「ふるさとづくり'90」掲載 |
奨励賞 |
ふるさとづくりレポート |
東京都国分寺市 国分寺の名にふさわしい文化都市を築く会 |
会の誕生と活動の趣旨 私達のまち国分寺市は、市名の示す通り、天平13年に聖武天皇の勅命により創建された武蔵国分寺の史跡を今に残す歴史のまちである。このまちに、6年前「国分寺の名にふさわしい文化都市を築く会」が他団体で活動する多彩なメンバーを母体として誕生した。顔ぶれは雑多であるが「既存の組織から一歩踏み出し、楽しみながら誇り得るまちづくりをしたい」といった意識は共通していた。 東京近郊のどのまちにも言えるように、私達のまちにも相互のふれあいに欠け地域に愛着を覚えぬ多くの住民が居住しており、隣接のまちとさして変らぬ個性に乏しいまちとなりつつあった。そこで、私達は市民統合のシンボルとして「武蔵国分寺」を取り上げることにした。現在のまちづくりのために歴史を肯定的に解するならば、当時の武蔵の国の人びとは新興の心意気に燃え、競って瓦を寄進し国ぐるみで全国最大規模を誇る国分寺を築き上げたのである。 それは恐らく中央の文化を武蔵の地に伝播する一大文化センターとして当時の人びとを魅了したに違いない。国ぐるみで壮大な武蔵国分寺を作り上げた先人の心を今に生きる私達の心として、国分寺の名にふさわしい文化都市を市民一人ひとりの力で築き上げようではないか。国分寺創建の狙いには、中央による地方統治という側面もあったかもしれないが、今は自治の時代である。できることならば、この国分寺のまちから中央に文化を発信する活力ある文化都市を築き上げたいものだ。 以上の考え方に基づき続けてきた活動の歩みを簡単に報告申し上げたいと思う。 「万葉花まつり」を設立以来6年間実施 @開催の趣旨と実施の方式 武蔵国分寺が創建された頃に編纂された万葉集には、天皇から庶民に至る各層の人びとの純朴な心が表現されている。人が人を思い、自然の美に感動する万葉の歌人の心を、国分寺にふさわしいまちづくりの理念として今に生かしたい。 実施の方式は、万葉集に範をとり市民各層が自主的に参加する形とし、地域住民のふれあいを深める場としよう。そして、ひとりでも多くの方がこの機会に国分寺の歴史と会場周辺の美しい自然環境の保全とに関心を寄せ、このまちに誇りと愛着とを抱いて欲しい。 A主催者の主な企画 ◎百人一首のかるた会 百人一首には万葉の歌が多数収録されているし競技としても楽しく、万葉花まつりにふさわしい企画であるということで、子供の部・大人の部のそれぞれに市長杯が出されている。また、指導には青少年育成地区委員会のご協力をいただいている。 ◎クラシック音楽のコンサート 万葉の「歌」からの連想で考え出されたもので、市内在性の音楽家の方々のご協力により実施している。会場は薬師堂というお堂であるが、木造建物独特の音の響きと荘厳な会場の雰囲気とが演奏者にも聴衆にも大変好評である。 ◎門前植木市 お寺の門前で行われる春の花と植木の即売会である。門前が美しい花で飾られ、地元生産者の協力を得て格安の値段で販売されることもあって多くの人でにぎわい、日頃はふれあいに乏しい農業者と地域住民との交流の場ともなっている。 ◎武蔵国分寺物産展 物を通して国分寺の良さを知ってもらうのも良いのではないか、ということて始めたが、予期に反し収益が上がり「ふるさと基金」という副産物を産んだ。販売されるのは会員が考案したり市内の業者が製造したもので、武蔵国分寺の七重の塔を描いたのれん、縄文土器の形をしたもなか、武蔵国分寺に寄進された瓦を模したせんべい、その他ちょうちん、土鈴、絵はがきなどである。 ◎主な参加団体とその企画 中高校生で構成されているジュニアリーダー会は、前日の会場設営から当日のプログラム参加まで全面的に協力してくれている。幼児・小学校低学年生に絵本を読み聞かせている姿は実にほほえましい。 武蔵国分寺本村はやし連は、地元に伝わる伝説を里神楽風にアレンジして上演した。シナリオは当会会員とはやし連が制作し、従来の祭りばやしの殼を破る意欲的試みとして注目を集め、遠方より観客が訪れた。 青少年育成地区委員会は中学生に武蔵国分寺史跡を描かせ、絵はがきに仕上げて、中学生自身に販売させた。若さ溢れる呼び込みでまつりは大いに活気づいた。 国分寺市遺跡調査会は、瓦の拓本を体験させてくれたり史跡巡りを実施して、文化財をより身近なものとすることに努めてくれた。 グループ・アイは、読売光と愛の事業団の協力を得て、アイバンクのキャンペーンを実施した。武蔵国分寺の本尊薬師如来が、目の病気を治す仏様であることにちなんで始められたユニークな福祉活動である。 その他多彩な企画に多くの市民が積極的に参加し、見物客も年々増加して、今では国分寺にふ方わしい春の祭りとして定着している。 「国分寺まつり歴史行列」を企画 会の発足した年の秋に市民祭いである「国分寺まつり」が始まった。私達は積極的に実行委員会に参加し、歴史のまち国分寺にふさわしい「歴史行列」の実施を提言した結果、歴史行列が実行委員会の主催する唯一の企画として誕生した。 私達は国分寺の歴史を四つのエポックに分けることにした。まず最初は国分寺に人が住み始めた先土器・縄文時代である。会員手作りの衣裳が喝采を浴びる。続いては、武蔵国分寺の創建された天平時代。全国国分寺の五色の華やかなのぼりが人目を引く。さらに、国分寺に伝わるふたつの伝説が生まれた平安・鎌倉時代を経て、新田開拓の行われた江戸時代、旧村と新田が合併して国分寺村の誕生した明治時代へと続く。 時代考証と参加者集めには苦労するが、歴史行列がなければ国分寺まつりではないと言われるまでになり、やり甲斐を感じている。 「ふるさと基金」の設立と活用 前述した「武蔵国分寺物産展」の収益、一般市民の募金、行事の剰余金、特別会員の会費等を「ふるさと基金」として積み立て、昨年度より当会の事業は全てこの基金を活用して実施することとした。基金の総額そのものは大したものではないが、市民のまちづくりに寄せる心に基づく浄財であり、1円たりともおろそかにすることはできないと会員一同心に誓い、上記の活動のほかに次の活動に基金を活用している。 @国分寺にふさわしい駅の建設を要望し、武蔵国分寺史跡レリーフを寄贈 国分寺駅の老朽化に伴う、駅舎の改造と南北自由通路の開設という国分寺市民の長年の悲願が本年達成された。その動きが表面化してきた4年前、私達は新たにできる駅はどこにでもあるような個性のないものではなく、国分寺にふさわしい、文化施設等を有する駅を建設して欲しいと他団体の方々の賛同を得て、国分寺市当局及び当時の国鉄等に要望書を提出した。その結果、必ずしも私達の望んだ通りのものではないものの、ある程度私達の要望をとり入れた駅が完成した。国分寺市当局も私達の要望に沿い、多目的ホールを駅ビル内に設置し、その正面には国分寺史跡からの出土品を展示するスペースを設けた。駅ビル会社は、南北自由通路に万葉の花「むらさき」のプレートをはめ込んだり、非常階段を「七重の塔」風に仕上げるなどの配慮をしてくれた。 そこで、さらに私達は駅ビル会社に「武蔵国分寺の史跡レリーフ」の寄贈を申し出て、外壁に設置してもらうよう要望したところ、ご快諾いただきこの春実現した。今は、国分寺の歴史を惚ぶよすがとして多くの市民に親しまれており、ふるさと基金を活用した大きな実績として、会員一同今後の活動の励みとしているものである。 A文化財展に協賛し、作文コンクールを実施 国分寺開村100周年、市制施行25周年、武蔵国分寺の発掘調査15周年を記念してこの秋「武蔵国分寺のはなし展」と題する文化財展が駅ビル多目的ホールにて開催されることになり、一般市民団体としては唯ひとつ私達の会に協力依頼が寄せられた。 慎重に検討した結果、小中学生に「武蔵国分寺について学んだことを通して感じたこと、考えたこと」を文章にまとめてもらい、作文コンクールを開催し、文化財展の期間中にその発表会を行うこととした。このまちの将来を担い発展させていくべき子供達が、この機会に国分寺の歴史をさらに深く学ぶことによって、国分寺のまちに対する誇りと愛着とを一層強めて欲しかったからである。 幸い、市教育委員会及び全校の校長先生方のご理解を得て全市的に実施される運びとなり、今は作品の応募を心待ちにしているところである。尚、文化財展を盛り上げる協賛行事としては、従来の「武蔵国分寺物産展」を「国分寺ふるさと市」と改称し、駅構内という一等地に於て開催することとなり、JRの協力を得て、これも準備に全力をあげている段階である。 おわりに 私達は以上の対外的活動の外に、毎月の定例会、折りにふれての研修会を開催している。定例会に於ては、コンサート・映画会・会員の研究発表等を行い、研修会としては、昨年度の奈良1泊研修旅行・甲斐国分寺の見学ハイク、本年度のハヶ岳周辺の縄文遺跡の見学等を実施してきた。また、本年12月には作家の永井路子氏を迎えて文化講演会を開くことも決定している。 今後とも、一層の研修と会員相互の結束強化に努め、国分寺の名にふさわしい文化都市を築くという目的達成に向かって、ふるさとづくり・まちづくりに取り組んでいきたいと思う。 |