「ふるさとづくり'93」掲載 |
<集団の部> |
やさしい街づくり、安心して歩ける道路を |
秋田県・秋田中央生活学校 |
秋田駅前の歩道橋を撤去 ついにやった。私たちの運動の輪が拡がり、手をつないだことが、歩道橋の撤去の実現にこぎつけた。 次第に壊されていく鉄の固まりを見て、涙が出てしようがなかった。久保田城の堀が目に入り、回りの景観が浮かび上がったとき何とも表現できない喜びで胸が強くしめつけられた。今までの苦労が報われたのだ。これで高齢者や荷物を持った婦人が、難儀しなくともよくなったのだ。歩行者や自転車が、車優先の犠牲にならずともよいのだ。 今日も、多少の車の渋滞はあるようだが、交通事故もなく、人間優先のやさしい交差点となって、多くの人々が利用している。 よりよい暮らしをめざし、住み良い秋田市をつくるために、各地域から集まったメンバーにより開設念れた秋田中央生活学校は、今年で6年目を迎えました。 開設当時、テーマについて何度か話し合いをもち、そのいくつかの中から高齢化問題と歩道橋について考えてみることにしました。秋田市はあまりにも歩道橋が多く、街は暗いイメージで、それをなんとか明るい生き生きとした街にしたいと思ったからです。 市内の歩道橋を見聞 歩道橋のテーマをはっきりさせるためにも、いろいろな角度から考えて現状を把握しなければなりません。そこで何人かのメンバーで市内に数多くある歩道橋を見て回りました。わずか数メートルの道路を横断するために階段を上がったり、降りたりしなければならないのは、時間のロスでもあり、また、積雪寒冷時には、その階段が滑りやすく、大変危険でもあります。 私たち主婦も買い物袋を両手に持って、上がり下がりすることも大変です。それに、秋田県は若者の県外流出に伴い高齢化が進み、高齢者率は全国平均を上回っています。私たちもやがては高齢者となります。生活していくのに一番身近な道路を、高齢者や身障者が歩道橋を利用するのには無理があるのではないでしょうか。 駅前広小路の「久保田歩道橋」を撤去しよう 私たちの運動は、以上のような観点から、まず歩道橋をテーマにして取り組み、そして「久保田歩道橋」に絞って活動することにしました。 ここは秋田市の玄関ロでもあり、市内は年々発展してきています。昔ながらの広小路もすっかり変貌して、近くには文化施設も多くアトリオンと称する総合生活文化会館を中心に、近代的なビルが並ぶ所です。これからも市外、県外から訪れる人の増加が予想されます。 そうなると、あの歩道橋は都市景観上好ましいと言えるだろうか。それに傷みもひどく宙に浮いた感じで美観を損ねています。交差点は自動車中心に考えられており、歩道橋が道路横断の手段として適当かどうか疑問に思いました。 撤去運動 (1)調査活動 昭和61年5月から実践活動を展開、それぞれの役割分担を決め、朝昼夕と歩道橋利用者数や、どんな人が利用するかを調査しました。 朝はサラリーマンと近くのホテルの宿泊客数名、学生は朝は歩道橋を利用するが、夕方はほとんど集団で、信号待ちの自動車を縫うように横断しているのが目につきました。日中の調査でも利用者はまばらで、離れた交差点まで遠回りしたり、危険な道路を横断する歩行者が多いことがわかりました。 調査を進めるうちに、この歩道橋は、通学の安全確保のために、父母から強い要望があり設けられたものてしたが、それにしては、児童が利用していないのが不思議でした。6月、7月には同市内の各地域で、この歩道橋の利用状況について、無差別に聞き取り調査を行ないました。その結果、100人中70人はこの歩道橋を利用せず、残りの30人も、やむを得ず利用しているとの回答でした。 (2)アンケート調査 8月から9月にかけて、市民300人にアンケート調査を行いました。それによると、高齢者の利用が少なく、「歩道橋を撤去してほしい」「スクランブル交差点にしたほうがいい」というのが82%も占めました。歩道橋利用は疲れる、足腰が痛む、揺れて怖いなどの意見も多く出されました。 夏の暑い日、何度も各家にアンケート用紙を配布したり、回収に回るなど、足の痛くなるほど皆で歩きました。そのとき地域の皆さんから「頑張って下さい」と励まされたことが思い出されます。 その後、利用状況についての追跡調査をしました。ほとんどの人は歩道橋無視で、近くの歩行者用信号機のある交差点まで流れているのが実状でした。 (3)マスコミに取り上げられて 秋田市の生活学校祭で、各学校の活動がパネルで紹介された析りに、私たちの運動が地元の新聞に取り上げられました。また、各地域の知人、友人、アンケートに答えてくれた方々など多くの人々から激励の電話をいただき、ますます勇気が湧いてきたのでした。 さらに、市産業観光課より手紙をいただきK係長さんとお会いしてお話を聞きました。市も県も同じ考えであり、私たちの歩道橋撤去を理解、協力してくれることも約束してくれました。 (4)議会を動かす 私たちのこの運動以前に取り組みながら、実現できずにいた駅前商店街理事長さんを訪れて、当時の資料や運動について研究もしていましたが、それが、私たち住民サイドで実践活動した書類が提出されることによって、県議会を動かし、久保田歩道橋が撤去されることになったのです。 将来展望 一、秋田中央生活学校の歩み 1 昭和63年10月歩道橋撤去第2弾として、秋田市土手長町旧産業会館前、農林中央金庫前歩道橋撤去運動実施、アンケート調査2回実施、要望書秋田県知事宛提出・秋田警察署長あて提出する。 調査活動を続ける。 2 昭和63年7月〜8月婦人用トイレのハンドバック掛けと荷物の置き台設置について調査。大型店、百貨店を調査、ミニ対話とお願いに廻る。 3 平成2年、婦人会館跡地に救急交通災害センターと日赤病院とを結ぶリハビリテーション施設設置についての運動を継続する。 4 その他、地下道の利用状況、公共保育所の時間延長、児童公園のあり方と高齢者使用の問題。 二、今後の活動目指して 高齢化社会に対応して、高齢者や身障者、また、次の世代に安心して暮らせる優しい街づくりを望んでいます。それには歩道橋を撤去して、スクランブル横断歩道・地下街の建設を目指しています。 三、まとめ 昭和59年開校以来追憶して、メンバーがいかに生活学校に意欲を燃やすかということ、大なり小なりと身近な課題を取り上げテーマを設定、楽しく活動したい。 駅前歩道橋撤去運動も新聞に掲載されたことによって商店街理事長、行政も動き出し、委員会を結成、何度か呼び出され、書類・活動の話を聞くのでした。新聞に掲載されることがいかに大事なことかと思いました。婦人会館跡地に救急災害センターと日赤病院を結ぶリハビリテーション施設もマスコミの反響によって、行政側は落ち着きがなく、何となくあせっているように感じました。でも対話集会には出席して下さいました。 私たち秋田中央生活学校は、きらめく北の街秋田30万都市を目指して、高齢者や身障者、若い世代に優しい街づくり、歩道橋を撤去しての地下街とスクランブル交差横断歩道も重要視されることと思います。 30万都市にふさわしい優しい街づくりに頑張って行きたいと思います。 |