「ふるさとづくり'87」掲載

過疎を逆手にとるまちづくり
広島県 過疎を逆手にとる会
鬼サミット

 岡山県の新見市で、過疎を逆手にとる会イン新見「鬼サミット」を開いた。
 岡山県のシンボルの桃太郎を退治した鬼とはいったいなんであったのか。もしかすると時の権力や流れに抵抗し、地方文化を主張し統けた山人、私たち自身ではなかったのか。という視点に、新見の仲間たちは燃え、「桃太郎を目ざすことをやめ、山の都市新見は、新見らしく、鬼の文化を創造しよう!」となったわけである。「桃太郎が日本一だから、それと闘った鬼も日本一になれる!」と持ち上げたところ、「鬼ならうちが先進地!」と京都の大江山から「鬼酒」や「鬼まんじゅう」を持って参加する人も出て、80名を越える会になった。
 その会の終了後、その会に関わった人の手により、本物を見る会「鬼サミット」、プルーンを哲多町の特産にする会「わるさ神の会」、農業後継者が輝く会「オンリー1クラブ」があいついで生まれた。
 過疎を逆手にとる会は、いまでは、面白いまちおこし集団になっている。


廃校をふるさとセンターに

 過疎を逆手にとる会の源流は20年前にさかのぼる。
 レクリエーション活動で磨いたもち味を、どこかで発揮してみたいと始めたボランティア活動がスタートである。その当時から「まちづくりへ力を!」という声はあったが、「それはまだ面白くない。20年もたてば、面白くなるだろうから、その時、いまの情熱と人脈をいかしてやればいい」というその場の流れの発言が、15年後に過疎を逆手にとる会を生む原動力になった。
 そして、その姿が見えてくるのは、約10年前の総領町での廃校を活用してのサマーキャンプづくりである。 
 「私の町の救世主になってください」というキャッチフレーズを武器に企業誘致には成功したものの、そんな他力によるまちづくりでは、いつまでたっても、広島や東京の2番せんじのまちづくりしかできないことに気づいた。
 日本一のまち、誇れるまちをつくるためには「総領にしかできないまちづくり。東京にはできないまちづくりが大切」と、東京にない宝捜しをした。そして掘り当てたのが、廃校、廃屋、雑草、老人といった過疎のマイナスイメージの象徴ともいえるものであった。
 そのひとつの廃校を活用して行政の手でサマーキャンプを試みようとしたところ、「行政が塾と一緒になってやるのは許せない」という反対にあってしまった。
 しかし、その反対のおかげで「それなら私たちの手で!」とボランティアやレクリエーション活動の仲間が集まってきて「県北をおこす20人の仲間たち」をつくり、サマーキャンプを主催した。その営みが「町外から人をつれ込んでのまちづくりは面白い」ということになり、廃校を改造した研修施設「ふるさとセンター総領」の建築へとつながった。そしてその何もない施設を輝かすために、あの「20人の仲間」と町内の青年やお母さんを組織して「総領町リーダーバンク」が生まれた。
 そのリーダバンクが「ない」を武器に「落書きだらけのピアノ購入運動」などを次々と成功させ「総領だけの会にとどめるのはもったいない」「過疎を逆手にとってのまちづくりは面白い」と過疎を逆手にとる会づくりへとなった。
 なにもしない町や村。そこで孤軍奮闘するまちづくりに目ざめた人たち、この浮いてしまいやすい人たちが、学習する場。失いかけているやる気を再生する場にしようと、20人ばかりの小さな会を目ざした。
 しかし、その名がユニークなためか、あるいは、自前のまちづくりが待望されていたためか、あっという間に、会員200名を越える超広域の会になってしまった。


まちおこしキャラバン隊

 しかし、過疎を逆手にとる会とは名ばかりで、会則を否定する申し合わせを持ち、やりたいものと、やれるものが、気軽に営み続けている。
 その活動の中心は、会員の町や村を訪問して、そこの手づくりの料理を肴に、地酒を飲みながら進める「過疎を逆手にとる会」である。
 呼びかけは、やりたくなった会員の1人。その地の仲間を「この指とまれ」とそのつど集めて、その地やその人にふさわしいテーマや会場を選んで進める。その決まった企画は、2ヵ月に1回発行する機関紙を通して会員にPRされる。しかし、人集めの中心は会ではなく、その企画を進める人たちで、多くの場合は、地元20人、会員10名ぐらいの参加が多い。
 ・過疎を逆手にとる会          (広島県総領町)
 ・廃校を文化創造の拠点にする方     (〃)
 ・廃家に文化人をつれ込む法       (〃)
 ・市町村独立のすすめ 永六輔イン三次  (広島県三次市)
 ・リゾート(理想都)羽須美をしゃぶる会 (島根県羽須美村)
 ・なにはなくとも、名所名物は名人がつくる(広島県上下町)
 ・新春放談会 NHKと遊ぶ会      (広島県三良坂町)
 ・雑草を喰う会             (広島県東城町)
 ・老人パワーを宝にする法        (〃東城町)
 ・喰えない和牛を喰う会         (〃ロ和町)
 ・「谷」を逆手にとる          (〃比和町)
 ・むらおこしサミット          (〃作木村)
 ・本物の農業にせまる会         (〃布野村)
 ・日本一の農業を創る会         (両山県美星町)
 ・婦人パワーをいかす会         (広島県庄原市)
 ・出べそ放談会             (〃世羅)
 以上は、これまでやってきた場所とテーマの一部であるが、やるたびに、2.3人の会員が増え、「過疎は魅力ある可能性」という思いを強くする仲間たちである
 学習するだけでなく、一つイベントを打ってみようと「りんごの歌コンテスト 広島県三次市平田観光農園」を企画したり、両山県の湯原温泉での「露天風呂はだかん坊サミット」も決まっている。調子に乗った仲間たちは、全国の仲間の町や村をまわる「まちおこしキャラバン隊」をやろうなどとはしゃいでいる。


東京ではできないまちづくりシンポジウム「逆手塾」

 夕方6時半から始まって、11時頃に終わる前述の会では、つっこみ不足になる。また広域になった仲間を集めるには力不足のところもある。そこで、深い交流もしたいと、年に1回、会の白発祥地である総領町で「逆手塾」を開いている。
 ・過疎の時代を拓く  (1983年)
 ・誇れる町づくり   (1984年)
 ・女が主役のまちづくり(1985年)
 ・一味ちがうふるさと産業おこし 企業誘致はいやよ!(1986年)
 この逆手塾は、過疎を逆手にとる営みのなかで手にした、「マイナスをプラスにする法」は過疎過密を問わず時代を越えて大切な術、という視点に立って仕組まれている。また、まちづくりシンポジウムばやりのなかで、東京ではできないシンポジウムを企画のポイントに置き、学術的よりも実践を重視し、洗練された会よりも土の香をとどめるみんなで作る会を目ざし、ゲストには一流よりも、次代に輝く二流を大切にし、食べて、飲んで、深く関わるホットな会に、こだわっている。
 そんななかで生まれた人脈は、視察合戦、応援合戦へと広がっている。第1回に参加した香川県小豆郡池田町の八木壮一郎氏は、「まちを変えるには町長を変えなければ!」とみんなからたたき込まれ、1年もしないうちに町長になり、「全国池田町サミット」を開催するなど、うれしい話も少なくない。


まちに元気を出す集団へ

 過疎を逆手にとる会はあと5年で卒業と考えている。いつまでもこの会が過疎地は救われない。また、この会の仲間たちは、「過疎は魅力ある可能性」と確信し、手にしたたかに営み出した。
 農村特有の足引っぱりに対しても「歴史は悪者が創る」と、厳しさをテコにして創り出してもいる。そんな、楽しそうで、したたかな生きざまを見せびらかして、後継者を育てようとする仲間たちにとって、もう過疎を逆手にとる会は不要である。
 「こんなに困っているのだから、ここに生まれたおまえは、まちづくりをやるべきだ」のまちづくりの時代は終わった。私の都合、私の趣味など「私」最優先の時代のまちづくりは、「面白そうだから」「もち味が発揮できそうだから」といった私を満足させ、を輝かすような主体的参画を中心にした営みが大切と考えられる。いい変えれば「遊び半分」のまちづくりである。
 落ち目の丹後ちりめんの復興を夢見て、『子午線ガムシャラハイク』や『端午の節句に丹後でタンゴの音楽会」などのイベントを積み重ね、NHKのニュースにのり、いつかは朝のテレビドラマにちりめんを取り上げてもらおうとする網野町の仲間たち。過疎地をヨイショするついでに、手づくりの祭を広島に取りもどそうと広島城を借り切って「田舎を飲み喰い語る会」を展開する広島の仲間たち。「遊び半分のまちづくり集団」が、過疎を逆手にとる会のまわりで、キラキラと輝き始めている。
 輝くまち、日本一のまちは、誰かにさせられる営みのなかからは生まれてこない。一人の人間の力がきわめて小さく、無力に見える時代ではあるが、私たちは「現代の先進地は一人で創れる」をモットーに「輝く明日」を目ざしている。その営みが、失われた地域の活力や失れたまちづくりへのやる気や情熱を取りもどすと信じて、いつまでも、まちやむらに元気を取りもどす集団であり続けたい。