「ふるさとづくり'92」掲載 |
<集団の部> |
高齢者と共に生きるまちづくり |
静岡県浜松市 宮竹町健康サロン |
調べて、聞いて、やってみて8年 @高齢化社会問題の意識調査――昭和56年 対象者は県内生活学校主体メンバー――1,500人 対象者は蒲生活学校主体メンバー――50人 A60歳以上の人の意識調査――昭和57年 対象者は浜松市、島田市、富士市――900人 その他――600人 B蒲地区町別人口ピラミッド――10枚 蒲公民館に展示する C蒲地区高齢者マップ 町別男女別パネル65歳〜69歳――10枚 町別男女別パネル70歳以上――10枚 蒲公民館、地区内銀行ロビーに展示する 65歳〜69歳の人達自身老人扱いを方れたくないとの声があったので2枚に分けて作成した。プライバシーの侵害だ等の声も聞かれたが、だれが、どこに住んで居られるのか知ることが調査の第一歩と考え、計画を進めた結果65歳の人が自分のシールのない事に気付いて貼付の申し出まてあり調査活動に自信をつけた。 D福祉マップ、町別10枚作成 ねたきり老人、ひとり暮らし老人、心身障害児童等、これ等は秘のため各町担当の民生、児童委員が作成し保管している。 Eコミュニティカルテ活動 蒲地区内の高齢化問題のコミュニティカルテ、地区内の高齢化比率、老人の消費者被害、交通事故の発生場所等々調査し高齢者の意識調査をする。 F蒲地区住民サロンの開催 高齢化社会に対応するには地域の教育力を高めるのが第1位であった。そこで「集まって、語って、心を結びましょう」と蒲公民館で夜7時〜9時まで蒲小学校、丸塚中学校の校長先生他数名の先生方と膝を交えての語り合いを4回、会場に溢れる人達をグループ分けして熱心に討議する。引き続いて高齢者、寿大学、老人クラブを対象に「いきいき我が家」をスローガンに地域の開業医の先生のお話。 @老人ボケにならないために、A痛みませんか足や腰、B中高年女性の病気とストレッチ体操、C家庭介護のし方など。 1時間前に会場に来られて最前列にて熱心に聴講されたおばあ様の名前が平成3年の祝寿祭の名簿に94歳と記載されてありこみあげる思いであった。会場を退出する際には主催者に丁寧に挨拶なさる姿に生き方の姿勢を学んだ。 G高齢者会を迎えるネットワーク浜松の結成 市内婦人の17団体グループで昭和60年12月に在宅福祉ケア、地域ヘルプなどの目的でネットワークし具体的目標を「ホームケアセンター」の建設とした。他団体より一足早く調査活動をしていた市内の4生活学校は、リーダーシップを発揮して推進した。 1987年、老いを支えるネットワークづくり―共につくるあした― 1988年、高齢者の生きやすいまちづくり 1989年、ノーマライゼイションの人間観に立った地域づくり でフェスティバルを行い市民の共感を得た。 看護の専門グループである「ひろーく間柄つくりをめざす研究会」主催の「わたしにもできる介護教室」を30名受講し病院実習で患者との厳しい対面を通して生きることの尊さを知り、病人の心を開くことの至難なことに気付き得難い体験をしたのである。調査を始めてから約8年、その実践の場を小学校区で試みた浜松市内のグループとネットワークしつつ試行錯誤の中から福祉のはじまりは人の手の届くところ、“わたし発の福祉”身近な隣人の幸せを願ってわが町からの出発と決めたのである。 宮竹町の背景 浜松市は静岡県西部に位置し県内一の人口55万人を擁し工業中核都市として発展を続けている。気候風土に恵まれて、さわやかに行動する「やらまいか精神の浜松」ともいわれている。その浜松市の東部に位置する蒲地区は人口約17,000人、10カ町1団地の自治会組織がある。高齢化比率は平成3年、8.57%と若い住民の地域である。その中の宮竹町は人口約800人、世帯数3,000と40の法人かあり高齢化比率は12.3%と地区内で最高である。 かつては、田園風景豊かなこの町も旧東海道、国道152号線、柳通りと縦横断している道路沿いには自動車会社の進出が目覚ましく大型スーパーやスポーツ施設、外食店が立ち並び昼間の人口は出入りの人達でふくれ上がっている。住民は新旧混住地域であるが差別を感じない程自由に発言できる町である。 宮竹町健康サロンの発足――昭和63年10月 老人クラブ200人の意識調査から。 ○健康への不安 年齢に比例して身体的不安が高まりさらにストレスの多い現代社会にあって精神的な不安が重なっている。 ○老人介護に対する家族意識は 家族は3人を下まわる核家族であり、家庭介護の家族機能は著しく低下しているにもかかわらず、介護は嫁、娘、配偶者とそれらの複数の女性に求めている。大家族の頃の意識と変化していない。 ○地域に欲しい施設は いこいの家のような語らいの場所 老人の知恵や技術の伝承できる場所 病気の時、気軽に相談できるところ それらの不安や要望に答えられる活動を始めよう、先輩の歩いた道は私の歩く道となるであろう共通の思い出づくりのためにみんなの手足で福祉の青写真を描くことに決めたのである。 ○保健婦さんの協力 健康不安の相談相手には浜松保健所の地区拒当の保健婦さん。上司に相談の上喜んで協力する約束ができた。然し役所のきまりでその都度「衛生教育講師派遣願」を保健所長宛に提出していたが、平成2年から―頼まれてする事業ではない、積極的に推進する―と方針を変え、教材の援助や地域の開業医の派遣まで依頼して下さり、保健婦さんとは意気の合う間柄となった。情報交換も密になり体調の悪い人は家庭訪問をして下さるので保健婦さんの顔を見ただけて元気になった人さえ出てきた。健康サロンの日は朝から血圧測定や尿検査、個別相談で心置き無く相談をしてまた1カ月元気で頑張ると話す老人の背に心安まる思いがする。 ○サロンは宮竹集会所で いこいの家のような語らいの場、気軽に相談できる場所は老人の足で500討以内。親しい友人や若い世代とのふれ合いの中で健康相談ができることは願ったり叶ったりである。高齢化比率が一番高い宮竹町(12.3%)でさりげない思いやりのキャッチボールを始めて34回となった。宮竹町集会所は昭和61年に新築されたが設計に入った頃、健康サロンの計画を自治会に申し入れ調理室を働き易いように設計変更をお願いして受理されたのである。 ○サロンに集まる人 町内の高齢者、生活学校、婦人会、民生・児童委員のボランティア、保健婦さん、自治会役員、特技をもつ応援ボランティア、見学の人等(役所の人達も)。 ○プログラム
その他 @年1回地域の開業医の講和 平成3年9月は木俣外科医師の骨のお話 Aお出かけサロン 平成3年2月 静岡県コミュニティのつどい 平成3年7月 御前崎グランドホテル(ヨガ教室) お出かけサロンは楽しみにしているのでヨガのできるメンバーの指導で背中のマッサージ等互いに練習し合い、高齢者から「こんなに幸せでいいかしら」の声がしていた。 ○これからの計画 ・子供とのふれ合い会 ・健康サロン市 ・秋祭りバザー ・器楽合奏会 ・リハビリ教室 ・高齢者の1時間ボランティア ・英会話の外人さんとのふれ合い会など計画中である。 共に支え合う参加型サロンにするため参加者は惜しみなく知恵も技術も出し合う。会食の献立は食品目を多くバランスの取れた手作り。昼間ひとり暮らしの留守番老人が多いので孤独老人にさせない工夫。町民の理解を得るため前回の感想を書き入れた回覧を2週間前に出す。 だれでも、どこでも、いつでもとけ込める雰囲気作りをし、特定のグループ活勤にしな い。ボランティアの都合で日時の変更をしない。寒い日、暑い日、雨の日の送迎を考えるようにしたいと思っているが高齢者は風雨でも、雷でも現在は出席率は変わらない。そんな日は1人で留守番よりサロンが良いと言われる。 地域に及ぼした影響 ○隣町の子安町に子安ふれ合いの会、大蒲町に大蒲クラブが触発されて半日のミニサロンが発足した。蒲全体でも要望があり5月に蒲公民館で行い次回を持たれている。 ○30年前に出来た団地の高齢者のために、方なる生活学校でも宮竹健康サロンを見学してすぐ「はればれ会」を発足した。浜松市全域に広がるよう望んでいる。 ○経費について
さりげなく福祉の心の生きる町の実現に向けて やさしさのキャッチボールの仲間 10人から15人、30人、38人と増え続けている。血圧の高い一人暮らしの人に治療をすすめたり、会場の隣家の火災を早期発見して敏捷なチームワークの処置をして消防署に感謝されたりプラスアルファの喜びを味わう事もありボランティ達はすがすがしい気持ちで集まっている。70年、80年生きてきた重みで厳しい顔をしていた高齢者が和やかな顔に見えるようになったのは見慣れたせいだけではないように思われる。思いやりは人の心を開かせるのである。学習して知識を得れば心が豊かになるそれを活かして行動すれば周りの人を豊かにすることが出来るのである。自分でできる小さな実践を日本中に大きくふくらめてみたいものである。最後に、宮竹町健康サロンには、嫁姑の間柄の2組が屈託なく参加していることをお知らせして報告とする。 |