「ふるさとづくり'90」掲載

ふるさとづくりは人づくり
群馬県館林市 郷谷高齢者ふるさとづくり集団
高齢者のささやかな実践

 ふるさとは天から与えられたかけがえのない、私たちの生きる大切な地球の一角です。そして、過去・現在・未来永劫にわたる人間の心の源泉とも言えましょう。
 その大切なはずのふるさと、そこに住む人の心、郷土愛は今や風前の灯、今にも消えようとしています。美しい自然環境の破壊、連帯感の消失、文化遺産の放置など目にあまるものがあり、とくに憂慮されるのは、人の心です。家屋あって家庭なき日常生活の中からは、人と挨拶もできない若者が増え、自我本位、協調性に乏しく、人の幸、不幸もわからぬ全くの無関心者が目立っています。ふるさとへの愛着など無に等しいこんな世相にあって、我々老人にも何か社会のために役立つ方法はないものか、と思案せずにはいられない毎日です。生きているうちに、ふるさとを次代の若者に語り継ぎ私たち老人の長い人生体験・知識などを地域に還元してやろう。少しでも郷土のことを教え、そこに愛着心を芽生えさせてやろう。互いに挨拶のできる、そして地域の連帯性を大切にする、地域ぐるみのふれあいを拡げよう。と意志を決め、早速“人づくり”を実践目標にたてました。そして、その具体的手段として、


手作りのふるさと歴史資料集

 私は平素より、この貴重な「ふるさと」をもう一度掘り下げて、実態をつかみそこに懐しさと親しみをもたせ、市民が愛郷心をもって生きていけるような実践指導こそ急務と信じてきました。
 そんな矢先の去る元旦、地区慣例の「歩け歩け大会」の当日のことでした。同行の一小学生が「郷谷にも昔、偉人がいたんですね」と、当地出身の地図測量家「大出地図弥」の名を上げ、私に語りかけてきたのです。大切な問いかけなので知る範囲のことは説明して上げましたが、どうも色々と知りたがっている顔つきでした。すると、同じような思いの子等が私を囲んだのです。その時です。私はふと彼らのために『ふるさと歴史資料集』を手作りしてみようと思ったのです。
 次代を背負う子等の、この一途な姿勢を大切に、その芽を育ててやりたいと思い、早速、知識・生活体験豊かな土地の高齢者達に話をもちかけました。どうやら10人の同意を頂くことができ、待望の高齢者による「ふるさと資料作成委員会」の発足、決定をみることができました。
 公民館で毎月2回の定例会議を開き、63年7月に第1回委員会で役員・掲載内容・編集のねらい・今後の進め方等を検討しました。なんといっても平均年令74歳の老人にとり、この実践行動は大変でした。あまり学のない農家のおじいちゃん、おばあちゃんの寄り合い世帯なので、どうやってよいのか雲をつかむような思いで、責任の重さが私の老躯をせめました。その時委員長は「老人は奉仕の心で社会に参加し、豊富な体験知識を地域に還元し、ふるさとを再認識していただこう。これが私達老人の使命です」と発言したのです。このひと言が委員たちに自覚と生きがいを与えたのです。「ありがとう」私は心の中で敬服の返礼を送りました。
 それからという日は、委員皆が分担別にノート持参で、生きた資料集めに奔走してくれたのです。雨の降る中を、また空っ風の吹く中をトボトボと活動している老いの身のひたむきな精進の姿、ひとりとして欠席のない毎回の会議など、彼らの真摯な心根に深い感銘を受けました。こうして14回の会議の結果、今年1月末日、ささやかなふるさと資料集『さとやの素顔』を手にすることができました。努力の結晶のこの小冊子を手にして、私は心の中で万歳を唱え、同志の方々に深々と感謝の念を捧げたのです。
 発行部数全世帯1300部、経費35万円はすべて委員会の同志グループ10人が、命の綱とも言うべき、ささやかな年金の一部から分担支出して充てました。郷谷地区全世帯への配本も、すべて老人達が乳母車に積んだり、自転車の荷台に積んだりして無事終了しました。老人達は異口同音に「よかった」を連発。その時の稀に見る生きがいと満足感を表わす姿に、私はこれ程うれしさを感じたことはありません。
 私はこの実践を通し、大いに学び教えられたのです。口だけでは郷土愛の育成はできない。自ら汗を流してかけ回り、自分の手で掘りさげてみる。そして目的の獲物を発見した時、初めて郷土を知る喜びを知ります、それが愛郷心の始まりであり、この感激、拾った獲物を老人達が地域に還元してやる行為こそ、郷土を知り愛郷心を育成する根本理念だということを知りました。公民館で老人から昔話をきく母と子、大きな瞳で熱心に聴き入るあの顔が忘れられません。
 一方、材の尽力者宅を訪問すれば「家のおじいちゃんのことがこの本にのってるね」と喜ばれたり、村の区長さんが慰労会を開いてくれたり、大変な反応(よい意味の)がありました。この本を出して本当によかったと思います。祖先の汗で築かれた水と緑の美しい郷土を守るためにも、地域の先達老人は率先して指導の場に立ち、ふるさと作りは老人の手でという鉄則を忘れてはならないと思います。


手作りのふるさとかるた

 もうひとつのふるさとづくりの具体策は、郷土をもり込んだ「ふるさといろはかるた」の作成とその浸透普及という仕事でした。メンバーは前段の10人で実践いたしました。ふるさとの自然・文化財・人物・神社仏寺・産業等各般にわたって、子供達の郷土的教材なるものを列挙した一覧表を作成し、その中から代表的な44項目を抜き上げ、それらをひとつひとつ“かるた”の文句として詠みこんでみたのです。10人が持ちよった句の選定に大半を費しましたが、約3ヵ月でどうやら子供達の遊べる体裁が整いました。
 今度はその活用方法です。先ず、郷土かるたに登場してくる名所・文化財・人物神社・産物など一切に、簡単な解説を加えて一覧表にして子供達に渡し、これを資料に郷土学習会をもちました。しかし子供達はなかなか集らない。仕方なく、子供育成会長さんやPTA役員さんにも協力を呼びかけ2回3回と会を重ねてみました。3回目にやっと40余名の児童の集合を見ることができ軌道にのったのでした。
 学習会の次は、かるた登場箇所の実地見学会です。主に土曜の午後と日曜を選んでは、徒歩またはサイクリングを兼ねて自転車で巡見しました。これも大変な仕事でしたがどうやら終了でき、次は“かるた大会”の本番となりました。大会を目標に、子供達が練習会を自主的にもってくれて自然と盛り上がりが見えてきました。そして3月と4月、2回のかるた会を公民館のホールで賑やかに催すことができました。
 その時には、子供たちは、かるたの文句をすらすらと覚えて口ずさむようにまでなってくれた。それを側で耳にしている私たちは、ようやく苦労して作った甲斐が、この肌身に実感として湧いてきたのです。だが私たちのねらいは果して実るだろうか。単なるかるた遊びで終ってしまうかも知れない。子供らは、ふるさとを覚え、人と仲よくし、大切な文化遺産を守ってくれるだろうか。不安でたまらないというのも本当の気もちでした。
 そんな思いでいる時の、交通整理の当番に立ったある朝のことでした。「公民館のおじいちゃんお早う」。この子供の挨拶は正に値千金でありました。なんと純粋な心だろう。40年間の教員生活の中にもこんな教育効果は滅多に経験できない貴重な指導の産物でありました。ランドセルに黄色の帽子の小さい子供から言葉をかけられるなんて、本当に別世界にでも行ったような錯覚すら覚えました。泣くことも忘れていた私もこの時ばかりは嬉し涙がにじんだものでした。この朝は「○○地区の児童会の生徒が尾東神社・楠木神社の落書き消し作業をして、神官さんにほめられたそうな」とニュースが入る。今日はなんとよい日なんだろう。3時のお茶も一入おいしかった。今朝挨拶してくれた黄色の帽子の子供たちの後姿が目について離れない。“かるた”を作って本当によかった。ああ嬉しい。子供たちが高齢者世界へ目をむけてくれたのだ。


結果と反省

 高齢者10人集団のささやかな活動として、
@ふるさと資料の作成による郷土愛の育成。
Aふるさとかるた作成による郷土愛の育成。
 このふたつの活動から、地域住民のふるさとの再認識(ふるさとへの愛着・地域のふれあい)を軸に“人づくり”を試行してきました。言うは易く、行うは難く、よい結果ばかり得られませんが、結果として見られることは、子供会の自主活動、たとえば神社清掃・野仏献花・あいさつの芽生え、スポーツ活動の活性化をけじめとして、世代間の事業を通して交流活動が盛んに行われるといった変化の現象が見え出したことです。
 高齢者会と子供会のふれあい事業として、ゲートボール、正月用のシメ縄作り、芋掘りのこころみ。また、毎年9月15日、敬老の日には子供会(53名)による茶菓の老人への接待をはじめ、八木節踊りの披露も地区の皆様の好評を博しています。つゝじ会(婦人部)との交流会も年2回楽しく開かれています。
 私の信条として
 「ふるさとを学んで豊かな郷土愛」
 「ふるさと学習拡がる友情高まる文化」
 「ふれあいは、心を結ぶ交差点」
 愛郷心とは、「我がふるさととは」という問に答えられるような地域の真の姿を教えてあげること、また、「我がふるさと」を誇りにしながら市民が楽しくふれ合う連帯の中から生まれるものです。
 私たち高齢者は、無力ではありますが、地域の先達として知ることは教え、助けられる福祉方面には感謝しつつ、住みよい郷土作りに微力を続けて行きたい心で一杯です。これからも、世代間の交流・農村部と都市部(新興都市区域)との仲よし交流を中心に、残された短い時間に全力投球することを誓って筆を止めます。