、その上が展示、販売場となる。
 ちょうど会員のなかに電気屋、設計屋、水道屋、建設会社員などがいたので、会員の能力をフルに活用したかたちで建設がすすめられ、その作業は日曜、祭日、会社の仕事が終わってから毎日延々と続いた。


事業推進に市民ぐるみの協力体制

 秋田市の粗大ゴミの収集や高齢者・身障者の社会参加を目指すことになったが、とても親和講だけで運動を展開することはできない。市民の協力と理解を得るためには、いろいろな機関・団体の協力を得なければ浸透しないし、広がらないということで「あすの秋田を創る生活運動協会」の協力をいだだきながら、秋田福祉リサイクルセンターの運営委員の委嘱をすることになった。
 昭和59年7月、第1回運営協力委員会を開催、具体的なリサイクルセンターの運営について協議、協力を依頼した。秋田県障害福祉課、秋田県社会福祉課、秋田市環境保全事務所、秋田市シルバー人材センター、秋田市社会福祉協議会、秋田市身体障害者協会、秋田市手をつなぐ親の会、秋田大学付属看護学校、秋田市ボランティア連盟、(社)あすの秋田を創る生活運動協会、秋田市集団回収推進協議会、秋田市連合婦人会、秋田市生活学校連絡協議会、秋田県シルバー会議、以上あらゆる分野の方々の協力を得ながら民間主導で事業を推進することとし、高齢者や心身障害者の生きがいづくりをめざすことを再確認した。
 同年9月第2回運営委員会が招集され、オープンも大詰めに入り、最終的な協議に入った。とくに一般市民の方々の善意も後を絶たず、それだけ期待感もすごく、大きいものにふくれ上がっていることを肌で感じた。しかし本音は自信がなかった。物が集まるだろうか。求める人が来るだろうか。採算ベースになるだろうか。赤字になったらどうしようかと、不安にさいなまれた。これはいつわりではない。全員が口に出さないだけである。でも合意と相互の信頼、確乎たる信念を持ち、互いに励まし合い、頭を打たれる覚悟でオープンをめざした。一地域で小さく地道にボランティア活動をしてきだ親和講が、かくも社会的にも大きい期待をもたれるまでになった。
 いまは常に(社)あすの秋田を創る生活運動協会からの指導があってのことと会員一同感謝している。この相互の連帯を意図しリサイクルセンターのシンボルとして「善意の家」(愛称募集)は「善意」「感謝」「奉仕」を基礎としている。
 何しろ秋田県では初めての事業である。失敗は許されない。心配ばかりしていてもはじまらないので、ちょうど隣県の岩手県に盛岡福祉バンクという似たような施設があり、成功していると聞いて、オープンを前にしてリサイクルセンターの職員に内定していた一職員を1週間派遣した。
 研修期間中、仕事だけでなく職員と共に寝起きし、身障者の心をじかに研修してもらった。そして、粗大ゴミの回収から修理、展示などあらゆる技術やしくみや態度を学びとってもらったのである。
 昭和59年10月6日、ついに秋田福祉リサイクルセンターのオープンにこぎつけた。当日は県や市の代表をはじめ、関係団体も30人くらい参加し式典が行われた。また、愛称募集に応募し、入選した人の表彰もあわせて行われ、愛称「善意の家」はオープンした。当日の来所者は地元の町内の主婦を中心として、報道で知ってかけつけた人たちでおよそ500人にものぼった。


売上金の利益は社会福祉に還元

 行政と民間の二つの立場は決して対立するのではなく、もっと協力し合い、よりよいものをつくっていくという面が必要である。
 オープン以来2年間、懸命に運営に当たって、その活動のなかから学び得たことは余りに多すぎる。そのなかで特筆したいことは、任意団体で福祉事業に着手した場合の法的認知の問題、すなわち当リサイクルセンターは社会からの大きな反響があり、大きな期待がかけられている。その反面内部の企業基盤が充実されていない。例えば雇用者に対する保障問題、安心して働ける職場づくり、それには社会福祉法人化することが緊急課題の一つである。
 また現在の場所は借地で高い地代家賃を支払っており、経営面で大きな負担となっている。土地の賃貸契約期間は3ヶ年で残りは1年間。果たして更新できるか、仮にできたとしてもさらに値上げなどが考えられる。また入荷状況からして場所が狭く、すでにいま現在もパニック状態である。これも緊急課題の一つであり、10月に運営委員会・理事会を開催し、この2件を審議し、積極的に各関係に働きかけ、1日も早く法人化に向け努力することになった。
 売上金の利益は社会福祉に役立てさせていだだくことで理解を得ている。この2年間の実績で金銭でばできなかったが、物の面で還元できた。
(1)市内の施設に衣類、オルガン、自転車、また1円募金など。
(2)一般市民に対して衣類、学習机、オルガンその他無科プレゼント。
(3)中国永住帰国者(8名)に対しての家庭用品一式の贈呈(秋田市福祉課よりの依頼)。いずれも非常に好評であったので、今後も併せてできることで還元していきたい。


リサイクルの意味をよく知っている外国人

 外国の方たちもセンターをよく利用する。中国人は、常連のように来て何かを求めている。その対話のなかから得ることは物を大事に扱うことである。値段が安いからではなく、まだまだ十分に使用できるものをなぜセンターに持ち込むのか分からない。
 最近、秋田にアメリカの友だちも多くなり、当センターの利用も多くなってきた。アメリカ人は非常に割切った求め方をしている。とくに寝具、衣類、家庭用品等についてはそうだ。両者はリサイクルそのものの意図をよく知っている。また奉仕で成り立っていることもよく知っている。
 現在、当センターに来る地元の人は何か掘出し物を求める人が多数で、あまりほめられたマナーでない。
 法人化することによって多くの問題が解消されることは明白であるが、これは一朝一夕にできるものでもないと思う。その間できるだけ内部の充実を図り、研修を重ね、基礎づくりに努力したい。法人化したあかつきには、当初の目的である高齢者と心身障害者の雇用の拡大・ボランティアの導入も可能となり、市民の善意にお答えすることができると思う。
 いままで以上にあすの秋田を創る生活運動協会を始め、運営委員会、役員会の英知と協力を得て、1日も早く法人化に向け、市民、県民運動として展開していきたい。