「ふるさとづくり'91」掲載 |
<個人の部>ふるさとづくり大賞 |
「過疎を逆手にとる会」会長 |
広島県三次市 安藤周治 |
「過疎を逆手にとる会」の安藤周治会長は、現在市町村のまちづくりの提言や、アドバイザ−として、全国を意欲的に走り回っている。過疎に悩む人、将来の町づくりに悩む人、また、人生に悩む人が安藤会長に出会うと何故か元気になるのである。それは生来持っている、人の心を明るくするしやべり口と、「ふるさとづくり」23年の実践経験からにじみ出る知識と言うか人間味のなせる技であろう。 安藤周治さんの「ふるさとづくり」は、1967年のボランティアグループ「県北やまびこ」の活動から始まる。 そして1969年「瀬戸内開発青年大学」ヘ参画した。この出来事が彼に「ふるさとづくり」の思いを動機づけた。 この「ふるさとづくり」ヘの燃える思いは、早速翌年の1970年万国博覧会が行われた年に、「作木未来会議」をつくり代表となることに発展する。「 作木未来会議」が起爆剤となり、積極的に「ふるさとづくり」の勉強会を開催することになり、また、外部への研修会へも参加することになる。 ・1971年には「中国山地青年バイオニア研修」ヘ参画。 ・1975年RCC中国放送(ラジオ)「ふるさとレポーター」となる。 ・1976年広島県コミュニティづくり推進協議会推進委員となる。 ・1979年地域主義研究集団会備北大会、実行委員会長・広島県青年の翼(中華人民共和国)本部員・青少年育成広島県民会議、常任委員として活躍する。 ・1980年作木村の活性化イベント、「常青滝いんさまあ」開催。実行委員長をつとめる。 ・1982年4月今までの活動が認められて「過疎を逆手にとる会」の会長に押され就任する。 これをきっかけに安藤会長は、広島県内の「ふるさとづくり」の枠を超えて全国の市町村の「ふるさとづくり」のお手伝いをすることになる。そしてこのことが、全国の最先端の「ふるさとづくり」の生の情報を広島県に持ちかえることになる。 まさに安藤会長のフットワークのよさと、「ふるさとづくり」ヘの熱意が少しずつ「ふるさとづくり」の流れを新しい流れに変えていくことになるのである。 「過疎を逆手にとる会」の紹介 「ふるさとづくり」の発想を少しずつ変えながら、過疎に元気を取り戻す営みを試みている(「過疎を逆手にとる会」のことを簡単に紹介しておこう。 「過疎を逆手にとる会」は基本的には「ふるさとづくり(まちづくり)」の研究グループである。また全国の過疎地域(心の過疎地域も含む)を「ヨィショ」する応援団グループでもある。現在、会員は北は北海道から、南は沖縄まで52人いる。今年9年目を迎えている。 「過疎を逆手にとる会」の年間行事は、1月の新春放談会(総会も兼ねる)で始まる。定例学習会を年間6回ぐらい行う。全国どこでも会員の要請により行う事が出来るシステムになっている。今までの学習会のテーマを列記してみる。「廃屋に文化人をつれこむ法」「快憎六輔参上」「理想都(リゾート)羽須美をしゃぶる会」「名所・名物は名人が創る」「りんごの唄コンテスト」「雑草を喰う会」「ツチノコの賞金を1億円にする会」「県北に輝く広島県立大学とつながる会」「瀬戸内未来会議」「京都府北部のネットワーク作り」「北の5人のサムライと語る会」「翁座よ感動復活の輝爆剤となれ」等である。開催地の地元の人と語り合う小さな会であるが、実はこの無視されそうな小さな会が「過疎を逆手にとる会」の「逆手流」を生み出しているのである。 「過疎を逆手にとる会」の最大の行事は、毎年6月の第2日曜日に行う「逆手塾」である。今年は30都道府県から延べ300人の参加者があった。「逆手塾」のテーマは「女たちが主役のまちづくり」「ふるさと産業おこし」サブタイトルが“企業誘致はいやよ”とか「行政主導でなぜ悪い」「ただ生きているなら文化はいらない」「感動商法」として、今年の第8回目は「ひとが輝きまちが輝く」である。 「逆手塾」の内容を簡単に説明してみたい。記念講演・進歩自由夢(シンポジウム)・人脈醸造パーティ・人源パーティ・夜なべ談議・ふるさとコンサート・名刺コンテスト・等を1泊2日で行っている。第7回目から遠くから来られた方のために、日曜日の「逆手塾」が終了後、場所を上下町のMGYH(モダンガイドユースホステル)に移して「後の祭り」を行っている。 会の運営には「会則で縛らず、人脈を魅力で縛る」の考えでつくった「過疎を逆手にとる会申し合わせ」がある。運営費用は現在、年会費3000円で賄っている。 詳しくは「過疎を逆手にとる」(指田志恵子・あけび書房)と「まちが輝く」(過疎を逆手にとる会編・第一法規)そして「ひとが輝きまちが輝く」(過疎を逆手にとる会編・第一法規)の本を御参照願います。 「過疎を逆手にとる会本部」ネットワーク 「過疎を逆手にとる会」はまちづくりに一生懸命本気に頑張る、過疎逆会員のいるところが「過疎を逆手にとる会本部」だと言う考え方である。 現在の「過疎を逆手にとる会本部」を紹介して見たい。青森県本部(船水信義)・宮城県本部(伊藤洋逸)・千葉県本部(磯野満徳)・東京都本部(田園碩哉)・新潟県本部(山田鷹夫)・石川県本部(山田茂)・岐阜県本部(長谷川正夫代行)・静両県本部(川村善成)・京都府本部(広野公昭)・大阪府本部(佐藤真生)・岡山県本部(岸本剛一)・瀬戸内本部(城戸常太)・鳥取県本部(長田吉太郎)・鹿児島県本部(前田安次)そして北海道本部が今年誕生することになっている。もちろん、事務局のある広島県三次市も本部である。含計16の都道府県に過疎逆本部があることになる。将来は各都道府県全部に「過疎を逆手にとる会本部」を設置したい夢を持っている。 この「過疎を逆手にとる会本部」のネットワークを生かして、全国に「過疎を逆手にとる会の愉快な仲間達」をつくりたいのである。 第1回の「過疎を逆手にとる会本部ネットワーク会議」は1989年1月15日に「遊び心で熱党ワークづくりの戦略を創造する」というテーマで行った。この会議以降「過疎を逆手にとる会本部」が6ヵ所出来た。第2回は「逆手塾」のある1990年9月9日に、本の「真夜中の出版パーティ」と兼ねて開催した。「ふるさとづくり」は全国のやる気のある人とのネットワークをつくることが重要な時代になって来た。まさに安藤会長が23年かけて全国につくって来た「ふるさとづくり」のネットワークを今まで以上に生かす時が来たのである。 「過疎を逆手にとる法10条」を実践 安藤会長は「過疎を逆手にとる会」の発足に当初から会長を務めている。その間、他の「ふるさとづくり」にも多く関わっている。 ・1985年 作木村福祉協議会、副会長 ・1986年 江の川流域会議、会長 ・1987年 木村立作木第2小学校PTA会長 ・1988年 国土庁地方振興アドバイザー ・1989年 広島県地域づくり懇話会委員 ・1990年 ひろしま国際交流サミット幹事作木村社会教育委員中園・地域づくり交流会代表幹事 安藤会長は「過疎を逆手にとる会」の哲学「過疎を逆手にとる法10条」を約9年間実践して来た。そして常に「ふるさとづくり」の夢を語り、ふるさとに根づく人づくりに奔走し、多くの人に「ふるさとづくり」の夢を持たせた。今ふるさとに輝く人が着実に育って来ている。「ふるさとづくり」を面白くて楽しい、夢が持てる、生き甲斐のある運動にした。安藤会長の功績に大きな拍手を贈りたい。 プロフィールメモ 安藤周治(柏屋安藤製菓舗) 1948年 広島県作木村に生まれる 1966年 広島県立三次高等学校卒業 柚屋安藤製菓舗へ 1969年 瀬戸内開発青年大学参画 作木村青年会結成 1970年 作木未来会議発会代表 1971年 中国山地青年パイオニア研修参画 1973年 『新しい山村像』出版(考える会) 1974年 作木村商工会青年部発会 1975年 RCC中国放送レポーター(ラジオ) 1976年 山陰山陽青年の船 中華人民共和国へ 1977年 広島県コミュニティづくり推進協議会発会推進委員『全国まちづくり集覧』出版(「川から海へ」有斐閣ジュリスト増刊) 『瀞に掬う』発刊(SAS広島) 1979年 地域主義研究集談会備北大会開催 実行委員会副会長 広島県青年の翼(中華人民共和国)本部員青少年育成広島県民会議 常任委員 1980年 常清滝いんさまあ開催実行委員長 1982年 過疎を逆手にとる会発会 会長 1983年 財団法人さくぎむらおこし基金発会 代表 1984年 『過疎を逆手にとる』出版(指田志恵子著・あけび書房) 1985年 広島県商工会青年部連含会 副会長 作木村社会福祉協議会 副会長 さくぎ我家のうまいもの会発会 事務局長 1986年 江の川流域会議発会 会長 さくぎむら国際交流プログラム 代表 1987年 作木村立作木第2小学校PTA会長 『まちが輝く』出版(第1法規出版) 薩摩大使(鹿児島県) 1988年 明日の子育てと教育を考えるヒロシマの会 運営委員 国土庁地方振興アドバイザー 1989年 さくぎ交流協会発会 会長 広島県地域づくり懇談会 委員 1990年 双三郡PTA連合会会長 ひろしま国際交流サミット 幹事(備北地域分科会会長) 作木村社会教育委員 中国・地域づくり交流会代表幹事 ●ねっとわ−きんぐ’90 作木村広島県双三郡、広島県から80キロメートル。松江からは90キロメートル。中国自動車道、三次・高田インターから30分。 中国一の江の川を境に島根県は川向い。人口2400人。高齢化率は30.4%高齢社会まっただ中。700人の知恵で稲作・畜産・梨等々を中心に「みどりのオアシス」づくりを模索中。 我が安藤製菓・柚屋の「あんどう饅頭」「松葉」「いろどり」は、絶品。作木の美味。 たたらによる和鉄の生産、薪炭生産から村制施行101周年目。 氾濫する江の川から、まちを守る50億円のかさ上げ事業も完工。 ●さくぎ交流協会(1989年7月1日発会) 4年間の国際交流事業から協会発足ヘ。S‐N‐A「SAKUGI NETWORKING ASSOCIATION」 1989年8月には、オックスフォード大学演劇協会のメンバー17人を迎えて、ホームステイ。神楽団や中学生などとともに「さくぎ国際文化交流フェスティバル」を実施。 今年8月、京都太江町「太江山鬼伝説一千年祭り」に郷土芸能「伊賀和志神楽団」の「大江山」を上演、大好評。 山に生きる人の学校「さくぎ緑の学校」この秋開校予定。 「村にサロンを」団体でグループで個人で、こんな話届けます。作木情報交流サロン 「異文化との接触が、新しいエネルギーを生む」 「交流で私がかわり、貴方がかわり、まちがかわる」 「国際交流・まちむら交流・むらうち交流」 「グローバルに考え、ローカルに行動」 「外国人じやゆうても、同じ人間じやけねえ」 ●中国地域づくり交流会 中四国農政局・中国地方建設局・広島通産局・第三港湾局・中国郵政局などとともに、中国5県下のまちづくり人のネットワークを目指して発足準備中。 サロンからシンクタンク・ドゥータンクへ。プロジェクトの開発で地域づくりのスピードアップとバックアップを。 1月広島。200人のプレシンポ。6月「産・官・学・野」700人、安芸の宮島に参集。60分科会。様々な交流の華ひらく。 9月8日発会式。10月にはプロジェクトをすすめるための株式会社も準備中。 ●過疎を逆手にとる会(カソサカ)1982年発会。 北海道から鹿児島まで38都道府県から520人の会員。 関わりを持ったネットワーカーは2000人以上。20歳代から80歳代までの老若男・女。国・県・市・町・村の公務員・コンサルタント・お母さんや農・商・工業等多種な顔ぶれのメンバー。正に「まちづくりのお好み焼き」。 年1度のまちづくりシンポジュウム。「逆手塾」全国から300人の参加。各地持ち回りの定例会。 〈カソサカメモ・語録より〉 「マイナスをプラスに切り替えしてのまちづくり」 「逆手にとる法10ヵ条」 「沸騰ワーク・熱闘ワーク」 「したたかにしなやかにさりげなく」 「カソサカは、ミニ電通」「カソサカは、西の政経塾」 「カソサカは、情報協同組合」 ●江の川流域会議 江の川は、流域面積4000平方キロメートル。広島県に降った雨の4分の1が、瀬戸内ではなく、日本海へ流れる。本流200キロメートル。 1987年発会。13市町村60人が集う。89年度から京都大学霊長類研究所とともに「日本ザル」の生息調査。 東北工業大学工学部の高橋先生と「江の川流域における地域資源・環境資源の管理手法と地域の再生手法の研究」中。 2ヵ月に1度の「勉強会」。「流域フォーラム」は随時開催。 「江の川流域ウオッチングツアー」で広島・島根3市7郡30市町村を巡回。 プランニング・アウトドアの有限会社「N0A企画」(ノア)も始動開始。 情報発信基地としての江の川水系を目指して、パソコン通信「Go‐ネット」のホスト局運用中。 90年2月、流域町村からヨーロッパへの視祭団出発。 この5月「江の川流域シンポジュウム」開催。広島・島根両県、中国地建もバックアップ。レポート「江の川の森」編集。首長の「江の川サミット」も開催。 「江の川流域芸術祭」開きたし。 流域会議から 「リゾートは理想都。ここで暮らす人のために、理想都をつくりたい」 「ナチュラル・アウトドア・自然回帰」 「川から海へ水の流れのように」 「いま、川が山がおもしろい」「川はともだち」 |