「ふるさとづくり'88」掲載

いかちユートピア計画
山口県柳井市 山おこしグループ
 伊陸(いかち)は山口県東部の柳井市に属し、市中より北へ約8キロメートル行った所に位置している。標高562メートルの氷室岳を中心とした山々に囲まれた盆地にあり、総面積約24平方キロメートルのうち農地が約450ヘクタールある農村地域である。農業以外にこれといった産業はほとんどなく、澄んだ空と清らかな水、そして広い山々などの多くの自然に恵まれた場所である。


山おこしグループの結成

 伊睦地区は総戸数700戸余り、人口は約2,500人であるが、老人の割合が高い地域である。高年齢者の多くは専業農家であるが、若年層の多くは職場を求め他地方に出て行ってしまい、地元に残るほとんどの者は柳井市内および周辺市町村の会社や役所などに勤務し、片手間に稲作に従事している兼業農家が多くを占めている。
 西に車で約10分行った所に山陽自動車道の建設が進んでおり、完成の暁には伊陸は柳井市の北の玄関として今後発展していく可能性を秘めた地区である。
 地域活動において、若人の減少や時代の変遷からか、昔から培ってきた人情とか相互扶助の精神は時の流れとともに人びとの心から失われつつある。例えば、銭金、手間暇がかかる行事はおしなべて縮小、廃止の傾向かおる。しかも新しき挑戦、活動などもない。これはふるさと伊陸に対する意識の低下や、田舎特有の消極姿勢によるものと思われる。
 このような地区の現状を憂い、自分たちの意識の高揚により活気あふれる地域の形成をめざすために生まれたのが「山おこしグループ」である。地区の問題点を喚起し解消すべく行動する奉仕集団である。中心となったのは40代がほとんどだが、常日頃から心の財底に地区を何とかしたい、また何かが必要だと与えていた血気盛んな心ある有志が集まった。約5年前のことである。


伊陸ユートピア計画

 結成とともに打ち出された構想は「伊陸ユートピア計画」である。
 時代の推移につれて、人びとは物の豊かさより心の豊かさ、心の満足を望むようになった。この心の豊かさを得る方策を提供することにより、人間が本来持っている普遍的で恒久的な人間性あふれる心の追及こそ地区のふるさとづくりにつながると結論を出した。「物」即ち多くの投資(お金)による活性化は真のふるさとづくりにはならないし、単に産業が発達したことにしかならない。現に、他地区の「物」による活性化(レジャーランドなど)は破産したり、いき詰まる所が出ている。
 ただし私たちがめざすユートピアとは、個人個人の心の満足であり、「物」はそれに後からついてくると思っている。私たちが望む目標は、人情味あふれる地区にすること。老人にとって楽しく生きがいのある地区にすること。子供や若人にとっていつまでも地区に住め、ふるさとを大切に思える場所にすること。地区出身者にとっていつまでも心に残るふるさとにすること。他地区の人びとが伊陸を訪れ楽しい憩いのひとときが過ごせる場所にずること。これらが私が望む理想の伊陸、ユートピアなのである。


三世代交流広場「ひむろケ丘」の建設へ

 伊陸地区は平地の大部分を農地で占めている。しかも、農業振興法という法律により農地に手をくわえ開発することはできない。(ただし農地の基盤整備は現在実施されています。)そこで、伊陸の地形のそのほとんどを占めている山に着目した。
 三世代交流広場として「ひむろケ丘」の建設の実現に向け行動を開始した。まず行政に向け働きかけたが、残念ながら目を向けてもらえなかった。また同時に地主に対する用地交渉をしたが、折衝は困難をきわめ私たちの趣旨はなかなか理解してもらえなかった。しかし、日数をかけて交渉するうちに、一部地元の地主の承諾を得ることができた。
 次に行動したことは、地区の住民に対する説明を兼ねた同好有志の掘り起こしであった。私たちの目的は余りにも抽象的であり、理想は余りにも遠大であるために理解を示してくれる人はわずかであった。これに理解し行動をしようとする人の参加を得、メンバーが約30人となったとき、組織として行動し勉強し議論を重ねながら活動を開始した。構想を持ってから、何度か行政、地元住民に対する説明会を繰り返しながらここまできたが、はからずも3年間を要した。
 見切り発車ではあるけれど、行政がこちらを振り向かない以上、自分たちの力で「ひむろケ丘」の建設に向け着手しはじめた。地元住民に対し私たちの誠意を示す必要があったのである。


まず「ふれあいの森」に小屋を建築

 地区全体に何かを起こすことは力不足であり、当時の地区の状況では必ず反対が生まれ途中で挫折することは容易に想像できた。そのため、私たちのできうる可能な範囲で村おこしの起爆剤として、活動の核として「ふれあいの森」造りにまず着手した。
 建設場所の選定は比較的簡単に決まった。氷室岳の据野になだらかな丘陵地が約70ヘクタールほど広がっている。開発するにしろ自然のまま利用するにしろ取り付きやすい場所で、しかも地主の同意が得てある場所であった。決して観光地のようなすばらしき景観であるとはいえないが、私たちが行動を起こし結束するには十分すぎる場所である。
 次に森に何を造るかが問題であったが、山のなかにある渓流を利用してその岸辺に16畳程度の山小屋を造ることになった。素材は現地調達の木材を使用し、屋根は竹で覆い自然の景観をこわさないような小屋を建築した。なかにカマドを置き、清らかな渓流を利用した「ソーメン流し」ができるように竹で作った装置を備え付けたコップ、ハシなどもすべて竹や木を利用して使っている。現在ここを訪れる人たちにとってこのソーメン流しが好評なのは嬉しい限りである。なお、ここにあるものすべてお金をかけない廃品やみんなの善意によって持ち寄られたものである。
 この小屋で議論を重ねることにより、「氷室岳までの遊歩道を作ろう」「展望台が欲しい」「子供が遊べる広場がほしい」「キャンプ場を作りたい」「駐車場がいる」などと、いろいろな希望が出てきた。内容はとび抜けて実現不可能なものではなく、当初から予定していたこともあり、これらを造ることの意義は大きいと判断し、ここにあげた要望はすべて実現完成させた。そしてこの森の入口には私たちの趣旨を書き込んだ看板を建てた。


労力をお金に替えて経費を稔出

 ここ1、2年私たちの活動は大きく前進したのだが、大きな問題にぶつかった。それはお金の問題である。大きな投資をして物事を進めていくことは当初より考えていなかった。莫大なる投資によって心に残るものが必ずしもできあがるとは思えないからである。しかし、現実には山を削る機械の燃料費や建築資材など少額だが、必要経費が生まれてくる。労力は当然のごとく無料奉仕であるが、お金に関してはメンバーの好意によって捻出していった。ところがいつまでも頼っているわけにもいかず、頭の痛い問題点となり苦慮した。
 そこで私たちがとった方法は、私たちのなかにある労力をお金に替えて経費を捻出する方策であった。これに決めたものの初めの頃はほとんど仕事がなかったが、徐々に古い家庭の解体や草刈りなど仕事が出てきた。私たちの労力により地区の人に喜んでもらい、しかも「山」への宣伝と理解を得ながら資金を調達している。
 こうして私たちのグループの「人」「物」「金」はそろいはじめた。そして私たちの目的を実践すべく、次のような活動を開始した。
 私たちの奉仕活動により、みんなに喜んでもらい心に残る行事(イベント)を組んでいくこととなり、62年の元旦には「初日の出会」を氷室岳山頂にて開催した。前日大晦日に準備をすませ、当日早朝4時半より参加者を麓より山頂まで車でピストン輸送した。山頂にて甘酒などの接待や数々のイベントを催し、初の行事にもかかわらずお年寄りを中心とした約200名の参加があった。山頂より伊陸を眺めることにより、自分たちが住む地域をいま一度見直してもらうことが目的であったが、参加者一同にたいへん喜んでもらいこの目的は達成できたと思う。
 2月中旬には「伊陸少年駅伝」が毎年開催されている。子供たちを中心に約1,000名の参加があるが、この機会に伊陸にきてよかったと思えるような企画をこの大会に付随して行うこととした。昔ながらの杵による餅つきをし、ついた餅をまく「餅つき大会」を企画した。地区内でいまではほとんど使わなくなった臼を集め、杵は手作りにより準備をした。杵で餅をつく経験のない子供たちにとって少したいへんだった様子だったが、結構おもしろいらしく夢中になって餅つきをしていた。後日、父兄の方よりお礼の手紙が届いたときには、私たちの活動の趣旨が通じたことの喜びはそれは大きなものがあった。


地元住民に理解協力を得る試み

 6月には、地元の方たちに「ふれあいの森」に対する理解協力を得る第一歩として、地区の敬神婦人会の会員を25名(お年寄り中心)招待し、この森の趣旨や活動の目的の説明と意見交換をした。意外にも私も仲間にしてほしいという人や、草むしり程度ならお手伝いをしたいという人が多いのに驚いた。また地元部落の方を対象とした招待会においても同様であった。
 子供たちが大人になってふるさとを懐かしむのは、地域との関係においてよい印象があればこそ、楽しい思い出があればこそふるさとを大切にすると思う。そして、学校のなかでは味わえない体験をさせようと、夏休みに「工作教室」をふれあいの森にて開催した。三世代交流のために、先生をすべて地区の老人クラブの方たちにお願いした。先生であるお年寄りが何もかも忘れ、一生懸命子供たちにワラジの作り方や竹細工の作り方を教授する様や、それを目を輝かして見聞きする様子は本当にほほえましい風景であった。そして秋には幼稚園児をイモ掘り大会に招待する予定を立てている。
 お盆には、ふるさとに帰省している人たちに楽しい1日を提供すべく、「ふるさと祭り」を山おこしグループが中心となり企画、運営を行った。例年納涼行事として伊陸コミュニティ協議会が主催してカラオケ大会などが行われてきたが、今回は昔からの盆踊りを復活させ、各種イベントを盛り込んで子供からお年寄りまで楽しめる行事にした。結果は大成功に終了し、準備の苦労は報われた。
 このように、私たちのボランティア活動は着実に前進した。そっぽを向いていた行政サイドも注目してきた。いわんや用地の地主の人たちも私たちの活動に理解を示すようになりだした。
 私たちは現在定例会議を毎月11日に事務所にて開き、講師を招いて勉強したり、議論を重ねたりしている。毎回議論は白熱し解散は夜中の1時か2時頃となる。私たちは目的に向け全員燃えているのである。今後試行錯誤を繰り返しながら一歩一歩確実に進んでいくことが、将来ユートピアの実現につながることを信じている。地区の活性化ができて地区の人や伊陸を訪れる人の心にユートピアが完成できることを信じている。