「ふるさとづくり'88」掲載

文化の香り漂う町づくり
和歌山県太地町 紀州文化の会
 昭和60年に結成した私ども「紀州文化の会」の活動も、早いもので3年目に突入した。映画館も常設の劇場もないこの地域に、なんとか少しでも文化の香りをよび込みたいという気持ちは、会結成の頃と少しも変わらずに生き続けている。私たちの住むこの地域に、もっともっと文化的な活動を求める気風が育まれてくれることを願いつつ、試行錯誤をくり返しながらも、確実に前進しているつもりである。


他団体との映画獲得競争

 私どもは、いままで主に、家族で楽しいふれあいの一時を過ごしてもらえるような、夢のある素晴らしい映画を上映してきた。そうして、その僅かの利益を、私どもの会の抱えている五つの卸活動の方へまわすことによって、教育活動を行えるようにしてきた。しかし、次々と他の団体が、私どもと同じように映画上映を行うようになると、もう映画もたいして珍しいものではなくなってしまった。みんなが映画上映に取り組んでくれるということは、うれしいことである反面、経済的には大打撃でした。
 私どもは、映画や演劇、コンサートなどの情報を素早く人手し、年間計画のなかにどんどん折り込んでいけるシステムにしている。昨年の夏は「子猫物語」が前評判後評判ともによく、多くの会員さんたちからぜひ見たいと頼まれていたので、早々に上映依頼を出していた。ところが他の団体との引き合いで、10月、11月と、当初の上映予定がどんどん引き延ばされていくのである。結局最終的には、2つの団体で協力して「子猫物語」を上映することになった。ちょうど12月24日のクリスマス・イブの夜でした。おかげで、子供たちには楽しいクリスマスプレゼントになったようである。


マンガ映画に思いがけない発想の転換

 しかし、ここで私たちは、はじめて他の団体との映画獲得競争という苦い思いを経験したというわけなのである。そういう私たちに、思いがけない助っ人が現われた。ある役員の親類の方で、映画界では名の知られた方が、私どものささやかな活動をとても高く評価してくださっているというのである。その方のおかげで、いつでも某映画会社の映画をお借りすることができるようになった。
 そういうつながりから、お正月向けに、子供のマンガ映画を薦めていただいて、上映することになったのだが、意外にも上映協力券が売れなくて、役員たちは四苦八苦。対象になる子供の絶対数が少ないのだから当然のことだったのだが、後の祭りである。でも、みんなで努力したかいがあって、どうにか赤字は出さずにすんだ。
 そしてまた、私たちも“文化的な物”というカラに閉じこもって「マンガなんて……」という堅い考え方に凝り固まっていたのが、思いがけない発想の転換をすることができた。劇場用の少々見ごたえのあるストーリー。何といっても迫力ある大画面に、大胆に描き出される美しい色づかい。
 われわれの考えもしなかった新鮮さがそこにあった。お母さんに手をひかれた小さな子供たちが、眼をキラキラさせながら会場にきてくれる。金属製の小さなマンガ・バッチをもらって大喜びしてくれる子供たち。何かしら、そこには小さな幸せとでもいえるような、ほのぼのとした雰囲気があったように思う。


うれしいライオンズ・クラブからの寄贈

 そうこうしている間にも、私どもの部活動(郷土史研究会・児童劇団・児童合唱団・マンドリン部・16ミリ映画研究会・生活学校部)は、コンスタントに続けられていた。年に1、2度は発表会を持てるようにと、部活動の方もがんばって研究や練習を積み重ねている。
 うれしいことに、そういう私たちの努力を認めてくださる方々がまた現われた。勝浦ライオンズ・クラブから、私どもの児童合唱団に制服のブレザーを寄贈してくださるという申し出があったのである。それを聞いて何よりも喜んだのは、子供たちでした。お母さんと役員たちが手づくりしたペラペラの制服に、安物のカッターシャツでは、冬は寒くて発表会もできない有様だったからである。
 勝浦ライオンズ・クラブからブレザーをいただいたのは、62年の4月7日のことであった。さっそく紀州文化の会の第2回総会で、子供たちはそのピカピカのブレザーを身につけて歌を歌うことができた。念願のブレザーを着て歌えるうれしさ、そしてまた自分たちの活動を認めてもらえた誇らしさ、子供たちは日頃よりも弾むようにウキウキと合唱してくれた。
 私たちの総会は、各部の発表会を兼ね、しかも年1度の楽しい無料映画会にしている。今年の総会では、ディズニー映画「小人の森の物語」を楽しんでもらった。部活動の方は、児童劇団の演劇「シンデレラ」の発表と、児童合唱団の発表、マンドリン部のリサイタルと、盛りだくさんになったため役員たちは座る暇もないほどの忙しさだったが、出演者たちにもまた見に来てくださった会員さんたちのなかにも、必ずや何かしら胸に残るものがあったことと思う。


“ほうずきちょうちん”を甦らせよう

 年間行事のなかで一番大きな総会を終えてホッとする暇もなく、なぜか私どもは県の紀州ふるさと活動に取り組むこととなった。これは主に郷土史研究会の熱意によって支えられた運動だったのだが、思いもかけない大事業となってしまった。私どもの紀州ふるさと運動の第一の目玉は、太地町で昔手づくりされていた“ほおずきちょうちん”の伝統をもう一度甦らせようというものであった。昨年の夏、郷土史研究会の講師堀端平先生から見せていただいた“ほおずきちょうちん”が不思議に私たちの心に残り、それ以来何とか伝統を残していけないものだろうかと考え続けていたのである。
 こうして1年間暖めていたプランが、紀州ふるさと運動でやっと日の目を見ることになった。
 買えば何でも手に入る時代である。きれいなものが適当な金額で買える安直さのなかで、面倒な手づくり文化が廃れていくのは宿命なのかもしれない。しかし私たちは、自分かちの手で作った“ほおずきちょうちん”に実際に火をともしてみて、その思いがけない美しさに圧倒されてしまった。昔の人たちが、こんなにも心豊かに自分たちの行事や祭事を彩ってきたのかと驚くほどであった。
 そこで自信を侍って“ほおずきちょうちん”を中心とする一連のイベント案を作ってみた。昔さながらに、楽士の音楽、弁士の活弁を楽しめれば…と、「懐かしの活動大写真」も同じに企画してみた。共通する、もはや消えかかろうとしている、いや消えてしまっている昔の素晴らしい伝統や文化を、一度見ておきたい、心に止めておきたいという希望から生まれた企画であった。7月7日、昔の七夕祭りの再現をやってみた。ちょうちんや祭壇の飾り付けも昔通りに、資料に習って役員が手づくりした黒砂糖のりんかけ大豆も試食してみた。昔の七夕の歌を子供たちに覚えてもらい、みんなで大合唱してとても楽しい七夕祭りをすることができた。


町中に伝統の灯火がともる

 そのときから、子供たちに“ほうずきちょうちん”の手づくりセットを配りはじめたのである。七夕祭りに飾った100個の“ほうずきちょうちん”は大好評で、その後ちょうちんの制作数はグンと増えた。老人会の役員さんたちが各区で政策講習会に協力してくださって、360以上ものちょうちんを作り上げてくれた。婦人会の有志ら、多くの町民の方たちの協力に加えて、日本全国の婦人会や食生活改善推進委員会、日赤奉仕団、また和歌山市きりえ同好会などのさまざまな団体の方たちからも、制作にご協力いただくことができた。おかげで、3ヵ月で約3,000個のちょうちんを集めることができた。
 しかし、がんばってちょうちんを作ったものの、いよいよ飾る段階までくると思いのほか大変であった。ちょうど一番忙しい8月12日のお盆のことである。人手が足りず思いあまっているときに、進んで協力してくださったのが少年野球団であった。監督さん以下10名のスポーツ少年たちが、真夏の炎天下一所懸命がんばってくれた。児童劇団の子供たちも手伝ってくれた。こうした老人から子供までの幅広いボランティアに助けられて、8月13日〜16日の間、太地の町中に“ほうずきちょうちん”の伝統の灯火が、美しくほんのりと長い光りの行列となってともつたのである。多くの人々の善意と協力に支えられた紀州ふるさと運動でした。
 いま私たちはさわやかな充実感とともに大赤字を抱えて、それでもまだ来年再来年へと夢をつなげようとはりきっている。まだまだ“ほうずきちょうちん”を太地に定着させる務めが残っているからである。そのためには、今年だけではなく、せめて5年間くらいは、毎夏“ほうずきちょうちん”の手づくりセットを小学校の全児童に配り続けたいと考えている。太地の子供たちみんなが“ほうずきちょうちん”の作り方をすっかりマスターしてくれるまで…。


本物の文化にこだわりつつ

 こうして、私ども紀州文化の会の活動は従来の部活動からはじまって、村おこしに至る
まで、いろいろなレパートリーをこなせるまでになった。太地・勝浦を中心に小さく活動
してきた私たちは、今年末年と自分たち独自の活動を加えて、県のふれ愛紀州路キャンペーンに協力したり、日本文化デザイン会議の地元ワーキング・グループとして参加したりと、多くの素晴らしい文物に触れる機会を数多く与えられた。あらゆる文化的なものを導入する窓口として結成された特殊な会だけにスタッフも少なく、厳しい而も多々あるが、いま模索のなかでもっとも充実しつつあると感じている。
 文化などという捕らえどころのない代物を追い求め、しかも合唱団や劇団の子供たちを抱えての活動ともなると、端からみると物好きだとしか思えないかもしれない。しかし、この子供たちのなかから、また第2第3の私たちのような物好きなボランティアが現われてくれることを願って、あくまでも本物の文化にこだわりつつ、一緒に勉強し、成長していきたいと切望している。