「ふるさとづくり'91」掲載 |
<集団の部>ふるさとづくり奨励賞 |
川を再生し川を楽しむ |
神奈川県 よこはま川を考える会 |
会の発足 横浜の川はきれいではない。 かつて、横浜港に各地から着いた荷物と一緒に、ハマの新しい風を吹きこんでいた運河は、今はその役目を終えて、生活雑排水の流れこむドブ川となっている。 「よこはまかわを考える会」は、その川をテーマにして、川を楽しむことから活動を始めた。 メンバーは、三木和郎のペンネームを持ち「都市の川」を書いている森清和さん、活動のスライド説明を受け持っている吉村伸一さん、会の機関紙「かわを考える会ニュース」の編集長として毎号イラストを描いている白龍敏弘さん、資料収集など事務局を受持っている松岡恒司さん、この会の最初の呼びかけ人で生活会議の窓口となっている宮本一美さんたちで、いずれも横浜市の都市計画局・下水道局・公害政策局などの職員である。 1982年の2月に20人の人びとで発足した。 生活会議の仲間になったのは1983年からか、その時には市民の各層からメンバーが増えて40人になっていた。 この会には最初から、会長とか代表という人は決めていない。イベントを提案した人が中心となってプロジェクトを組み、みんなが協力して動きだす。メンバーの層は厚く、学生、主婦、サラリーマン、先生、自営業の人びとが集まっている。中でもユニークな方々として、金子博士こと中華料理店経営の金子さん、外に対して代表が必要な時にお願いしている横浜国大の山田教授、会の事務局があるカッパハウスのオーナーで薬局の高木さん、女流造園家で環境デザイナーの並木さんなどがいて、自らカッパと称し、会の事務局であるカッパハウスに集まってくる。そして、機関紙に原稿を書いたり、毎月開かれている研究会の講師を務めたりしている。 現在のメンバー数は200人になった。 川の清掃も楽しむ 横浜の川の水は黒く、悪臭もする。その川を楽しくきれいにすることをこの会は考えた。「小学校の時の、バツとしての掃除当番の苦痛イメージを変えたい」と事務局の松岡さんは言う。 そこでまず、近くの川を見て歩くことにした。すると人工的だと思っていた都市の川にも、川らしい自然を発見することがあって、そのまわりからゴミを拾っていった。 川の中から出てくるゴミは、あき缶・あきビン・発泡スチロール・ポリ袋・プラスチック容器などがほとんどだが、中には自転車・バイク・電気洗潅機など大型のゴミもある。 戸塚区を流れる柏尾川では、ゴミが島を形づくっていて、都市を流れる川のひとつの特徴ともなっている。 川掃除のあとに楽しいイベントを継なげてしまうのがこの会の得意とするところである。掃除した後の川では、川に綱を渡して渡ったり、手作りカヌーのレースをしたりして子どもたちが遊び始める。中には泳ぎ出す子どももいる。岸辺では、拾ったゴミの中で燃えるものを燃やして焼いもやバーベキューをする。その囲りで大人たちはお酒を飲む。お酒は水とは切っても切れない関係だからと言っては、何かにつけてお酒を飲む機会を作っている。その中から次々と新しいグループが出てきて、この会から分れて新しく発足した生活会議だけでも4つになった。 主なイベント 川を楽しむイベントの主なものとしては、川に屋形舟を浮べてちょうちんをさげ、その中でビールを飲みながらの「タ涼み」がある。汚ない川に、最初は漁船を浮べてビールを飲んでいると、岸に人が集まって、よくこのにおいの中でビールが飲めるものだとのぞきこむ。こうして横浜にも川があったことに気が付く人が増えてゆく。みんなも川はきれいな方が良いから、川掃除をしているど参加する人数は少しずつ増えてくるのである。この会の最大のイベントは、カヌーフェスティバルで、「よみがえれ運河」をテーマに毎年開催されている。 1990年10月21日に第9回目の「横浜縦断カヌーフェスティバル」が催された。主催はカヌーフェスティバル実行委員会(神奈川県カヌー協会・横浜カヌー協会・よこはまかわを考える会)で、申し込み先は機関紙担当の白龍さんのところである。自称カッパの中には「カヌー中毒隊」と呼ばれるカヌーマニアが何人かいて、このフェスティバルの中心となって働いている。 コースはAコース24キロメートル)とBコース(7キロメートル)に別れ、参加資格は小学校4年生以上のカヌー経験者で自艇が原則である。毎年神奈川県外からの参加者も増えてきている。今回は全部で166艇・204人(男149人・女55人)・犬も一頭が横浜のみなとみらい21の中にある日本丸メモリアルパーク前をスタートして、大岡川、中村川、堀割川を経て根岸湾を回るコースをカラフルに行進した。中にはのぼりで飾り付けたカヌーセバニーズのかっこうをした男性グループやいろいろな形をした手作りカヌーもあり、楽しいお祭になった。ただし、「カヌー中毒隊」はレースを得意としないで、陸で役員を務めたと機関紙には書かれている。 日常の活動 この会の日常の活動は定例研究会、機関紙の発行、近くの川を見る会、遠くの川を見る会、河川塾、子ども発見団、流域地名研究会と広がって、その中から生活会議も生まれている。機関紙では、この仲間のグループの研究会やイベントを知らせている。 この中で、子ども発見団は、子どもたちを中心にユニークな活動を展開している。子どもたちは、鶴見川や帷子川といった横浜の汚ない川を見て歩き、「どうしてこんなに汚れているの」「誰が汚ごしたの」と疑問を持つ。川に近い、古くからあったと思われる家に行っておとしよりと会い、いつから川が汚れ始めたのかを聞いてくる。そして子ども会議を開いて川のことを話し合う。川の岸に張子のカッパをつくって「カッパ大明神」のお祭をする。川の清掃も手伝うが、少しぐらい汚ない水でも泳いでしまう。子どもたちも川を楽しみ始め、カッパ・ジュニアが育ってきている。 その他に、この会独自に「横浜水辺賞」を設けて、川や海などの水辺に関わる様々な活動に対してこの賞を贈っている。1989年の第6回表彰式は12月に行われ、県立氷取沢高校自然科学部、作家の笹山久三氏(四万十川シリーズ)、横浜市立帷子小学校帷子川ウォッチングクラブが受賞した。 まとめ この会の活動の特徴をまとめると次のとおりである。 (1)従来の生活会議の活動よりもその活動地域が広い (2)会長や代表がいない。 (3)行政の職員が中心となって市民に運動が広がり、市民運動への行政参加のひとつの型となっている (4)コツコツ型から楽しみ型の活動にしている。 (5)活動が他へ波及して、次々に新しいグループや生活会議が生まれた。 さらに、川と暮らしの間を、昔のようにとはいかないまでも、近づけようとすることによって川が少しずつきれいになっている。最近では、南区の、あの汚なかった大岡川にアユが見られ、川底の石も数えられるようになったと話題になっている。 かつて日本の玄関であった横浜港から、新しい風を吹きこんで、新しい暮らしの文化の担い手であった運河を、現代のあわただしい暮らしにやすらぎをもたらすウォーターフロントとしてよみがえらせようとしているのである。 川を楽しんで活き活きと暮らし始めた自称カッパやカッパジュニアたちが、新しいハマの文化の担い手として、これからも増えるにちがいない。 |