「ふるさとづくり'88」掲載

バーベナ・テネラの咲くまちづくり
徳島県阿波町 元町花の会
バーベナ・テネラ

出逢った花は、とてもかわいい花だった。
手析ってみると
今にもしおれてしまいそうな
か細い茎をしていたのに
つきあうごとに
私たちを驚かせるような
強さと輝きを持っていた。
何という名の花だろうと
たずねた月日は重なり
やっとみつけた「バーベナ・テネラ」の名まえ
その日から 私たちは
あなたに夢中になってしまった

 一つの花に夢中になったオンナたちが、あれよあれよという間に町中を、そして全国の花いっぱい運動に、大いなる刺激を与えてしまったという「花物語」を書きたいと思う。
 それは、ピラミッドとか、万里の長城を築くとかというような「とてもムリね、私たちには」とため息の出る、アキラメ物語じゃなくて、だれにでもできる夢のあるまちづくりなのである。
 バーベナ・テネラを植えていくこと。それにまつわるさまざまな可能性にチャレンジしていくこと。この2つをやりさえすればいいのだから…。
 バーベナ・テネラ=南米原産。明治の半ばに日本上陸。第二次大戦後に一般に栽培されはじめた経緯を持つ。そのすばらしい特性を記しておこう。
 @花時期が4月から12月とすこぶる長い。A花色が豊富(紫、ピンク、白を基調に16色ほどある)。B栽培が簡単。@生命力、繁殖力がバツグン。Dさし芽で増やせる。E宿根草であるから、一度植えるだけで毎年楽しめる。F暑さ、乾燥に強い……などである。私たちの元町地区を美しくしようという活動は、バーベナ・テネラの出現によってはじまった。


だれが何と言ったって

 昭和58年5月、新とくしま県民運動阿波町推進協議会は、美しいまちづくり事業の一環として、バーベナ・テネラを全戸に配布した。前後して、元町地区のDさんが道路添いの空き地へこの花を植えはじめた。刈っても刈っても雑草は生えてくるし、心ない人によって空きカンやゴミを捨てられる。花を植えたらゴミも捨てなくなるだろうとの思いだった。
 バーベナ・テネラの道端花壇は五〇メートルほどになり、Dさんは隣接するMさんにも「植えませんか」と声をかけた。ところがMさんは「うちは花では食べられんから」とラッキョを植えてしまったのだ。その夜、Mさんの心は痛んだ。「何と心ない返事をしたのだろうMさんは次の日の朝早く、植えたばかりのラッキョをぬいてしまって、そのあとにバーベナ・テネラの花を植えた。花壇は次第に長くなり、元町地区の花街道となっていった。
 町の広報紙や地元の新聞に掲載されはじめたころ、公民館からグループをつくりませんかとの話があり、県を通して生活会議の助成をしてくださることになった。地区内の婦人の人たちに声をかけると、たちまちのうちに14名の賛同が得られ、「元町花の会」を結成した。「ゴミから花へ」を合言葉に私たちは地区内の植えられる場所へ次々と植えていった。
 新しい試みをはじめると波風が立つ。「いいことをしているね、がんばってね」の声には笑顔で答えられるが、必ずしも賛成の人たちばかりではない。足をひっぱる者や批判の声も聞こえてくる。
 しかし、メンバーの思い入れは強く、「だれが何といったって、私たちはこの花を植え続けるワ。元町だけじゃなくて全町に広げようね」と、ヤル気満々のお母さんたちは、「できる人ができるときに、できることをしようね」と申し合わせてやたら明るく行動していったのである。


交流がはじまった

 輝いている人がいる。そこに新しい出来事の展開がある。だから行ってみようという気持ちになるのは当然の成り行きのようだ。
 バーベナ・テネラが見たい、植えている人に合いたい、と視察団が来るワ、花の注文が相次ぐワで、静かな元町地区は、にわかにさわがしくなってきた。
 元町花街道を訪れてくださる方々のなかには苗を希望される方も多く、差し上げると返品にその土地のものを送ってくださったり、手紙が届いたりもする。視察の方々との交流会はとても刺激的で、私たちに新しい発見をさせてくれる。町内での交流もひんぱんに行われ、長寿会の花壇づくりの応援に行ったり、婦人会に苗を差しあげたりで、私たちは大変忙しくなってきた。そのことが困ったことではなくて、生活にハリが出てきたり、隣近所とのコミュニケーションや、助けたり、応援し合える雰囲気の元町地区になっていることを実感として味わっていることに気がついた。
 全町に配布した一輪のバーベナ・テネラは、私たちがモデル的な花街道づくりにがんばったせいで(うぬぼれではなくて、世論の評価である)花いっぱい運動に拍車をかけたようだ。町内のあちこちで老人会や婦人会、個人の人たちが作ったフラワーロードが目につくようになった。町役場も視察団の対応におおわらわで、スライドづくりやパンフレットづくりに忙しくなったようである。
 61年度からは大幅予算を計上し、行政もフラワーロードづくりに本格的に乗り出した。
「花に予算をつけるくらいなら、道路を直してくれ」
「花で食えるか。花よりダンゴじゃ」
「いや、そうではない、美しいまちをつくることは、子供たちへの最大の贈り物だ」
「町長は花に狂っている」
「女たちはスゴイのう、あんな花植えることで阿波町を有名にしおった。わしらにはとてもできん」
 町内では、賛成と反対の意見が飛びかい、いたるところで花談義がされるようになった。「花を育てることによって、やさしさや思いやりの心が育つ。花いっぱい運動は人づくり。元町花の会をモデルにがんばろう」と自ら作業服で花植えや草刈りをする町長の姿は人々の心を動かし、町の人たちも役場も学校でもみんなが一体となって運動を推進していった。


新しい展開

 花のまちにまた1つ自慢が増えた。若者たちが主催する「夢想祭」だ。町内のだれかの夢を叶えてあげるというユニークな祭である。1年目が「熱気球で空を飛びたい」2年目「お菓子の家」3年目「花馬車に乗って町内をまわりたい」。なんと、かわいいイベントであろうか。私たちは1回目からこの祭に全面的支援をしている。若者のがんばりを応援することで彼らの元気もパワーアップするからだ。そして何よりもこの祭は子供たちに夢を与える祭として定着しているものである。
 私たちはいま、花工芸の研究をしている。若いお母さんたちと一緒にはじめた「夢企画バーベナ・テネラ」は、花ハガキや染色、かずら工芸などで、わが町を訪れてくださる方々に何か記念になるものをとの想いで制作実験中である。
 一方、花苗の注文も殺到し、私たちだけでは対応できなくなったので、農業後継者の青年に依頼して花の宅配をしていただくことになった。彼らは「ジョイ・ファーム」という観光農業研究会をつくり、新しい農業のあり方を模索している。


夢に向かって

 バーベナ・テネラを植え続けていくことにだって、可能性がいっぱいあるということを私たちは実感している。
 美しい環境、ふれあい交流、観光、花工芸……まだまだある可能性にチャレンジしながら「阿波町らしさ」を創っていく。
 楽しみながらのまちづくりは、じっくりと5年、10年とかけてつくってもいい。
 花よりダンゴの議論はまだまだ続きそうだ。しかし、歴史のなかの事実として、文化が起これば自然に人が集まり、住む人のチエと才覚で、経済の活性化は実現できうる。花からダンゴヘと発展するのである。
 夢とはなかなか実現しにくいが、近い未来には実現できるものをいうらしい。
 まちづくりには夢がなかったら、なんとむなしいものか。
 バーベナ・テネラの咲くまちの住人として常に夢を持っていたい。
「阿波町に生まれてよかった」と子供たちがいってくれるような町、そして私たちもそう思えるような町を「バーベナ・テネラ」とともにつくっていきたいと思っている。