「ふるさとづくり'93」掲載 |
<自治体の部>ふるさとづくり大賞 |
31世紀へ向けてまちづくり |
福井県 今立町 |
今立町の概要 「越前和紙の里」今立町は、福井県の中央、武生盆地の東、緑豊かな山あいの自然環境に恵まれた所にあり、人口は約15,000人である。 この町は、町村合併促進法に基づき、昭和31年9月までに4つの町村が合併してできあがったので、現在も4つが地域意識として残っている。この町の72の集落(町内会)はこの4つの地域に属し、小学校も4校、地域公民館も4館ある。 住民による町づくり運動 各集落の運営は、昭和50年代後半まで、一部有力者が持ち回りする区長が中心となり、公共事業を行政へ要望することを主として行っていた。集落内での青年・婦人・壮年の発言の場所が少なく、住民自らが事業をするということもあまり見られなかった。 昭和43年に県の新生活運動協議会の指導を受け、生活学校が開設された頃から、今立町においては、住民によるさまざまな町(集落)づくり運動が模索されはじめた。昭和50年代になり各集落に公民館が次々に建設され、地域壮年会が結成され、青年団・婦人会が活発になるにつれ、町づくり運動の気運が盛り上がり、各団体において町全体を考える学習活動がすすめられるようになった。 2年にわたる青年・婦人・壮年の合同宿泊研修会を経て、―団体の問題をみんなの問題として考えてみようということで、昭和57年より、3団体合同の町づくり学習活動の場『ふるさと講座』を開催するに至った。 現在までこの講座において取り組んだテーマは、冠婚葬祭慣習の見直し、ゴミの分別収集とリサイクル、地場産業と後継者問題などがあった。中でもゴミといえば、いままで一家の中でかあちゃんの問題だったものを、とうちゃんや息子・娘にまで考えさせたことや、青年が、結婚式に多額のお金をかけるのは無駄と言うと、親の方から、そんな生意気なこと言うなら、全て自分たちの貯金でやれという反論がでて、青年たちがあわてるということがあったりして、3団体合同の学習は大いに意義があった。 またこの講座では、定期的に町民集会やふるさと講座通信を発行するなどして、学習成果を町民に報告し啓蒙とPRに努めている。ゴミの分別収集で、町は昭和59年に缶類・ビン類の分別収集、61年にビンの4種類色分け収集を導入しているが、導入がスムーズに町民に受け入れられているのは、事前にこの講座を経て、婦人会を中心に各層へ意識浸透か図られていることが成功した一因だった。 行政による集落づくり 「何か土産もってきたんけの」。昭和59年7月、夜になると町長・教育長を先頭に役場の幹部が、クーラーもない集落公民館へでかけ、新しい集落づくりについての懇談会を開いた。この時、集落の人の決まり文句がこれだった。この場合の土産とは、村道を直すとか側溝を改修するとかの公共事業を指す。当時は、町行政の面々が集落に来るということは、公共事業の現地説明会と思うのが常識であった。9月までかかってようやく72の集落すべてまわることができた。この年が行政と住民による本格的な集落づくりに乗り出した初年度であった。 町は前年より公共事業の陳情をなくすために、町長や関係者が町内金集落をくまなく歩き、道路や危険箇所の補修・整備をその場で調査・検討を行い、実施予定を決定する『集落現地踏査』をはしめた。そしてこの年「行政まかせから脱皮し、住民の声が反映する組織をつくり、自ら考え、自ら行う集落づくり」をねらいとし、個々の補助金を用意して、新しい集落づくりを推進していった。 集落づくりの効果 新しい集落づくりの効果は、3年後ぐらいから徐々に出はじめてきた。まず集落内に各団体が話し合う組織ができけじめ、次に集落の規約一予算などの決まりをつくり、初夏の体育会・夏の納涼会・秋の公民館祭りを開催するようになり、共同して花壇や案内版・ゴミ集積箱をつくるようになった。 新しい集落づくりが浸透しだのは、従来の組織は変えず、集落内のことは区長・公民館長を中心に各団体が集まり、子どもの育成から老人問題まで解決するという意識だけを入れ、そこにふるさと講座などで養われた、各団体の地域活動意欲が重なったことが原因であろう。現在では、中核である壮年会が集落内での発言力を高め、区長が若返った集落も多くなった。集落づくりにおいては毎年300を越える計画が町へ提出されている。 その後の集落づくり懇談会は、1つの集落だけではやれない事業も、隣の集落と合同だとやれるのではないかと、ブロックごとに開催するようになり、内容も集落づくりから地域づくりについて話し合われるようになってきた。 『IMADATE展』の成功 集落づくりをすすめていく中で、地場産業や文化財をけじめ、数々の魅力的なものが見直されたり、発見されたりした。それらを広くPRし町のイメージアップを図ろうと、全町でイベントをすることになった。 平成元年4月15日から5月5日まで、「かかしから、いまだて。これからだって…。まちを売り込め『IMADATE展』と題を打って、21日間連続のイベントを開催し、各会場に、延べ173,500人の入場者を迎え大成功した。 この成功には、集落づくりで養った町民の参加意欲に負うところが多かった。展示物でも町民手づくりのものが主役で、子どもから老人まで、延べ1500人が5ヵ月かかって折り上げた、50種・13,000点の「折り紙動物園」、ダンボール箱3,000個を組み立てた「和紙のトンネル」などはその代表作といえる。 『いまだて芸術館』の完成 町は振興計画で、平成2年に文化会館を建設することになっていたが、はたして町民が利用してくれるかが一番の心配であった。しかし『IMADATE展』を経験して、町民のなかに文化意識が高まり、いろいろな活動が実践されるようになると、きちんとした場所がないことが問題になってきた。そこで町は、当初の計画を拡大して、平成3年11月に『いまだて芸術館』を完成させた。 この芸術前はホールの収容能力ほか、今立町民が利用しやすいように計画したために、こけら落としには、町民がつくった素人演劇「今立綺罹星座(きらぼしざ)」が公演したり、町民合唱による「第九演奏会」を行うなど、当初から町民による利用が相次いでいる。 将来にむけて いま今立町は、八づくり運動(人づくり・集落づくり・健康づくり・文化づくり・福社づくり・産業づくり・観光拠点づくり・快適な環境づくり)を町づくり目標に掲げ、高齢者の社会参加を促すために、1日3回町内を巡回する福祉バス『うらら号』を運行したり、小次郎・武蔵、新たなる出会いと銘打って、岡山県の大原町との姉妹縁組や、和紙の技術の伝播を縁に、『和紙の里サミット』を開催したりしている。これは一連のことが、町民のふるさとへの誇りと自信となり、若者の定住へつながっていくことが期待できる。 また、環境問題に着目し、今の環境を残すためには何をすべきかを考えはじめている。このために、芸術館を中心に自然と環境をテーマに3年間に20回のフォーラムを開催し、子孫のために取り組まなければならないことは何かを模索することになった。町民運動としては、生ゴミを肥料にして土に戻す運動が始まり、婦人会を中心に活動を開始している。 これからも、この八づくり運動を中心に、行政と住民が一体となり、住み良い豊かな町(集 落)づくりを強力におしすすめていきたい。 |