「ふるさとづくり'89」掲載 |
農村の担い手づくり養成集団 |
鹿児島県吹上町 和田青壮年会 |
過疎化と高齢化、現在の地方農村の抱える大きな課題である。特に農業不振の続く中、大企業のない地域にとっては、若者の流失による極端な高齢化により、集落の存続すら困難な状況に見舞われている。このような状況の中で、新たな地域づくり活動に取り組んでいる集団がある。それが、これから紹介する和田青壮年会である。 青壮年会の地域づくり活動は、若者が意見してもなかなか受け入れようとしない農村部の旧態依然とした地域社会の中で、生活を展開してきたものである。 地域の担い手層が変更 吹上町は、薩摩半島の西海岸、東支那海に面し、ウミガメの産卵地として知られる日本3砂丘の吹上浜を擁する自然豊かな町である。昭和30年の人口は22,000人であったが急速な過疎化により現在11,000人と半減している。高齢化率27%と全国平均10%を大きく越える高齢化社会を先取りした町である。 和田地区は、人口927人、世帯数376戸、7集落から構成されている。純農村地帯であるものの耕作面積も狭く、その大半が兼業農家である。町の中心部より3キロメートル、国道沿い、県都鹿児島市から車で30分の好条件の位置にありながら、地域の担手層が流出し、山間部集落では児童数ゼロというところもでている。 高齢化率は30%、60歳以上の比率41%と高齢化が急速に進む地区である。今後、この地区では、人口流出による人口減より、出生数と死亡者数のアンバランスから生ずる自然減による人口減少が、ますます深刻になると予想される。 公営住宅建設誘致や交流会開く 青壮年会が誕生したきっかけは、地区公民館が呼びかけた対話集会である。 昭和55年児童数の減少による小学校の統廃合がテーマの集会が持たれたが、参加者の主要な関心は、地域活動の担い手をどうするかということであった。和田地区の地域活動はそれまで高齢者を中心とした公民館活動が主であった。 青壮年会の結成は、そういうことの反省を含めて、若い世代こそ地域づくりに積極的に参加すべき、という考えからであった。会の目的は「会員の親睦と相互の連絡提携により、校区内の連絡協調を図り、よりよいふるさとづくりに寄与すること」とし、仲間づくりと地域づくりが活動の両輪となっている。 以下、55年からの主な活動経過を紹介し活動レポートしたい (1)公営住宅建設誘致への取り組み 結成後3年余は、「若者の住みたくなる地域づくり」を目標に、まず地区内に住んでいる者でも結婚すると適当な住宅がないために町中心に移住していく現状があった。 過疎化の大きな原因のひとつは、住宅不足にあることから、町長と対話集会を持ち7区内への公営住宅の建設を要請した。町側は安価な建設用地と入居確保の問題などあるが、この問題解決の見込みがあれば建設しても良いとの考えであった。 さっそく、公民館役員、青壮年会員で実行委員会を組織し、用地交渉を始めた。最初の候補地が決まったものの農用地域にあり、周辺農家との関連から断念せざるを得なかった。一度はあきらめた公営住宅の建設であった。 翌56年、新たに農用地に支障のない土地を青壮年会でさがし、地権者との用地交渉に当たることとなった。1年余の交渉の結果、57年末に話し合いがまとまり、58年度予算に盛り込まれることとなった。 なお、入居確保については、青壮年会で責任を持つことを、解決することができた。この公営住宅は、町の中心地区外であったために入居申込者が絶えない状況にある。 (2)地区外居住者との交流活動 3年余の活動の結果、59年3月に公営住宅の建設誘致を達成でき、次の目標をさらに具体化するために、59年は地区外居住者との動向を調査し、交流活動を続けた。将来Uターン可能な青壮年層、190余を対象とし実家を訪問し、残された家族に聞く面接調査の実施である。 この調査活動に対する反響は大きく、特に青壮年会の趣旨、地域づくりへの取り組む考え方を理解してもらえる良い機会となった。 調査の結果、地区外居住者の大部分が、墓参りなどを通じて、地区との関わりを持ち続けていること。県内、鹿児島市内の居住者が多いこと。和田地区に帰ってくる考えのあるものがかなりいることなどが判明し、将来の活動への大きな足がかりとなった。 59年8月には、調査結果をもとに地区外居住者との「和田の将来を考える会」を行った。出席案内はがき送付者数81,返事のあった者23人、うち出席予定者6人であったものの、さらに当日出席した者は2人という淋しい結果に終わった。 しかしながら、出席者数こそ少なかったものの、地区外居住者の意見を聞けたこと。青壮年会のPR不足、安易に地元にいない者に地域づくりを期待することのむずかしさなど、会員一人一人が身近に体験できただけで開催して良かったと思う。この会の反省として、地域づくりの主体、過疎の歯止めは、地元に住んでいる者が頑張らない限り道は開けぬことを確認した。 その後、町外居住者が帰りたくなるような魅力あるふるさととなる地域づくり活動を主体に取り組むこととなる。 (3)学習活動への取り組み 活動を推進していくには、会員の意識が大きな鍵となる。そのために講演会、先進地視察を実施してきた。 講演会は、当初、会員のみで行っていたが、今では地区内の壮年グループ、PTAなどに呼びかけて実施し、地域ぐるみの勉強会となっている。講演については、始めたころはむずかしい話を聞く機会の少なかった会員にはなじめなかったが、活動が高度になるにつれ、その必要性が理解されるようになった。講師には県財界、経済界で活躍している郷土出身者を主にお願いしている。 (4)魅力ある地域づくり活動への取り組み 地域づくりへの年間活動としては、世代間交流を目的に老人クラブ、壮年グループとの交流会、地区公民館役員・町会議員と語る会、小学校清掃作業、空き缶拾い作業、桜並木づくり作業、林道伐採作業がある。 地区内主要道路、国道の空き缶拾い作業では、自販機設置者へ、くずかごの設置など働きかけてきた。桜並木づくり作業は、鹿児島市と結ぶ町道改良により拡幅された町道と新設された林道、地区内の城跡に魅力がある地域にと願いを込めて取り組んだものである。林道伐採作業は、山林所有者の管理が原則であるが、老齢化、不在地主が多いため維持管理に苦慮した町より、青壮年会へ管理作業の依頼があり、4キロメートル余の伐採作業に取り組むこととなった。 その他、からいも交流財団が実施している留学生を会員が受け入れてくれるため、その機会を利用し、留学生との交流を行っている。 以上、青壮年会の8年余の歩みと主な活動について述べてみた。 会の運営については、気のあった同好の集まりでなく地域を基本にした集まりであり、職業も実に多様である。異なった立場の人たち同士の集団を運営していく中で、「議論は徹底的に行う」「問題は残らず公開の場に出す」という活動経験から貴重な原則も生まれ、会員間のトラブルも少なくなり、定例会への出席率、会費納入率、各種活動への参加率も高くなってきている。このことは、今日の若者気質と言われる個人中心主義、マイホーム主義の社会や地域を望む傾向からは、この青壮年会員たちは縁遠いように思われる。それまで農村部に住み着こうとせず、結婚すると当然のごとく、ふるさとを出ていく風潮であったのが、今では親元に住み、地域の担い手として居残ろうとする気運が出てきつつある。 地域づくりの基本とは、道路、施設などの社会資本整備だけでなく、その地域に関心を持たせ、郷土愛を育てることにあるようだ。さらに、地域の体質も旧来の慣習に固執していては、若者は住もうとしない。若い世代と高齢者とがいかに理解し合って共存し生活していくかがこれからの農村部の大きな課題といえそうだ。 設立当時、会員の半数は独身であったが、今では結婚し小学校PTAの予備軍である。新婚家庭が地域に住むようになり、それに刺激されたのか、今では若いUターン家族が見られる。その成果が実ったのか55年、25人のミニ小学校であったのが、現在は49人と児童も増え、減少に歯止めがかかった。 農村に若者が残り、生活する条件は嫁姑の問題、若者層への集落運営の負担増など、ますます厳しくなると予想される。それ故に、地域の将来を誰に託すべきかを真剣に考えなければ集落の崩壊は時間の問題であると思う。過疎の波は、現在の社会情勢からして解決への特効薬もなく、これを止めることは容易ではない。しかし、そこに住む人、残った人の心まで、あきらめという心の過疎にむしばまれることのないようやる気を持って、根気強く、年寄りと若者が仲良く暮らせる地域づくりをめざして活動をつづけていきたい。 |