「ふるさとづくり'90」掲載 |
島根山中に理想郷の夢を追って |
島根県日原町 明日の左鐙を創る会 |
日原町の概要 島根県日原町は、県の西端部、万葉の詩人柿本人麻呂そして、室町時代の画匠雪舟ゆかりの地益田市と、史跡と鯉で山陰の小京都と呼ばれる津和野町との中間に位置し、平成元年3月末の世帯数1578戸、人口5271人、町の総面積167.72平方キロメートルのうち、約92パーセントを山林原野が占め、耕地面積は全体のわずか2.5パーセントという、年々人口の減少化と高齢化が進む典型的な山間部の過疎の町である。 けれども、自然環境には恵まれており、西中国山系のふところに抱かれた豊かで美しい緑と、一級河川高津川の清流など、四季折々の自然の美しさは格別である。 全国的に地方の時代が論じられ、昭和50年代からは、一村一品運動に代表されるムラおこしマチづくりの運動が、全国各地で実践されはじめ、それらの情報が届きはじめたことから、日原町においても地元の特産物や豊かな自然を活用した町づくりを展開しようという気運が、芽生えはじめて来たのである。 農林業を基幹産業とする日原町の中にあって、清流高津川の香り高い鮎と、冷たく清らかな谷水で育つわさび、そして、歴史的伝統のある養蚕業、中国地方でも唯一となった生糸工場で生産される絹糸などは、優れた特産物として「鮎とわさびと絹の町」というキャッチフーズを生み出し、これらを活用した特産品づくりに取り組む団体やグループが現われ始めたのである。 また、こうした背景の中で日原町は、昭和59年度より県の補助事業である「まちむら活性化事業」を受けて、全国一を誇るアマチュア天文台を建設し、新たに「星のふる里」のキャッチフーズも加えて、教育とレクリエーションの町づくりを提唱し、現在では天文台の横に木の香もゆかしいペンションと、ビデオなど視聴覚機器を整備した天文映像資料館も完成し、全国から多くの人びとが訪れている。現在、この天文台を中心として町の活性化が図られつつあり、これらの運動は、子供達や多くの人びとに夢とロマンをいざない、未来への創造心を担う人づくりをめざすユニークな発想だと注目されている。 左鐙地区の概要 左鐙地区はこの日原町の南東部、標高1263メートルの安蔵寺山のふところにあり、山あいを高津川が流れ、春は岩つつじ、秋は紅葉が映え、渓谷と渓流の美しさは町内一で、自然の豊かさ美しさには目を見張るものがあるが、地区の対象世帯数は170戸、人543人と、町内でも特に人口流出による過疎化と高齢化の進度が著しく、高齢者比率は30パーセントを超える地区である。 このような過疎化、高齢化が進む中で、高齢者の活動は積極的でめざましいものがあり、全国でも最初にできた町農協老人部や、公民館の高齢者学級などの学習活動の中で、ひょうたんづくりの生産活動に取り組み、高齢者活動センターも建設され、全国的にも紹介されるほどの成果をあげて来ている。 一方、高齢者の活動に比べて、一般成人の地域づくりへの取り組みは個々バラバラで、今ひとつ活力を欠いていた。過疎化と高齢化の波の中で、何かやらなければと地区住民の多くが思ってはいたが、それが何であるかわからず、固定観念にしばられ発想の転換も図れず、ただ夢物語を語り合う程度で、なかなか実践活動へと展開することが困難なのが地区の実態であった。 明日の左鐙を創る会の誕生 このような状況にあった左鐙地区において住民たちが地域づくりを始めるきっかけとなったのは、日原町内の特産物を展示販売する物産センターの建設予定地が左鐙地区に決まったということであった。この物産センターというのは、町全体の資源活用による農林業の振興と販路拡大、渓谷や河川、豊富な森林資源を生かしたレジャー基地の建設であり、住民の生活基盤づくりと地域の活性化を図ることが目的である。 だが、物産センターがポツンとひとつだけ建設されたとしても、その運営や経営が非常に厳しいことは言うまでもないし、町も、補助事業の枠組みだけでは住民が要望するような付帯施設や設備までは望めない、ということが目に見えていたのである。 しかし、物産センターができる。しかも、自分たちの住んでいるこの左鐙地区に。 このことにより、地区住民側に物産センターにふさわしい環境づくりを始めようという自発的な意識が芽生え、何度かの徹底した討議の結果、これを契機に左鐙の将来を真剣に見つめ、高齢者問題、後継者問題、花嫁対策など、地域活性化のための課題解決に住民の手で取り組もうと、自治会、婦人会、老人会、青年会などの有志により「明日の左鐙を創る会」が誕生した。昭和60年4月のことである。そして、昭和60年度より生活会議の実践地区指定を受けて活動を開始していくことになったのである。 会のメンバーは、男女合わせて40名、農林業、土建業、商業、サラリーマンと職種も年代も幅広く、時間的ゆとりの無い人が多いため集まる時間は夜である。 また、会は、@地域で生産されるものを有効に活用し、経済的収益を高めていく地場資源を生かし、創意工夫した特産品開発を考える生産部、A豊かで美しい自然環境を生かしたムラおこしを考える観光部、B情報収集と情報発信を受け持つ文化広報部の三つの専門部会に分かれ、部長には、40歳代の中堅の人が選任され、会員は、各自の関心の深い部会に所属し、部長を中心として各部会ごとに学習会や調査研究などを行い、その結果を基にして全体討議で具体的な環境整備や地場産業振興構想を練り、年次計画を立てて行動を起すというシステムを作っている。 また、地域住民の18歳以上を対象とした意識調査を行ったり、大学教授を講師に招いての講演会や座談会、また先進地視察などを実施し、会員相互の意見交換を行い、討議を重要視して、地域課題の把握と解決策、そのための事業計画、内容などについて、まず共通認識を持つことに心掛けている。 生産部の活動 生産部が中心となって行っているものに、「無人野市」がある。国道187号線沿いに間伐材を使って、会員の手で無人の販売所を作り現在は毎週土・日曜日を定期市として、ここで地場野菜を売っている。生産部の部員は、朝6時に販売所へ集まり準備をしており、安くて新鮮だとドライバーのみなさんにも好評で、売上げ額も伸びており、新しい商品の研究、開発、加工にと日々努力を続けている。 また、盆と暮の年2回、地元の郵便局と連携して、ふるさと宅配便も実施している。左鐙地区で生産されるわさび、しいたけ、ゆず、とうもろこし、鮎などのおいしいふるさとの味を全国各地に送り出している。 また、高齢者が中心となって取り組まれていたひょうたんづくりも一段と活気づき、新たな商品づくりに取り組んだり、ひょうたん祭の構想なども出てきて、ひょうたんの里づくりをめざした活動が展開されている。 観光部の活動 観光部は、物産センター建設地にふさわしい環境づくりと花いっぱい運動、環境美化運動の展開を行い、千本桜の里づくりの年次計画を立て、桜の本の植えつけとその管理を行っている。しだれ桜、寒桜、山桜、吉野桜と多品目の桜を植えつけてきて、今年は、旧国道に吉野桜百本の植えつけを行っている。 また、国道沿いの道端には、つつじやあじさいを植えつけ、年毎に増やしている。毎年生い茂るかずらや雑草との戦いで、会員一致団結し取り組み、今では地域住民への波及効果も高まり、地域一丸となり取り組んでいる。 昭和63年からは、天然の鮎を食う会を高津川の川原で開催し、広島や山口、大阪など他県の人びとも訪れて、都市との交流活動も取り入れて活動を展開し始めている。この会を開催するに当たっては、事前の打合せを幾度も開き、充分に意見を出し合い、宣伝、入場券の販売、前日準備、当日の役割分担など、多くの会員にとって初めての体験であっただけに真剣に取り組みがなされたのである。 平成元年も予想以上の参加者があり、美しい自然の中で本物の味を楽しんでもらうことがてきた。今年は全般的に鮎の漁獲量が少なく心配されたが、養殖物は絶対に使わないと本物にこだわる会員は、前夜川に入り鮎の確保に一生懸命にがんばった。おかげで都市からのお客様に喜んでもらうことができた。 文化広報部の活動 文化広報部は、会報の発行により、会員と会員、また会員と地区とを結びつけるネットワークづくりと、会員の資質を高めるための先進地視察や学習会の開催を行っている。 また、昭和62年からは、左鐙地区に伝わる伝統芸能や産業などと四季折々の自然と生活の営みとを収録する「ふるさとビデオ」(題・おらが自慢のふるさと左鐙)の制作に取り組んでいる。このビデオ制作に当たっては、地元NHKに講師を依頼するなど専門的学習も行い、1年間撮りためたフィルムを30分番組に編集しようと頑張っている。 こうした資金は、文化祭のバザー売り上げ金などで、全員の努力で資金作りを行っている。 このように、明日の左鐙を創る会は、自らが楽しみながら活動を続けていくことをモットーに、住民の創意と工夫で豊かで美しい自然を守り、特産物などの地場資源を活用した地域づくりを進めている。 そして、昭和63年には、あしたの日本を創る協会で制作されたスライド『あすの地域社会をつくる生活会議運動』の中に、明日の左鐙を創る会の活動が紹介されるまでになった。 |