「ふるさとづくり'89」掲載

誇りがもて、住んで面白い“わがハイツ”
埼玉県狭山市 新狭山ハイツ自治会
緑のまちづくりの必要性を提起

 昭和48年、埼玉県狭山市の近郊に地元の人々の言葉を借りれば“雑木林と豊かな農地が広がる田園地帯に忽然”と大きな団地が誕生した。団地は5階建の中層分譲集合住宅32棟からなり、770世帯が住む。新住民にとって緑と四季の彩り豊かな団地周辺の環境は、快適な生活を営みつつ子育てをする上で大変魅力的であった。それに比べて団地内の緑があまりにも貧弱であったことに着目した住民から“緑のまちづくりの必要性”が提起され、その実践が自治活動に自信と誇りを培っていった。そして、この緑化活動と前後して住民の知恵を活かした多彩なコミュニティ活動が自治会から誕生していった。その代表的なものが緑化活動とあわせてこれからご紹介する広報活動であり、こども文庫活動であり、他地域との交流活動等である。本年、自治会は創立15周年という区切りを迎えた。たかが15年ではあるけれども、見知らぬもの同志が住む真新しい土地をこれらの活動を通じ懸命に耕してきた。そして今、私達は子供達に“わがまちの物語”をそれなりに語ってやれるのを幸せだと考えている。


緑化で植木職人もどきの活動

 誰もが緑豊かな環境を手にして満足していた情況の中で、ある住民から「周辺の環境に比べて団地内は緑が少なく、殺風景だ。今はいいかも知れないが周辺の開発が進んだ時、きっとあの頃は良かったと後悔することにならないか」との警告が発せられ、あわせて「今から緑を増やそう」との提案がなされた。
 意外と思われたこの提案は、団地に住み始めて間もない住民の心を強くひきつけ、自治会活動の柱とすることが満場一致で承認された。自治会では早速、団地内の専門化の手を借りつつ「長期緑化五5ヵ年計画」をまとめた。その骨子は、(1)緑の量を倍増する、(2)周辺の雑木林と調和した緑の環境を作る、(3)四季の変化に富み、特色のある景観を作るの3点である。
 計画実現にあたり資金的な問題については、自治会費とは別に「緑化特別会費(1世帯月50円)」を5年間全世帯から徴収すること、さらには狭山市と「緑化協定」を締結し、樹本の現物支給を受けること等で対応、また組織的な問題については、活動に関心のある人々、庭いじりや園芸・盆栽を趣味とする人々が中核になり「緑化推進本部」を設置することで対応を図った。
 本格的な緑化活動は昭和50年度から開始された。当初、植樹活動は年3〜4回の頻度で行われたが、ツルハシで穴を掘らねばならない程土が悪く、客土をやりながらの作業は通常の倍の時間を要した。こうして悪戦苦闘しながらの緑化活動は5年後、計画以上の成果を収め一区切りがついたが、活動はその後も毎年続けられ、植樹した樹木は高中木約1,400本、低木約5,700株、費やした費用は約1,000万円近くにおよぶ。こうした住民総ぐるみの緑のまちづくりの成果が認められ、昭和59年には「第4回緑の都市賞(建設大臣賞)」、61年には「緑化推進運動功労者内閣総理大臣表彰」を受けている。
 今、私達は自らの手で増やし・育ててきた緑豊かな環境のもとで、野点、草花遊び、草花即売会、宝探し、焼芋大会、ジャンボクリスマスツリー、シクラメン即売会等の季節のミニ行事を楽しむ一方、良好な緑の環境を維持するため毎月、樹木剪定班を組織し、植木職人もどきの活動を続けている。


情報紙コンクールで“常賞”の「はいつニュース」

 自治会発足と同時に設置された広報部では、“自治会と住民、住民相互のパイプ役として、肩の凝らない楽しい紙面づくり”をめざし、今日までの自治会報「はいつニュース」を休まず発行し続けてきている。その数は本年9月で165号を数える。その間には「埼玉県情報紙コンクール(地区団体の部)」で奨励賞を2回受賞している。はいつニュースで扱われるのは、自治会をはじめ各団体からの事前・事後のニュースや問題提起、住民からの苦情や提案、趣味活動の成果、様々な生活情報、その他新入居及び赤ちゃん誕生の紹介や慶弔関係のお知らせ等である。
 150号を迎えた昨年、「はいつニュース創刊150号記念展」が開催され、創刊第1号から150号までが一堂に展示された。それらを通読すると、自治会報が情報の共有化に果たしてきた役割、さらにはわがハイツの歩み、わが家庭・わが子の様々な思い出が綴られている貴重な記録であることを感慨をもって知ることができた。しかし、この自治会報の発行には多くの裏方が継続することの苦労と難しさを味わってきたのも事実である。でも150号には次のように記されている「150号はあくまでも通過点。ハイツが住み良く、生き生きとしたコミュニティとしてあり続けるならば、はいつニュースは休むことなく発刊され続けるでしょう。その意味で読んで楽しい、面白いはいつニュースの紙面は私違住民の主体的なコミュニティづくり如何に係わっているのではないでしょうか」と。


「子供の城」実現へ向けて始動

 若い家族が多かっただけに自治会発足当時から“団地内にこども文庫を”という発想はあった。しかし、自治会では生活環境の整備に関わる問題への対応や緑化活動等に追われしばらくはその具体化を棚上げにしていた。しかし、ある住民からの「文庫を作るのであれば書庫を提供しましょう」との申し入れが契機となって、母親達を中心とする「地域文庫開設準備委員会」が設置され、“次代を担う子供達が心豊かに育つよう、素晴らしい本と出会いの場を身近なところに”との呼び掛けが始められた。住民からの献本の選別、他の地域文庫の見学、さらには市立図書館の指導等を通じ、昭和52年6月「あおやぎ文庫」は開設された。開設時の50年代前半は子供達が最も多い時期でもあったことから、登録者数約400名、年間延べ利用者数約5,000人にも及んだ。試行錯誤しながらも意欲的に取り組んだ文庫は、開設2年目にして「埼王県移動図書館運営協議会」から感謝状を受けている。
 最近は子供達の数が減少し、利用者は減ってはきているものの、熱心な母親達とこども文庫委員の協力で活動内容はむしろ充実度を増してきている。ちなみに昨年度の活動をみると、図書の貸出・選本・修理に加えて、あおやぎ文庫新聞の発行(隔月発行)、手作り遊びや草花遊び(年3回)、こども野外劇の公演(ハイツ夏祭りと敬老会の2回)、その他クリスマス会やひな祭り等の季節的なミニ行事等、多彩な活動を展開している。また10周年を迎えた昨年には宮沢賢治の世界を紹介する「クラムボン」記念公演が開催され、約200名の観客を集めて大好評を博した。
 今、母親達は数年前からあたためてきた1つの夢を実現しようとしている。それはこれまで団地の集会所に半ば間借りしていた状態から脱し、“文庫独自の家(子供の城)を持ちたい”という夢である。最近になってこの熱心な母親の声が自治会をはじめ関係者・団体を動かし、今年度から具体的なプランづくり、自己資金の調達方法やある財団への助成要請、建物を住民のボランティアで手作りする方法の検討等を始めたところである。


団地と村が交流を始めた

“秩父の荒川村と姉妹縁組をしてみませんか”という話は、3年前秩父地方の地域づくりに開わっていた団地住民から持ち込まれた。荒川村は緑と清流に育まれた人口6,400人程度の小さな村で、農業振興と絡めたユニークな観光事業を日野観光農園村を拠点に都市との交流を展開している村としても知られている。私達住民にとって荒川村は“第2、第3のふるさととして交流するには格好の環境であり、村のむらづくりに真剣に取り組む姿勢にも共感できた。また住民に荒川村出身者がいたことが一層双方に親近感を抱かせた。その後お見合いのような行き来が何回か行われ、昭和61年7月には私達の団地で開かれた夏祭りに村の村長さん他、村の代表者をお招きし、狭山市長さんの立会いのもと姉妹縁組式が挙行された。この縁組の際には協定書のような物を特に取り交わしてはいないが、村と自治会との間で“住民相互の交流を育み、住みよく、明るい地域づくりに協力しあいましょう”と確認し合っている。
 交流活動は今年で3年目を迎えたばかりであるが、すでに定着しつつある活動として、双方の祭りへの参加、村から無償で貸して頂いている7反程の畑を拠点とする麦の種まき・麦踏み、収穫された麦を活かした本格中国ギョウザの賞味、サッマイモの植えつけ・ツル返し・イモ返し・イモ掘り等を目的とする日帰りバス旅行、ソフトボールチームの親善試合等がある。今後、村在住の中国引き揚げ者の方々による中国料理講習会、こども文庫劇を通じての村の子供達との交流等の小さな交流を積み上げ、息の長いお付き合いをしていきたいと考えている。
 私達が育ててきた緑は時間と共に風格を増しつつある。しかし、その一方で建物の老朽化や住み手の高齢化が進むという皮肉な問題を抱えている。“物のスラム化”も大きな問題に違いないが、私達が一番懸念しているのは住民相互のコミュニケーションが疎遠になることからおきる“心のスラム化”である。こうした問題を解決していくための処方箋のひとつとして、昨年度「新狭山ハイツ中・長期ビジョン(21世紀に向けての新たな飛躍をめざして)」をまとめた。このビジョンは、わがハイツがさらに“誇りをもって住めるまち、そして住んでいて面白いまち”でありたいとの願いを込めたものである。私達がこれから新しい物語を描くためにもこのビジョンの実現にむけてあらたなる出発を考えている。