「ふるさとづくり'91」掲載
<個人の部>

21世紀えひめニューフロンティアグループ
愛媛県双海町 若松進一
はじめに

 青春時代、青年活動に燃えた愛媛県下12名の若者が、青年活動を終えた後、茫漠と過ぎ去る日々に危惧の念を持ち、新しいボランティア活動を起こしたのは、今から10年前の昭和56年7月であった。以来今日までの10年間、様々な活動を実践、自らも充電しながら社会に向かって多くの放電的ゆさぶりをかけてきた。
 ここに「21世紀えひめニューフロンティアグループ」のあしあとを列挙し、グループが目指しているものと、ふるさとづくりの意味について述べてみたい。


あしあと

(1)昭和56・7 グループ結成、拠点を私設公民館「煙会所」に置き、活動を開始する。
(2)昭和56・7 4機のセスナ機をチャーターし、「空からふるさとを見る運動」(16人参加)を展開、空撮ビデオを各地で紹介する。
(3)昭和57・7「無人島にいどむ少年のつどい」の温泉郡中島町由利島(由利島共和国建国)で開催。
(4)昭和58・5 『雄大な自然と海のロマンを求めて』無人島体験記を発刊する。
(5)昭和58・7 「第2回無人島にいどむ少年のつどい」を開催する。
(6)昭和59・1 長さ10メートル、直径1.6メートルのアラスカ産モミノキを購入し、丸木舟製作にとりかかる。4ヵ月の作業ののち5月に完成、進水式で「21世紀えひめ号」と命名し、航行訓練開始。5月26・27日の両日、松山〜中島町〜由利島間60キロの体験航梅を行い、縄文人の山たて航法を実証する。丸木舟を由利島へ係留。
(7)昭和59・7 丸木舟を使った「第3回無人島にいどむ少年のつどい」開催。終了後、丸木舟「21世紀えひめ号」を国立大洲青年の家へ寄贈展示。
(8)昭和6・7 由利島へ直径10メートルの竪穴式住居をつくるため、1500束のカヤ(ススキ)刈りとかずら採取開始、漁船6隻で資材運搬、1泊2日の野宿5回で竪穴式住居復元完成。8月1日〜4日、竪穴式住届を使った無人島シンポジウム「昭和の青年宿語り部のつどい」開催。
(9)昭和61・1 「土と人間のふれあいをもとめて」(ジャガイモ交流)のため、休耕田15アールを借用しジャガイモの作付けを行う。5月青少年ジャガイモ交流会開催、ジャガイモ21トン収穫。
(10)昭和62・7 「君は大野ケ原地球人になれるか」をテーマに、農業・酪農の体験を目指す「大野ヶ原モウーモウー塾」を開催。
(11)昭和63・8 「第2回大野ヶ原モウーモウー塾」開催。南海放送テレビ「親の目子の目」で、タィトル「恵ちゃん15歳の夏」30分間全国放送。
(12)平成元・8 「第3回大野ヶ原モウーモウー塾」開催。愛媛と高知の県境縦走を試みる。
(13)平成元・8 夢ミニシンポジウム開催のための大型テーブル(直径8メートルのキノコ型テーブル)の製作を開始する。2月、ブーメランテーブルと名付けたテーブルを使って、シンポジウムを開催する。また、9人乗りアイランダー機をチャーターし、2班に別れて「第2回空からふるさとを見る運動」を実施する。
(14)平成2・7 数回の交流を経て、埼玉県北本市の青少年25人と愛媛県の青少年27人、リーダー27人、計80人による国内交流事業「無人島にいどむ青少年のつどい」を由利島共和国で開催。青少年育成国民会議が映画制作のため同行取材。


グループが目指しているもの

 21世紀えひめニューフロンティアグループでは、結成時に誓った「今やれる青春」、「1年1事業」、「社会へのゆさぶり」の3つをテーマとして、あしあとで述べた諸活動を積極的に展開,してきたが、その3つのテーマに基づいてふるさとづくりの成果をまとめてみたい。
(1)今やれる青春
 私たちは青年活動で、仲間ができ、自己主張ができるようになり、ふるさととのかかわりが見えてきたが、この陰徳の果実とも言える3つの相乗による「やる気」を、社会にフィードバックする手だてとして、ミクロ的な従来のふるさとづくりにとらわれず、1人ひとりが手放しの連帯ができるマクロ的な広域(県)圏域のふるさとづくりを目指そうと試み、県内各地の15人の仲間がネットワークした。それはまさしく「今やれる青春」であり、新しいふるさと運動であるといってよい。その拠点となったのは私設公民館「煙会所」である。青年の溜まり場として手づくりした4畳半と2畳2間の「煙会所」は、その名の通りいろりを囲んだ車座集会が出来るようになっており、徹底討論した若い工ネルギーがここから地域おこしの火種となって各地に飛び火し、煙はのろしとなって大きなインパクトを与えている。
 高齢者が若者より元気な捩れ現象や、ふるさとづくりにおける若者の力がぼやけたり消えたりして久しい今日、平均年令38歳を越えてもなお、「今やれる青春」を追い求め続けているグループの姿は、ふるさとづくりの原点である自分輝きそのものであろう。
(2)1年1事業
 青年活動を終えた私たちにとって、地域や職場、家庭、その他のグループ活動等、繁忙な日々の中でふるさとづくりにかかわれる時間は正直言ってそんなに多くはない。1年1事業はそのために目指したささやかな目標てある。1981年の結成から数えれば、近未来的目標として定めた21世紀までの20年間に、事業を積み重ねて継続すれば20通りもの事業が成り立つことになるのである。
 最初の年、グループ員自らの水平思考に垂直思考を加えるため、「烏になって大空を飛びたい」という会員O君の夢をかなえ、セスナ機をチャーターして大空を飛んだ。自分の街を低くフライトした空の旅は、私達の心に大きなカルチャーショックを与え、以後の活動に大きな弾みをつけた。
 2年目、煙会所の「煙が煙い。目から涙が出る」という小学校2年生のK君の言葉に驚き、物の豊かな社会に生きながら、決して心は豊かでない子供たちを垣間見たが、その言葉をきっかけに無人島に渡り、異年令集団によるキャンプ活動によって、「感動の涙を流させたい」と事業企画した。あいにくの風雨警報の中、「雨には雨の仕事がある」を塾訓とし、生きること、自然の偉大さ、人の心の暖かさ、豊かな文明の意味、共感・共鳴など、非日常的安全な冒険を通して多くのことを学んだ。この時、子供達とふれあった失敗すれすれの成功によってグループの活動方向が少しずつ21世紀を背負う青少年育ての方向に向きつつあることを肌で感じた。
 3年目の活動では慣れへの安全性に疑問を感じながらも、子供違とロビンソンクルーソーになった気持ちで、目いっぱい自然を友として楽しんだ。4年目の活動では丸木舟、5年目には竪穴式住居の製作というプロセスを通して、古代人の夢にもチャレンジした。さらに土や農業・酪農という生産・生活活動の体験から、今の子供達に欠けていると言われるフロンティア精神も学びながらこの10年、確実に1年1年事業を消化して実力をつけてきたのである。
(3)社会へのゆさぶり
 私たちの活動のもうひとつの魅力は、「社会へのゆさぶり」である。絶えず問題意識をもって望み、活動のテーマは今の社会に欠けているものを選び、どうしたら気付かせ、どうしたら是正活動に発展するか考えている。
 子供達と無人島を結ぶことによって真の豊かさとは、感動とは、自然とは何かを学び、今の教育の在り方を世に問うた。また丸木舟や竪穴式住居の製作プロセスを通してロマンや夢とは、歴史とは何かを、時にはマスコミをも巻き込んで発信した。農業問題にも果敢にチャレンジ、ジャガイモ交流やモゥーモゥー塾の汗による活動は、なおざりにされてきた生産や生活の中にも学ぶことがあることを立証した。受け手のない発信でなく、価値ある情報を発信し、今後もゆさぶり、巻き込んで行く努力をしたいと思っている。


ふるさとづくりの意味

 この1年、私たちはふたつの事業を実施した。ひとつはブーメランテーブル会議とアイランダー機空中散歩を組み合わせた「ゆめミニシンポジウム」である。このプラス・ワンの事業は結成以来10年で、自分達の意識と自分達の住んでるふるさとがどう変わってきたのか認識するためであった。空からの鳥瞰で、失われつつある自然や架橋による四国の変化が読み取れたし、テーブル会議で過去や未来についても討論した。概ね10年の時の流れを物差しにして、意識と物の変化を科学的にとらえ、努力によって成し得たことと成し得なかったことを反省し、目標に向かってより良い方向に向ける努力がふるさとづくりには特に必要であろう。
 もうひとつは埼玉県北本市との交流である。
 つい最近は交流の時代と言われ、国内・国際を間わず多くの交流が草の根的にに行われているが、開かれた地域の前提に開かれた人がいることを忘れてはならない。北本市との青少年国内交流を通じて、交流には力の均衡が必要であることも痛感した。
 自分に出会い、人とかかわり、地域とかかわった10年の継続と、これから目指す10年の夢が、ふるさとづくりの意味であろう。