「ふるさとづくり'91」掲載
<自治体の部>ふるさとづくり奨励賞

鶴と国際交流の里づくり
青森県 鶴田町
こう鶴と呼ぶコウノトリ

 私たちの町に、日本では絶滅したと言われているコウノトリが忽然と姿を現わしました。まるで縄文の里からタイムマシンに乗ってやって来たような錯覚にとらわれます。それが謎めいていて、夢をかきたててくれるのです。
 鶴田町の名前の由来は、大昔鶴が飛来したからと言われています。ある本によると「松にツル」というのはコウノトリのことである、と書かれています。昔飛来していたのは、このツルではなかったかとも考えられるのです。
 コウノトリは「こう鶴」とも呼ばれます。「コウノトリが田んぼに降りると豊作になる」とも言われていることから鶴田の名前があるのかもしれません。
 そんな鶴田町は、青森県津軽平野のど真ん中にあります。人口約1万7000人。基幹産業は農業。米とリンゴづくりが主です。町の面積は46・15平方キロメートル。地形が、これまたなんと鶴が両翼を広げたようにも見えるのです。
 コウノトリが太古の記憶をたどって飛来したものか、それを充足できる豊かな自然環境が私たちの町にはあります。町の中央を流れる岩木川から恵みを授かり、西南の空には岩木山が誇らしげにそびえています。それだけでも私たちの町の風土は、慈愛に満ち盗れたふるさとそのものだと思えます。


縄凧に夢をのせて

 鶴凧の会の会員は現在105人。発足当初の昨年8月に20人しかいなかった会員が、急激に5倍強になりました。
 津軽はもともと、津軽凧が盛んな地。凧の会の会員もたくさんいます。そこへ鶴の立体凧を作る話が持ち上がったため、よげはまり(何でも積極的にやる)の人びとがのれそれ(どんどん)参加しました。立体凧の製作は非常に難しいものがあります。昨年、下山助役と企画課の職員が北海道の鶴井村を訪問。鶴凧を1羽(?)譲り受けてきました。
 それを見た棟方企画課長が同様のものを作ろうと奮起。設計図も何もないのに、鶴凧を透かしてみながら毎晩自宅にこもって製作に励みました。
 約1ヵ月間、自宅の居間は竹や和紙、紙屑などでいっぱいになりました。家族の激励と職員の叱喀(?)の中、見事に完成。大空高く舞い上がる鶴凧を涙目で見る棟方課長の姿に、ロマンの片鱗が見えました。
 「よし、やるぞ」「おれにもできるのでは」という思いが町に住む人びとそれぞれに生まれ、鶴凧に夢をのせる人が急激に増えたことは言うまでもありません。最初は、弘前凧の会の成田翔風氏から指導を受け、約3週間をかけて完成。「もったいなくて、とても飛ばせない」「落ちたら一から作り直しだわ」と試験飛行前の会員の声は悲喜こもごも。飛んだ瞬間、目にいっぱいの涙を浮かべる人や、落下して羽が折れ、照れ笑いを見せる人など様々です。
 しばらくは見よう見真似で作っていたのですが、同会ではついに鶴凧の設計図を作成。「鶴凧の設計図はまだ日本にはないようです。これをもとに町に住む人たちに作り方を広めたいですね」と石村幸男会長は意気盛んです。
 現在は「新春鶴凧上げ大会」や「鶴田龍神火まつり鶴凧上げ大会」など様々な催しを企画、実行しています。


汗と涙の鳥人間コンテスト

 琵琶潮で開かれた「第14回鳥人間コンテスト」に参加した人たちもいます。鶴の形をした両翼17メートルのジャンボグライダーを作り、参加したのです。
 同大会は、プロペラ機部門と滑空機部門に分かれています。初参加なので滑空機部門にエントリー。大挙して湖畔の地を踏みました。
「優勝は無理でも、その次ぐらいは……」と期待を寄せていましたが、プロペラ機部門と滑空機の女性の部が終わったところで、強風が吹き始めました。
 午後2時の発表「このままでは無理です」。午後2時30分の発表「やはり無理です」。午後3時の発表「現在の風速は8メートル。3時30分になっても風速5メートル以下に下がらなければ、残念ですが……」。
 祈り続けた1時間30分。願いも空しく、滑空は以降中止です。中止が決定してトラックに機体を積み込む他の参加者を横目で見ながら立ちつくす、われら「やる気の会」。
「2ヵ月間毎晩作ったのに」「東北で参加したのは、おれたちだけだったのに」「24時間もかけてやって来たのに」。同会に機体をトラックに積んで帰るための予算がありませんでした。製作し、運んで来るだけで精一杯。ただ1度飛ぶためにすべてを注ぎました。
 それが飛べない。その場で壊すしかないのです。走馬灯のように、2ヵ月間の苦闘がよみがえります。
 悔しくて、悲しくて、涙をこらえるのがやっとでした。「まだくるど(またくるぞ)」。声にならない呻き声が鶴のグライダーの残骸に誓っていました。
 努力は必ずしも実らないのです。「努力は積み重ねるから崩れる」詩人伊奈かっぺいさんの名言を思い起こした帰りのバスの中では、すぐに来年への機体作りの話が酒の肴になっていました。なんとプラス思考の若者が多いことか。この熱意は国際化社会でも立派に通用するはずです。


鶴にこだわるツルッパゲの会

 鶴にこだわる人は多い。とりわけユニークなのが「鶴田町はげます会」の皆さん。通称ツルッパゲの会では、平成2年2月13日に「ツルリン村有多毛の夕べ」を企画。町内外からツルリとしたこうべを持つ人が集い、互いをはげまし合いました。
「はげに悪人はいない。ケガもない」と意気軒昂です。


小さな町の大きなチャレンジ

〈鶴囲町の国際化〉
 今、私たちの町は、米国オレゴン州フッドリバー市と姉妹都市交流を始めて14年目になります。中学生大使や留学生はすでに200人が太平洋を越えました。さらに一般の方も含めると400人にのぼります。
 この子らを、私は「地球の子どもたち」として、世界に目を向け、世界にはばたき、世界の人びとを愛せる人間として鶴田の地で育みたいのです。
「これからは国際化時代がやってくる。国際化時代に対応した人づくりが急務」と、町民に理解を求めたのは昭和52年でした。
 そのころは、まだ国際化という言葉はあまり叫ばれておらず、立町教育を柱にまちづくりを進めようとする鶴田町にとっては大きな賭けでした。「まちづくりは人づくり」を基本理念に一大改革を試みたのです。
 町議会の承認を得、国際親善都市連盟と、日系2世で農園主のレイ安井氏の尽力により、昭和52年7月27日、米国オレゴン州フッドリバー市と姉妹都市を締結。「ずいぶん派手なことをやるなあ」という声はあったものの、町議会では全員賛成。そこから鶴田の国際化はスタートしました。
 フッドリバー市はオレゴン州の東北部にある人口1万9000人の町で、リンゴ、ナシ、サクランボなどの果樹栽培が主産業。両市町とも収穫量が最も多いのはリンゴです。いってみれば、果樹が取り持つ縁といったところ。人口約1万8000人の小さな町の大なチャレンジとなりました。
 締結後の交流は、年を増すごとに深まっていきました。親善訪訪問団の渡米、交換留学生の派遣など様々な活動を展開した後、新企画として昭和58年度から毎年度、中学生大使派遣事業を行いました。
 フッドリバー市の中学校に通いながら、向こうの生活習慣や人生観を学んできた中学生大使たちは元気いっばい。「さらに英語を勉強したい」「英語が身近で難しくないように思えてきた」「もう1度今度はひとりで姉妹都市を訪問してみたい」などの意欲的な発言がポンポン出てきます。
 また、両市町の幼稚園、小・中学校の姉妹校も締結されており、各校の絵画や工作の作品交流は年々密度を増しています。毎年開かれている町民文化祭でも「フッドリバー展」は恒例のものとなり、フッドリバー市を紹介するスライドや、フッドリバー市民来町時の交流のようすを収録したビデオ等は人気を集めています。
 民間レベルで結成している「フッドリバー市民と親しくする会」の会員は現在180人。ボランティアで英語教室を開き、英文手紙の書き方を指導している人もいます。


英会話を日本一のレベルに

 鶴田中学校の英会話を日本一のレベルにしようと、昭和61年度から中学生向けの英会話教室を開設。予想していた人数の2倍以上の受講生が集まり、学校長は目を丸くしていました。
 昭和63年からは、外国青年招致事業の一環として米国ペンシルバニア州ランカスタ−市のジョディ・ヒルヤードさんが英会話の指導に当たりました。屈託のない顔でどんどん話しかけていく中学生たちとジョディさんの友情は厚い。町民文化祭では、みんなで英語の影絵劇を披露し、町民から大歓声を受けました。
 現在は、米国モンタナ州ボースマン市から国際交流員として鶴田町に来ているマリサ・デュリンさんが鶴田中学校で英会話を指導しています。
 さらに、一般町民を対象にした「町民教養講座」でも英会講教室を開いており、人気は上々です。昭和62年からは中学生を対象に「英語弁論大会」を実施。生き生きと英語を話す中学生には、目を見張るものがあります。
 締結間もないころは、英語を話せる人がほとんどいませんでした。が、今は違います。通訳者全員が鶴田町民です。役場職員でさえも6人が同時通訳できます。英会話専門の学校へ通った人はひとりもいません。姉妹都市交流をしながら覚えたのです。人間、その気になれば可能性がグンと広がることの証明のようにも思えます。
 ホームステイを引き受ける家庭もごくわずかで、これにも苦労がありました。それが今では、訪問者全員を引き受けられます。昭和63年には「通訳バンク」と「ホームステイバンク」を発足するまでに至ったのです。
 鶴田町では昨年「第1回青森県国際交流シンポジウム」と「国際スポーッフェスティバル」を開催。そして今年の6月には、全国規模の「国際交流フォーラムinつるた’90」を開催しました。
 この企画を成し遂げることができたのも、フッドリバー市民と親しくする会の皆さんの熱意によるものなのです。
 また、鶴田町では町全体を国際交流センターにする「鶴と国際交流の里づくり」計画を進めています。津軽富士見湖周辺の整備と国際交流会館建設のため、今年度から本格的に事業に着手。町全体を県内の国際交流の拠点とする「国際交流センター」と位置づけ、屋内部門として国際交流会館、屋外部門を津軽富士見湖周辺に求めることにしています。
 私たちは、情報を発信し、受信することによって新たな夢と可能性が生まれることを、一地球市民として心から願っています。