「ふるさとづくり'90」掲載 |
「でっかい自然に抱かれたむらづくり」 |
山形県小国町 小玉川むらづくり推進協議会 |
地区の概況 小玉川地区は、山形県小国町の中心部より南に約25キロメートル程のところに位置し、飯豊山に源を発する玉川上流部に位置する三つの小集落で構成されている。日本アルプスに劣らない豪壮な山容、峻嶮な渓谷を誇る飯豊連峰と大自然に抱かれた、四季の移り変わりの美しい景観に恵まれた農山村である。 面積1万4500ヘクタールのうち99パーセントが山林で占められ、人口は234人、世帯数は66戸で、うち農家戸数は36戸と、山間部としては比較的少なく、その約9割が二種兼業で占められ、年々地区外への通勤者の割合が多くなってきている。 美しい自然を抱えていることから、山形県でも有数の山岳観光基地であり、飯豊連峰への表玄関として、全国から多くの登山者や飯豊山の大パノラマに魅せられた観光客でにぎわいをみせている。また、国民宿舎飯豊梅花皮荘をはじめとする4軒の温泉宿泊施設には、山腹より湧出する霊場を求めて古来から浴客がつどい、彼らを大自然に生息する珍獣や山菜、菌茸類、清流に住む渓流魚などの動植物が暖かく包み込み、自然を愛する人びとを魅了してやまない。 この豊かな自然は夏の間、人びとの心にやすらぎやゆとりを与えてくれるものの、11月半ばには初雪が見られ、最大積雪量は5メートルにも達する全国屈指の豪雪地帯となっている。この厳しい自然条件は小玉川を陸の孤島と化することがしばしばあり、地域住民は長い間雪との闘いをしいられ続け、コミュニティ機能を維持するため生活基盤整備が急がれた。 むらづくり 小玉川の基幹産業は稲作を中心とした農業主体であるが、飯豊連峰の万年雪から解け出す冷水と短い夏という厳しい自然条件の中で、米と肉用牛の他に山林資源を生かした山菜の販売によって生計を支えてきた。しかし、現金収入の道が限られ、高度成長期には若者が地区から流出して人口の減少が進み、集落の活気が失われコミュニティ機能の著しい低下を招いた。 この問題に対し、集落の代表者をはじめ、青年、婦人が一体となって課題解決に向かう話し合いがなされ、悪条件を自らの創意と工夫によって克服し、自然を活かした豊かな生活環境を築くためのむらづくり運動を進めることとなった。 昭和56年には全戸参加による「小玉川地区自然教育圈促進協議会」を結成し、美しい自然を大切に保存し、その適正な利用と住民の生活向上を目的としたむらづくり活動を始め、手作りのスキー場整備へとつながった。 さらに、総合指導地域の指定(S59農業改良普及所)とむらづくり重点集落の指定(S60山形県)を経て、昭和62年に児童から老人にいたる年令層を包括した「小玉川地区むらづくり推進協議会」を結成し、自然を活かした文化、生産活動や生活環境の整備等を中心に、農村型コミュニティの確立に向けた本格的なむらづくりを始めることとなった。このむらづくり運動は様々な面で生活の知恵を生みだし、小玉川は各般から脚光を浴びている。 産業面の知恵 小玉川の産業基盤は農林業と広大な自然であることを再確認し、行政サイドに対して働き掛けをして、農道や用排水施設など土地基盤の整備(S53農村基盤総合整備事業)を実施してきた。 米づくりにも意欲的で、栽培技術レベルが高く、町良質米共励会の山間部門で高い実績を上げている。持産物づくりに当たっては昭和53年に「地域特産物開発研究会」を結成し、地域特性を最大限に活かす知恵を絞り、天然のぎょうじゃにんにく、山うど、しどけ、わさびの栽培に取り組んでいる。その成果品を地区内の宿泊施設や県内外の市場に出荷しており、大変好評を得ている。 国有林、民有林合わせて1万2736ヘクタールという広大な森林は、むらの機能を維持するにあたって大きな資源となっている。この広大な森林の集約的利用をはかる試みと、都市住民の体験観光や自然志向の高まりに着目し、小玉川の代表的な山菜であるワラビの栽培に取り組み、昭和55年に観光ワラビ園30ヘクタールを整備し、昭和56年から開園したところ、県内外から年間に2000人を超える米国者が訪れ賞賛を得ている。昼食時には婦人部手作りの味噌汁を振る舞うほか、山菜の料理方法の講習を行い、単に山菜や岩魚の販売だけでなく、米国者とのコミュニケーションを大切にしている。 また、小玉川の厳しい自然条件下で生息している岩魚を地域の特産物として定着させるため、昭和49年から岩魚の養殖が試みられた。昭和53年には岩魚養殖研究会を結成し、各方面から情報を収集しながら研究活動を続け、難しいといわれる岩魚のふ化に成功した。昭和55年には5人の仲間で小玉川淡水魚生産組合を設立し、ふ化養殖施設を整備した。岩魚は地元の国民宿舎をはじめとする旅館、民宿等の目玉料理や土産品として観光客の高い評価を得、山間地の新しい産業として確立することがてきた。 生活環境の知恵(豪雪から克雪へ) 長い間雪に苦しめられてきた地域住民にとって、冬期間の交通の確保は緊急の課題であった。この課題は、地域住民の強い要望により、町の総合計画の中に取り入れられ、観光を柱とした小玉川コミュニティゾーン計画の一環として、生活道路の整備が促進された。昭和53年には冬期間の完全除雪が整い、町中心部への通勤が可能となった。また、家まわりの消雪対策として、消雪パイプや消雪溝を設けて屋根の雪おろしや除雪の軽減を図っている。さらに、住まいの快適性を兼ね備えた高床住宅への改善へとアイデアをつないでいる。 文化生活の知恵 地区の中央にある小玉川コミュニティスクール(小玉川小中学校)は、公民館機能等多くの機能を有する夢多い学校として、地域住民の知恵を出し合い昭和60年に建設された。学校教育機能と共に、地域のコミュニティ活動、町立小中学校のセカンドスクール、都市との交流あるいは国際的交流の場として活用され地域活性化の土俵を形成している。 昭和56年より(財)ハーモニーセンターの協力を得て実施している、インドネシア共和国の子供達との国際交流も、飯豊連峰の大自然とこのコミュニティスクールが舞台となっており、その際は、ホームステイの受け入れや各種イベント及び学習活動に対し、地域をあげて協力している。この活動は生活文化や習慣の相互理解に大きく寄与しており、国際化に備えた子供達の育成にひと役買っている。 体験学習の一例として、飯豊連峰の大雪渓でインドネシアの子供達を遊ばせることにしている。インドネシアの子供達は、雄大な自然の中で初めて目にし、手に触れる雪に感激し、父母への土産に雪を持ち帰ろうと努力する。そのしぐさは、地域住民に大きな感動を与えている。 また、PTAを全戸で構成しており、地区の運動会や年間を通して親子のふれあい活動(春−わらび刈り、夏−飯豊連峰清掃登山、秋−季節外れの雪だるまつくり、冬−うさぎ狩り等)を実施している。校内の資料展示室には、雪と生活をテーマにした自然と暮らしの結び付きをわかり易くしたものや、地域に生息している野生動物等のはく製の展示等を行っている。 秋の文化祭行事は、地域住民総参加のもとで児童生徒・青年会による演劇や地域住民の絵、写真、つる細工等の作品が出展される。これに併せて、収穫感謝祭が開催され、子供達からは日ごろのお礼にと、自分達が学校の畑で作った作物を材料にした料理が父兄に振る舞われ、自然の恵みに感謝しながら、賑やかな楽しい一日としている。 このように、郷土や仲間を愛し、思いやりのあるたくましい心を持った子供達の育成に、地域をあげて取り組んでいるところである。 婦人グループの活動については、食物の貯蔵技術の伝承や料理講習会、奉仕活動を展開し、健康でうるおいのある暮らしづくりに大きく寄与している。 老人クラブの活動については、集落内の沿道に花を植えて「花いっぱい運動」を展開している。豊かな自然を背景に四季折々の花がひときわ美しく咲き誇り、朝夕の通勤者、学童、訪れる人びとの心を和ませている。 観光開発の知恵 @熊まつり 熊まつりは、地区最大のイベントとして「小玉川熊まつり保存会」が中心となり、毎年5月5日に開催される。マタギの風俗と熊まつりの古式豊かな儀式が300年来の伝統を受け継いで行われており、全国でも当地しか残っていないという貴重な文化遺産となっている。 まつりの際は、儀式のほか熊狩りの実演や熊汁のサービス、熊皮のプレゼント、地域特産物の販売等を行っており、県内外から毎年5000人余りの観光客が訪れる。 A克雪から利雪ヘ 豊富な雪を利用した取り組みとして、創意と工夫をこらした手作りのスキー場を整備し、地区をあげての「梅花皮杯スキー大会」を毎年3月に開催している。特に、スキー大会前夜祭として実施される雪まつりは、老若男女全員参加でグループを形成し、それぞれアイディアを出し合い多彩な催し物となっており、県内外からの観光客も多数迎えて、盛大に行われている。 B就労機会の確保 自然条件の厳しい小玉川に定住していくためには、何といっても就労機会の確保が最大要件である。町中心部だけでなく地元雇用の場として、小玉川には宿泊施設(梅花皮荘、川入荘、飯豊山荘、泡の湯温泉、民宿2軒)日本重化学工業(株)長者原発電所、小玉川岩魚ランド等があるが、これらの地域経済に及ばす効果は、直接的、間接的に大変大きなものがある。 特に、(財)小国町自然環境管理公社が管理・運営する国民宿舎飯豊梅花皮荘、川入荘、飯豊山荘は観光を軸とした地域振興に重要な役割を果たしているとともに、従業員の99パーセントが地元雇用であり、地区の女性の雇用の場が確保され、若者の定着と地域活性化に貢献している。 むらづくりの成果 以上、小玉川地区が進めてきたむらづくりの概要であるが、その成果としてはまず、小玉川地区は前述したように、人間が定住するにはあまりにも厳しい環境の中でむらづくりを展開してきた。地域共通の課題である「過疎からの脱却」を合言葉に、地域住民が一丸となり、国民宿舎の誘致、岩魚の養殖、観光ワラビ園等産業の振興による雇用の場の確保や、冬期間の交通の確保等生活条件の改善等に取り組んできた結果、若者の定着が実現し、特に幼児、児童数の増加が顕著に現れてきた。 余談になるが、当地区の青年部では結婚した場合、最低3人の子供をもうける運動を行っている。さらに、若手によるエネルギッシュな生産活動や文化活動は、地域活性化の牽引力となり、各年代層、各組織間の協力体制を強固なものとし、各種事業を展開するにあたっても最大の効果を収める結果となってきている。 将来に向けて これらの成果は、地域住民総参加のもと、「協働」してきた結果であり、大自然の脅威にさらされてきた陸の孤島から、都市と農村の交流を通して、山村の快適さと都市の利使さを兼ね備えた、自然と人間が共生する美郷へと確実に変化を遂げてきている。 今後のむらづくりについては、次代を担う担い手組織として昭和63年1月に発足した「21世紀地域開発研究会」の中において、先人達が築きあげてきた伝統に、さらに自分達の知恵と協力そして行動で、地域の持つすぐれた特性である「天と地と人の利」をより一層高め、21世紀に向けての、新しコミュニティを拓くための話し合いと実践が、現在、精力的に行われているところである。 |