「ふるさとづくり'88」掲載

私たちの館コミュニティセンターの建設
栃木県石橋町 石橋地区コミュニティ推進協議会
かすむ山なみ 日光筑波

 北から南へ 姿川……と町民音頭にもあるように関東平野の真っただ中にあり、青天の日は遠く秀峰富士も拝める栃木県下都賀郡石橋町は、県都宇都宮から南へ15キロメートル、東北本線と国道4号線に洽って、面積22.79平方キロメートル、隣接する南の国分寺町に次ぐ県下で2番目の小さな町である。
 昭和59年に合併30周年を迎えた。かつて農業中心から複合的な地域構造を持つ町へと変ぼうした。当時12,000人だった人口も現在は19,000人とふえ、世帯数は5,300戸、その世帯の半数で旧市街地を形成している。散歩がてら10分も歩けば、すぐそこは広々とした田園風景となる。今はたわわに実った稲穂が9月の風にゆれて、天智天皇の「秋の田のかりほの……」と詠じた百人一首の風情そのものである。夏ともなれば、干瓢の花が夕闇に白く光り、炎天の庭先に干された干瓢が滝なすすだれとなってゆれる。


活動拠点となる施設がない

 その歩いて10分の範囲内にある6町内――上町・寿町・石町・旭町・本町・栄町を対象区域とする石橋地区コミュニティ推進協議会は、昭和55年度に栃木県のモデルコミュニティ地区の指定を受けて発足した。石橋地区コミュニティ推進協議会は、文化・スポーツ・福祉・生活環境の4つの部会があり、一部会12人、合計48人の委員や自治会長が「みんなが協力し合って心のふれあう 明るく住みよいまちをつくろう」の基本目標に向かって活動を開始した。
 しかし、今後のコミュニティ活動をより一層充実させるためには、みんなが気軽に集まれる活動の拠点となるべき施設が必要だとの意見が多く、石橋地区コミュニティ推進協議会と石橋町でコミュニティセンターの建設用地を選定することになった。当初、町からは地区内に1つのコミュニティセンターを建設する案を示されたが、各役員からは地区内には中央公民館などの公共施設は整備されており、地区の人たちが気軽に集まったり、話したりするような身近な集会施設がほしいということになった。
 町との接点をもとめて、2,500分の1の地図を卓上に何回かの会議を繰返し、幼児の活動範囲といわれている半径500メートルの円を地図におとしてみたりしながら、3館とすれば地区がなんとかカバーできるとし、国道4号線の東側に1か所(3号館)、西側に2か所(1号館、2号館)の計3か所に建設する案をまとめ、町と折衝し了解をとる一方で石橋地区コミュニティ推進協議会のなかに、自治会長など15人からなる「用地取得小委員会」を組織し、候補地を選定し、所有者との交渉に入ったが、6町内はなにせ石橋町の中心街で住宅密集地のなかの用地確保は大変困難を極め、最終的には、官公地で充てることはできないかとの話しとなり、1号館を県立石橋高等学校教職員住宅跡地(県有地)、2号館を町営住宅跡地(町有地)、3号館をJR石橋駅舎南側の国鉄職員住宅地(旧国鉄用地)の3か所にしぼり、町に土地確保の協力を要請した。幸い町側の熱意により用地取得の目鼻もつき、どんな施設としたらいいのか、せっかく3か所造るのだからなにかそれぞれに特徴を特たせてはどうか等が議論となり、「コミュニティセンター建設委員会」が設置された。


老人向け、子供向け、婦人向けに

 建設委員会では、いろりのある日本間がほしい、子供を遊ばせる部屋がほしい、サロン風のしゃれた部屋もほしい、会議室も確保しなくては等々、それぞれの夢が語られ、議論百出。素人だけでは設計できないということになり、とにもかくにもそんなに大きな建物はできないので、それぞれの館を老人向け、子供向け、婦人向けに機能分担してはとの意見に落ち着いた。早速町を通じて町内の設計業者3社に集まってもらい、こちらの趣旨を話し、それぞれ工夫のあるセンター設計案を出してくれるようにお願いした。
 そして、いよいよそれぞれ3つずつのプランが出された――私も委員の1人として設計図を見たときは、早くも夢のふくらむような思いをした。地区内の老若男女が歩いて10分以内に来られる、これは施設設置の理想である。他地区のコミュニティセンターの例をみると、地区の中心となるような位置に1つのセンターを建設するというのが大部分で、石橋地区のように3つのコミュニティセンターをつくり、それぞれの施設に特徴を持たせて(1号館=お年寄り向け、2号館=子供向け、3号館=婦人向け)利用するというのは初めてとのことである。
 今年敬老の日に招待された70歳以上のお年寄りは1,191人であった。高齢化社会のなかで何よりもうれしい話である。班長会議は消防小屋の2階的イメージは解消する。戦後自治会と銘打って発足した6町内は、それぞれの地域の実情に合わせた諸々の活動を展開してきた。町内運動会、子供相撲大会、夏祭り、秋祭り、お年寄りの慰安大会、栃の葉国体を契機とした町内美化活動、防犯活動、どんど焼き、わら鉄砲、餅つき大会、親子レクリエーション、その他枚挙にいとまがないほどだ。それは伝統であり、由緒でもあった。多かれ少なかれ、何をいまさらの感は人々の脳裏を去来したであろう。だが一点非の打ちどころのない集合体も残念ながら拠点がなかったこと。場を特たない活動は致命傷となる。年間契約で借家を借りて班長会議を開いたり、事務所の2階をそれ用に仕立てて夜遅くまで利用する――家族の迷惑は極限に達する。
 このモダンでしょうしゃなコミュニティセンターの出現は、赤ん坊から長老まで、否、愛犬ポチに至るまで欣喜雀躍、文字通り「渇望をいやす」に足りるものであった。


建設費の住民負担分はどうするか

 コミュニティセンターの建設費は、3か所で46,316,000円かかった。建設費のうち1000万円は栃木県のコミュニティ施設整備補助事業を受け、残り36,316,000円を石橋地区コミュニティ推進協議会と石橋町が半分ずつ、つまり町が18,158,000円を負担するので、残りの18,158,000円が6町内の住民負担となった。この住民負担をどのように負担するか石橋地区コミュニティ推進協議会で検討することになった。各自治会が責任を持って、各世帯に負担してもらうことになり、各自治会の負担額の決め方でこれまた議論百出した。会議を何回開催したことか。結論は、住民登録世帯を6町内の総世帯数2,039世帯で按分したものと広報配布世帯を総世帯数で按分したものを2分の2として、調整した世帯数で決定した。滞りなく、住民→自治会→推進協議会→町のルートで昭和60年度から納付している。
昨年度の事業内容を振り返ってみると――。
 スポーツ部会=@みんなの祭り「おみこし広場」の開催。文教通り、中央通りで7月19日実施。Aレクリエーション大会を5月3日、大松山運動公園で実施。
 文化部会=@コミュニティだよりを6月、9月、12月、3月の年4回発行。A親子映画会を1・2・3号館で8月17日に実施。B史跡めぐり歩け歩け大会を大平山周辺で9月28日に実施。C百人一首カルタ取り大会を1号館で1月18日に実施。
 生活環境部会=@毎月第3日曜日の清掃の日の運動を展開し、町内道路等を清掃。
 福祉部会=@健康で幸せな明日に向けてのシンポジウムを1号館で10月6日に実施。Aふれあい、げーとぼーる大会を大松山運動公園で3月8日に実施。
 その他=@毎週日曜日、2号館プレイルームを開放。A毎月最終日曜日、2号館で映画会を実施。


コミュニティセンター利用者の声

 次にコミュニティセンター利用者の声と各部会事業に参加した地区内のみなさんがコミュニティだよりに寄せた数々の声を拾ってみる。
――1人暮らしのお年寄りの招待会合揚ではいつも苦労してきたが、コミュニティセンター1号館の地の利はもとより厨房設備も充実し、落ち着いた和室が語らいの場にぴったり。常日頃さびしく暮らすお年寄りのみなさんに喜んでいただけて何よりです。ボランティア活動もますます熱が入ります。
――私たち栄町四丁目子供会育成金では、コミュニティセンター2号館をホームグランドに使用させていただていています。幸いに四丁目の中心部に位置していますので、理事会や総会などオープン以来10数回使用しています。育成会活動もより活発になります。
――石橋町の一等地に私たち待望のコミュニティセンター3号館が素晴らしい建物でお目見えしました。これからは気兼ねなくコミュニティセンターで会合が持てることは幸せなことです。センターを利用していろんなことを勉強してチャーミングなおばあさんになりたい。これからの社会をお互いに助け合い、話し合って、楽しい日々を送っていきたいと思っています。
――町内の手近なところに3か所も公共の集いの場ができたことは、何といってもありがたいことです。俳句会もますます盛んになることでしょう。


行事参加者の声

百人一首カルタ取り大会
「雅やかな恋の歌をしばし天上人になったつもりで打ち興じた。畳の上のカルタを上の句の終わらないうちに『バッシ』と取る快感は思っただけでも胸が踊ります」。
「なかなかこのチャンスがなく胸の踊る思いで参加しました。昔の記憶は奥深く入ってしまい気持ちばかりあせって思うようになりませんでした」。
「私たち戦前派は、お正月とカルタはつきもので愛好者は誘い合って随分楽しみました」。

みんなの祭り“おみこし広場”
「祭りばやしと神輿の掛け声がなんとも小気味よく聞こえてきて、自然に自分の身体が一緒に動いていくのが心地よい。祭を迎えた一人ひとりが今年も神輿を担げた喜びや山車を引けたうれしさで子供たちからお年寄りまで満喫しています。そんななかで6町内が息を合わせての大神輿渡御、今年は自衛隊のブラスバンド演奏も加わり、笑顔で聞き入る多くの人々、また一段とコミュニティの輪を広げることになったようです。祭で雨に濡れ同じ汗を流したことのこのふれあいは、その日だけにとどまらず、必ず広がり、力を合わせていく源となっていくように思いました」。

原始の里「星野」の史跡めぐり歩け歩け大会
「のどかな田園風景を満喫しながら縄文さくらの家に到着。生産手段を持たず自然物を採取していた太古の時代を想像し、素朴な埴輪の美しさに見とれた。目の前にカタクリの山が開けた。
15〜6センチくらいの細長い花柄が伸び、その頂きに淡紫の花が下向きに1個、山の斜面いっぱいに咲いている景色は見事である。地に足がつく。大地に根を下ろす……という表現があるが、この星野に来て自然を大切に、自然とひとつに溶け合い、堂々と畑仕事に精を出している姿に人間のひとつの生き方を学んだ」。


寄贈図書1500冊も

レクリエーション大会
「『○○町○秒』チョット変わった紅白玉入れの風景です。1チーム20人が1個ずつ玉を待ち、白線で書いた四角の外からかごに入れるというゲームですが、最後の1個が右から左へと飛びかい、誰かの手でやっと完投。ストップウォッチが押されます。大松山運動公園には各自治会のテントが並び、見慣れた顔、まったく初対面の顔がニコニコと挨拶を交わしている。ギネスブックに挑戦(?)しそうな大縄跳び、ムカデの足が増える四人五脚、少し変わったゲートボール、賞品もたくさん用意され、子供たちからお年寄りまで、5月の薫風のなか、いろいろの輪の広がりのできた1日でした」。
ふれあいゲートボール大会
「6町内の小学生からお年寄りまで大勢の人たちが参加して、にぎやかにゲームが開始されました。初めての人が大部分で、スティックの振り方もわからず第1ゲートを通過するのに何回も打つ始末です。参加した小学生のなかには『とっても楽しかった。来年も参加しようね』と母親に話していた子供もいました。核家族の多い現代、子供や親、お年寄りと3代でゲームができたことは、地域の人たちの本当の『ふれあい』がなされたことだと思いました」。(以上要旨)
 コミュニティセンターの完成の声とともに特筆すべきは、みなさんの善意がたくさん寄せられたことである。座ぶとん、時計、2号館には1500冊の図書の寄贈があった。プレイルームで子供たちの面倒をみている柏木さんのボランティア精神に心を打たれ、このように本が集まったのである。その他、冷蔵庫、掃除機、スリッパ、玩具、まほうびん等々。コミュニティセンター建設費の住民負担全1,800万円にのぼる重みもなんのその。住民各位の心に「私たちの館」は確立したのである。
 昭和64年、コミュニティセンター建設負担金支払完了の暁には、石橋地区コミュニティ推進協議会はいまよりも足並みを揃え、一生の受皿としての地域を高らかに附加することであろう。
 私たちの町に栄光あれ!!