「ふるさとづくり'93」掲載
<集団の部>

地域の中での子育て
茨城県・川島親子クラブ小さな部屋
 穏やかな農村地帯だった下館市の西部、川島地区も時代の流れの中、工場が誘致され、農業と工業の共存する地帯となりました。それに伴って、代々この地で生まれ育った三世代同居の大家族、他所からここに住みついた核家族等、多様な生活形態が見られるようになりました。
 そんな中、とかく母親と幼児が小さな枠の中だけの生活に陥り、集団生活になじめなくなったり、あるいは、若い母親は働きに出て、祖母が孫をお守りしている場合、祖母本来の慈愛がつい過保護となり、他の子と共同で、また助け合って遊ぶことが出来なくなっているように思われます。


手づくりの子育てで

 ちょうど5年前ここ川島に設備の整ったすばらしい「川島コミュニティ文化センター」が開設されました。せっかくのこのセンターを地域の交流の場に、特に幼児とその母親の交流の場に活かしたいと、昭和63年6月より、川島親子クラブ「小さな部屋」を発足させました。当初、県の婦人児童課で資料をもらい市の福祉課、社会教育課、中央公民館へ相談に行きましたが、前例がない、ほかでやっていないということで、何ら協力援助を得られないままの見切り発足となりました。
 子育てが一段落した私達母親5名のボランティア。口コミやポスター、ちらしで募集した親子22名、計27名での出発でした。
 月1回、午後1時から紙しばいを読んだり折紙、工作、ゲーム、歌等を一緒に楽しみました。でも幼児は午後は、お昼寝で来なかったり、眠くなってぐずったりで、なかなか全員が揃って楽しくとは行きませんでした。
 そこで次年度からは午前10時から開くことにしました。十分に遊んで、家に帰ったらすぐにお昼寝に入れるよう、軽いおやつを出すことにし、参加費1人1回100円を集めることにしました。会員は倍増しました。折紙や工作は出来るだけ広告紙や包装紙、各家庭にある物を使い、おもちゃ、ぬいぐるみ、歌のテープやカセットレコーダーは私達が持ち寄りました。おやつは完全な手作り。残りごはんをねって作ったおだんご。持寄りの野菜をたっぷり使ったお好み焼。夏の残りのソーメンを今様にアレンジしたソーメンアラミート等々、工夫しながら、また、ボランティアの持出しながら、楽しく活動を続けました。
 でもボランティアの自己犠牲だけではいつまでも楽しくとばかりは行かないでしょう。その間、地域内にも理解してもらえるよう、また行政にも何とか後押しをして頂けるよう、機会ある毎に私達の活動の状況をお知らせし、お願いに回りました。その甲斐があって、平成2年より川島地区公民館と財団法人あしたの日本を創る協会より補助金が頂けることになりました。年に1度ですが、市の福祉バスを借りて野外学習にも行けるようになりました。
 近くの農家にお願いし、市場に出さないピンポン玉位のじゃがいもを頂いて、塩ゆでにして食べたり、子供達が少々荒しても良いようにシーズン最後にいちご摘みをさせてもらったり、またあちらこちらのバザーに出店させてもらって資金づくりをしたり出来るようになりました。私達ボランティア自身も、協会の研修会に参加したり、つくば市にある母親のクラブ見学、情報交換等幅広く勉強の機会を得、より一層楽しく自分自身のためになるという意識を持って活動出来るようになりました。
 昨年から地域の畑を借りてさつまいもを皆で作っています(もちろん無農薬で有機肥料)。それを秋に1株100円でいも掘りをして希望者に分けます。とてもおいしいです。会員外の人達にも売り歩き、15,000円程収益があり、それでテープレコーダーを買いました。


国際交流にも目をむけ

 また、これも時代の流れでしょうか。私達の地域にも外国人労働者が増え、道を歩いていても、スーパーヘ買物に行っても彼らに会わない日がない位になりました。外国人に接する機会のない人ほど、変な目で見たり、ひそひそと余り良くない陰口を言ったりします。国際交流の一番の基礎は慣れることだと思います。幼児期からその機会を多く持ち、ごく自然に人間対人間として付き合いの出来る大人となって欲しいと願って「小さな国際交流」を間催しました。
 これは茨城県国際交流協会からの補助金を受け、夏休み中の小学生にも声をかけて行いました。筑波大学大学院で絵の勉強をされているバングラディシュ出身の若い御夫妻をお招きし、センターの壁一面全部に紙を貼り、絵を描きながら、りんごはあるの?飛行機は?バスは?結婚式はどんなの?留学を終えたらどうするの?等々の問答をしたり、お国の舟歌をうたってもらったり、日本の柿の木と同じ様にバナナが各家に植っていること、バナナは毎年新しい芽が出て、1年で木のように大きくなって実が成り、枯れると教わり驚いたりしました。子供達も一緒に果物や乗り物の絵を書いて楽しみ、お別れの時は、―人ずつごく自然に握手をして別れることが出来ました。
 今年は中国出身の小学校2年生の元気の良い男の子とそのお母さんと一緒に、中国の歌、日本の歌、中国のゲーム、日本のゲームを楽しみました。中国の昔話を紙しばいに書いてもらって、そのお話しも聞きました。


自立心高くなる子ども

 その他、年間行事の中、物を粗末にしない心を養えるように、廃品利用の工作や七夕かざり、牛乳パックで子供用椅子を作ったりします。幼児期から、また若い母親にも交通ルールがしっかり身に付くよう、交通安全母の会や市の交通安全協会の協力を得て「母と幼児の交通安全教室」を開きました。保健婦さんに来て頂いて予防注射や風邪の予防、幼児の食べ物の話をしてもらう時もあります。
そして私達の主旨として、年度の初めに必ず言うことがあります。「自己主張の出来る子に。そのかわり相手の自己主張も容認出来る子に。おもいっきり走り回って遊ぶ時と、団体の中で自分を押え、ルールを守らなければならない時のわきまえのある子育てをして下さい。私達ボランティアは皆さんにこの小さな部屋を提供し、お手伝いをするだけです。それをどう活用するか、どう交流するかは皆さん次第です。どうぞ心豊かな子育てが出来るよう一人一人が意識して活動して下さい」
 最初、物を一人占めにして、他の子と仲良く遊べなかった子も、すぐ泣いて母親から離れられなかった子も、たった月に1度の会ですが、1年たつととてもしっかりして、物を譲ったり譲られたりしながら子供同士で遊べる様になります。お母さん達も自主的に動いたり、私達に手伝ってくれるようになります。
 これからは地域のお年寄りの豊かな経験、知恵を私達に教えてもらう機会をもち、子育て最中の悩みや、地域の付き合いの中での悩みの良き相談相手になって欲しいと願っています。下館が推進する花いっぱい運動、クリーン作戦に私達はどんな形で参加協力出来るか、家庭のゴミの出し方の勉強等々やりたいことがいっぱいあります。


児童館などがほしい

 でも私達の活動が何不自由なく順調に進んでいる訳でありません。今私達の一番の悩みはボランティアの確保と活動拠点の確立です。何といってもこの会に協力してくれるボランティアなしでは運営して行けません。
 今年は孫が保育園に入って少し手の空いた若いおばあさんと1人っ子が幼稚園に上った親子クラブ出身のお母さんもボランティアとして仲間に加わってくれました。年々そんな人達が増えて行って欲しいと願っています。
 もう一つの大きな問題は、児童館法に基づいた児童館で活動していないという理由だけで厚生省の認める全国組織である「母親クラブ」と認められないことです。全国で同じ様な活動をしている人達と情報交換したいのに。もっと安心して活動出来るように母親クラブの保険に入りたいのに。
 現在、下館市には10カ所児童館がありますが、厚生省のいう児童館法に基づく児童館は1カ所もないのです。
 いつでも、若い母親と幼児が集える所、常に開かれていて、誰かに会える所、気楽に子育ての悩みや心配を相談出来る所、そんな児童館が欲しいのです。自分達の作った七夕かざりや、節分の鬼のお面、子供用の手作り椅子等も飾ったり、置いて活用出来る所がないのです。童謡のテープやテープレコーダー、「小さな国際交流」のために描いて頂いたバングラディシュの昔話の紙しばいも、中国の紙しばいも、私達が作った紙しばいやパネルシアターもしまっておく所がないのです。
 行政の対応も、担当が変れば方針も変わるのか、とまどうばかりです。あくまでも、一個人のグループ活動としか認めて頂けないのです。
 地域の中で、孤独な子育てをするのではなく、いろいろな人達との出合い、交流の中で、心に余裕を持って子育てをして欲しい。その拠点が川島1力所だけではなく、もっともっと増えて欲しい。それを地域の中であたたかく見守って欲しい。そんな思いでいっぱいです。
 でもあせらないで、地道に確実にこの運動を進めて行きたいと思っています。