「ふるさとづくり'92」掲載
<個人の部>ふるさとづくり大賞

生涯をかけたまちづくり
福井県上中町 上中町大鳥羽区相談役「宇田保」さん
 むらづくり運動に従事するもので、宇田保氏を知らぬ者はない。昭和21年鳥羽村役場職員として、さらに40年余、むらづくり運動の推進鋭意努力してきた。
 行政の基本理念を「行政は住民に直接サービスするものでなく、住民の自治活動にサービスするものである」とし、町づくりの基本を住民生活の基盤をなす集落におき、住民の自治意識の開発、個性あふれる人間性の涵養をめざしたむらづくり運動の推進に徹底してきた。


住みよいまちづくりの狙い手

 昭和29年1月、5カ村市町村合併に伴い上中町が発足する。宇田氏は33年総務課課長に就任。この時、町の行政事務を役場的なものから企業的なものに事務体制を改善する。特に各課の台帳の統合など住民側に立った窓口業務の改善に力を入れた。
 そして役場の名称を上中町住民センターと改名した。その頃、このことが各県の注目を受け、2万余名の視察を受けた。


自治大学の開設

 民主主義を正しく発展させるためには、主権在民と政治への関心を高めることが大切であると公明選挙運動(後の明るい選挙運動)に積極的にとりくみ、昭和38年から2ヵ年(公明選挙モデル町村として自治省指定)、上中町内39集落の女性を含む中堅青年を中心に自治大学を開設した。講師は公明選挙連盟(当時、日比谷の市政会館内)の指導により10数名、その中に当時の国家公安委員の坂西志保先生がおられ、アメリカの大使館ファーズ公使来町を得て、個人の尊厳、住民自治、民主社会の基本理念について240時間の教育を受けた。大きな感銘を受けたリーダー達は集落に帰ると理想と現実のへだたりがあまりにも大きく、実現へのリーダーとしての決意を新たにしたのである。宇田氏はここで住民のかかえる問題を的確にとらえるためのアンケートによる実態把握の問題提起をするなど常にリードしてきた。この時の受講生が後の上中町むらづくり運動の担い手となる。


新生活運動協会と提携してむらづくり運動を推進

 住民の自治意識を高め地域の民主化を進めるためには、むらづくり運動を推進しなければならない。公明選挙連盟の紹介により国の新生活運動協会を訪れ、さらに福井県の協議会と連携してむらづくり運動に積極的にとりくんだ。5モデル集落の一つに大鳥羽集落が選ばれた。まず宇田氏自ら大鳥羽区を拠点として研究をすすめた。


大鳥羽集落の区長として

 昭和40年大鳥羽区の区長選挙で宇田氏が選ばれ、公務員の総務課長が区長という事で当時大変問題にされたが、町長の理解と指示により区長に就任する。またこの時、区民とは民主的な集落の改善を約束し、この時から大鳥羽の改善計画がはじまったのである。
 実態調査により表面化してきた集落の閉鎖性、個人の自主性の阻害、生活基盤の不備を改善するために、
 ア、グループの結成(夫婦のグループで5編成をし、区民は必ずどこかのグループに入る)
 イ、集落の規約の制定
 ウ、区長の仕事を機能的に分散
 エ、経費の予算化
をはかるこのような改善策が契機となって、特にグループ活動の話し合いが活発になり、各種の要望事項が出はじめた。昭和44年度に第1次大鳥羽振興計画ができ現在第5次に及んでいる。
 このことが参考になり上中町39集落へ波及し、拡大していく。


むらづくり運動を社会教育の中に位置づける

 むらづくり運動の推進は社会教育との密接な連携が次のように社会教育の重点を定める。
 ア、集落の民主化と近代化をはかるため、集落自治活動を推進する
 イ、むらづくり運動としての家庭教育学級を全集落で開設するため、1集落3万円を計上する。この学級は大きく前進するとともに各集落が経費を負担するようになり、名称も自主学級に変更する
 ウ、話し合い活動が活発化し、個人の意思反映、能力開発の場としてのグループが今では39集落に370余のグループが結成されている


上中町長に就任

 昭和49年2月上中町長に当選、次来3期12年間上中町長として、むらづくりを基盤として活躍された。旧村5地区に生活会議及び生活学校開設を勧奨し、これが単位となって要望ができるようにした。ここに上中町みどりとゆとりの町づくり構想をかかげ、住民参加による町づくり運動を強力に推進する。
 ア、地区公民館の充実、町内5公民館に課長補佐級の優秀な職員を派遣し、集落の総合計画の指導、町づくり運動の推進をはかる
 イ、昭和50年度には、農林省、農村総合整備モデル事業指定を受け、指定町村ヨーロッパ視察団員として25日間、5カ国研修により宇田氏の村づくりへより大きな自信となり飛躍へと結びついていった
 ウ、昭和57年度嶺南地区、2市6カ町村の活性化を目ざした嶺南新生活運動協議会を結成し、次来この会長として現在まで町づくり推進につとめている
 エ、こうした運動の全国研究大会が開かれ、大鳥羽無人駅(当時国鉄)の活用について、あすの地域社会を築く住民活動賞の優秀賞をうけた。また平成3年11月には、手づくりの
JR大鳥羽駅設備完成式典が予定されている
 オ、昭和59年に上中町のアメニティ計画をし、各集落を公園化し、その公園の中で生活できる環境をむらづくり運動として計画実行にうつした。平成2年、環境庁の表彰を受ける


県全体のふるさと創り運動の推進に大きく貢献

 昭和39年より推進委員として、また、同協議会理事として、また、副会長として県協議会の組織の強化、活動内容の充実に努力、その他近県の指導にも出向いているが、むらづくり運動の推進にその一生をかけ、ひたすら歩みつづけてきた氏のきびしくも尊い体験は人びとに強い感銘を与えている。