「ふるさとづくり'92」掲載
<集団の部>

女性の目で、手で、行動力で
富山県高岡市 高岡万葉生活学校
 高岡万葉生活学校が開設された昭和48年は、第一次オイルショックで世の中が、省エネ、省資源を叫んでいた時代でした。そのような風潮の中で、「わたしたちが生活している地域社会をもっと住みよい町にするために、子孫に緑の地球を残すために、主婦が暮らしに根ざした問題をとりあげ研究討議し、関係する立場の人々と対話をとおして解決への具体的行動に結びつけていこう」という趣旨のもとに、高岡万葉生活学校は歩みだしました。主体メンバー募集は毎年4月に市民広報によるもので、大きな組織ではなく60〜70名の主体メンバーで構成されています。しかし、時代はすべてが男性指向であり少人数の主婦のささやかな運動は遅々として進まず、努力のわりには成果が伴わない日々の連続でした。しかし、その小才な集団の小才な動きが、やがておおぜいの人々をも動かしていくようになったのは、生活学校運動の特殊な活動形態にありました。
 その当時の婦人教育の多くは、講座形式を中心とするものであり、生活学校の学習方法は、それらとは少し違っていました。まず、課題を決定し、課題について事前学習を講師を迎えて学び、つぎに課題についての調査を行う。その調査結果をもって、関係する行政や企業の人々と対話を行う。その対話集会では、行政や企業が今後改善出来ること、検討出来ること、また私たちが守るべきルール等が取り決められ、その後の事後処理活動へとつながって行くという、行動的な学習方法を中心としたものです。


過剰包装はいらない

 同校がオイルショックを機に、最初に取り組んだのが、省資源という視点から過剰包装をなくそうというものでした。資源を持たない小さな国日本が、幾重にも包んだ包装紙、見栄ばかりを追ったギフトセットの過剰な包装であふれている。それらは、一度使えばゴミとなり、環境の破壊にもつながる。地味ではあるが、女性ならではの発想から取り上げることとなりました。しかし、その活動を起こすことに決定してから少したった頃、世の中はすでに喉元過ぎればで、「オイルはまだある。」とばかり人々は、過剰包装をあまり悪いこととは思わなくなっていったのです。しかし、同校は、ねばり強く要らないものは要らない、過剰包装は資源のムダであると確信し活動を続けました。
 昭和49年から「過剰包装」に取り組んできたことを年代別にあげると次のとおりです。
 昭和49年 化粧品の包装、容器の簡素化。
 昭和50年 ギフトセットの過剰包装の廃止。
昭和51年 消費者の過剰包装の意識啓発に努める。
 昭和52年 省資源運動を進めるために市連合婦人会と会合を持ち意識啓発に努める。
昭和53年 食品のトレイパックの使用制限に取り組む。(炉床の損傷や有毒ガス等やトレイの原料が石油であること等の視点から)
 昭和54年 トレイパックが不必要と思われる食品16品目について使用を制限するように求める要望書を作成し、市内のスーパーマーケットヘ配付。
 昭和55年 トレイの使用制限品目を19品目にするという企業からの回答を得ることができた。
 昭和56年 日本チェーンストア協会包装改善委員会より、青果物の包装改善の具体的指標がつくられ52品目の改善を示される回答がきた。
 昭和57年 ビンのリサイクルについて酒販協同組合と話し合い「生きビン」の引取りや価格について合意を得た。
 以来今日まで、食品のトレイの使用制限の対話集会を毎年1回開催し、徐々に業者の方々の理解を得ることができたものの、ヨーロッパのように完全撤廃にはなりませんでした。しかし、この運動はテレビ、ラジオ等に取り上げられ、高岡市は、ゴミの分別収集に乗り出したのです。その間、幾度となく環境センターと同校が対話集会を開催したことはいうまでもありません。その頃から同校の運動が少しずつ人々の関心を得るようになり、高岡万葉生活学校の名も知られるようになりました。近年、環境問題が大きくクローズアップされ、厚生省の「ゴミ非常事態宣言」とあいまって大きなうねりとなり省資源運動が展開され始めました。はじめて、同校が省資源のため過剰包装に着眼してから実に17年の歳月がたっていました。
 その他、食品のトレイばかりでなく、ビンのリサイクル、牛乳パックのリサイクル等も、事前活動、対話集会、事後処理活動といった生活学校特有の活動システムにのっとり行っています。その間、一般の人々に知ってもらうためにフードフォーラムにおいてトレイを使っての展示、アンケート調査の結果発表等啓発活動にも積極的に取り組みました。牛乳パックの回収については、高岡市からストックヤードを提供してもらえるようになるなど、行政も主婦の運動に積極的に評価をあたえるようになりました。


女性の視点から公共トイレを考える

 また、昭和60年から「高齢化社会を心豊かに」をテーマに学習して3年目、高齢者が住みよい町について話し合った時、「公共トイレのフックが高すぎる」という1人のつぶやきをきっかけとして、昭和63年から課題として公共トイレを取り上げることになり、対話集会にそなえて事前調査を開始しました。「使いやすく、安らぎのある空間としてのトイレを公共の場にもほしい」がキャッチフレーズです。
 昭和63年6月から3ヵ月かけて、高岡市全域の公共トイレを主体メンバー全員が手分けして調査をしました。対象は、市の施設、量販店、JR、病院、福祉施設、百貨店、観光地等50カ所です。調査項目は、第一印象、清潔度、トイレットペーパーの有無、内鍵の有無、内側のドアノブの有無、表示の見やすさ度、フック等7項目についてです。
第1回対話集会(平成元年2月17日)開催
出席者 専門メンバー(ダイエー両国店、大和高岡店、高岡市公園緑地課)
    助言者(高岡短期大学教授)
    主体メンバー 37名参加
調査結果説明
 ・老人病院、総合病院、福祉施設のトイレはおおむね良好である。・市の施設においてフックの位置が高いのが多くみうけられる。・観光地は古城公園をふくめて3K(暗い、汚い、臭い)に加え、狭くて、怖いの5K。・古城公園以外の高岡市の観光地は管理が悪い。
専門メンバー発言
 ・女の目でよく調べてある。トイレ元年として快適なトイレづくりをしていきたい。・ペーパーはもちろん、ハンカチ不要のトイレをつくりたい。・再開発ビルでは、これがトイレかと思われるトイレをつくりたい。
助言者発言
 ・良く調べたと思う。快適に暮らすには大切な問題で、これをいかにあるべきかを問題提起し、関係者と対話をとおして改善していくのが生活学校の姿である。
主体メンバー発言
 ・理想的な公共トイレを図式して掲示。・公園内のトイレに街灯が必要。・フックが高いので、低いところにも付けてほしい。・水を流しただけの清掃では不十分である。・水道つつじ公園のトイレの水が出なかった。・使用者もマナーを守ろう。・子どもの時から公共施設を汚すことは恥であることを教えよう。・水を流すカランをしっかり閉めよう。
等、要求するだけでなく、市民の守るべきマナーや、子どものトイレ教育等も発言され第1回の対話集会を終了しました。
第2回対話集会(平成2年7月13日)開催
出席者 専門メンバー(高岡市公園緑地課)
    助言者(高岡短期大学教授)
    主体メンバー 45名参加
調査 平成2年5月から1カ月
項目 場所と項目ともに前回と同じ
専門メンバー発言
 ・古城公園は全面改修し毎日清掃を行う、また紙入れを行う。・二上山公園の城山は臭気抜きを取付け清掃給水とも回数を増やす。
助言者発言
 ・現代において、トイレは市の顔である。絶対数も足りない。観光客のためにも位置の表示が必要である。
その後、古城公園内の本丸広場に広く、美しいトイレが完成。このトイレが使用する者によって、汚されたり、壊されたりしないよう事後処理活動をしていくことを確認しました。
 住みよい町とは、高齢者にとっても弱者にとっても快適に暮らせる町です。男性中心の利潤と効率だけを追究する社会の仕組みは今終わろうとしています。高岡万葉生活学校は今後とも女性の目で、手で、行動力で、地球に優しい暮らしをよびかけあっていきたいと思っています。