「ふるさとづくり'94」掲載
<集団の部>ふるさとづくり大賞

都会っ子と田舎っ子の相互交歓交流
岩手県・千厩町 「PALPAL交流事業岩手推進本部・PALPAL世田谷実行委員会」
交流のきっかけ

 千厩町小梨地区(約700世帯、3000人)では、昭和30年代から学校や地域・家庭が連帯し、子供会の育成活動を盛んに行ってきました。一方、東京都世田谷区太子堂地区は、子供の遊び場づくり活動(公共用地を公園にする運動や学校の校庭を土にする運動)を行ってきました。これらの活動が認められて、同58年に(財)あしたの日本を創る協会から「児童・青少年の健全な発達促進モデル地区育成事業」の全国3ヵ所のモデル地区に指定されました。
 3年の指定期限が切れる時、担当者同士の話し合いの中で、「都会の子は田舎に行く機会は多いけど、田舎の子が都会へ行くのは中学の修学旅行ぐらいしかない。田舎の子併たちは損をしている」と話したら、「世田谷に来たら?太子堂でみんな泊めてもらえるから」という会話がきっかけとなり、60年から都合っ子と田舎っ子が相互に訪問し合う、愛称「PALPAL交流」(PALは、英語で仲良しの意味)が、世田谷区太子堂地区と小梨地区の間でスタートしました。


交流の特徴

 交流の特徴は、農村地域や都会が特っている教育力を生かし、直接体験を重視しながら、親も巻き込んで地域ぐるみで訪問し合っていることです。
 都会と農村を子供たちの教育的空間として捕えながら、異なった環境を直接体験させ、その時のカルチャーショックやふれあいから青少年の健全育成を目指しています。

(スプリング交流)―大都会探検―
 3月の春休みに小梨の子供たちが東京を訪れ、世田谷区でのホームステイなどを通じて東京の生活を体験します。
 東京と岩手の距離を実感させるため、普通列車や夜行列車を利用し、まる1日かけて東京に到着。自分で切符を買い、自動改札や通勤電車も体験します。原宿で解散し渋谷に集合の自由行動では「迷子も経験」と、自由に歩かせます。
 ホームステイ先の、狭い住宅や通勤地獄を休験した子供からは「東京には住みたくない」という感想も出されます。

(サマー交流)―アドベンチャースクール―
 夏休みには、世田谷区の子供が小梨を訪れ、手作りキャンプ場でのキャンプ、農業体験、廃校利用の宿泊施設での宿泊、地元の人たちと一緒の盆踊り、農家へのホームステイなどを体験します。
 ため池での水泳や木登り、昆虫採集、ドラム罐風呂、芋掘り、金鉱跡の探検、鶏の解体などもします。農家に泊まると高い天井の大きな部屋が怖くて眠れない子や、外にある便所に行けない子などもいて大変です。一人っ子も、おじいさん、おばあさんのいる三世代同居の暮らしを体験します。

(産直交流)
 何度か行き来をするうち、都会の子供に持たせてやった野菜から、不格好でも安全でおいしいものを食べたいというお母さん同士の結び付きが強まり、産直交流がスタート。自分たちのつくる農産物が喜んでもらえることを知り、農業に対する自信も生まれました。

(農業体験交流)
 消費するだけでなく、自分たちも実際に農業を体験してみたいというお母さんたちが、春と秋に小梨を訪れ、田植えや稲刈りなどを体験。地区の運動会にも参加して地域とのふれあいも深めています。農村の生活にふれながら、小梨地区のお母さんたちと子供の健全教育などについて異なる立場から話し舎い、考え合う機会となっています。

(青空市の開催)
 千厩町産の農産物を販売し、消費者と交流する「ふれあいフェスティバル(青空市)」を世田谷区実行委員会の協力で、世田谷区内で開催しました。田舎を知ってもらおうと、農産物だけでなく子牛も連れていったほか、イモリやカエル、ドジョウ、ハチの巣、イガグリ、葉タバコ、稲穂、ススキなども持参。昔の農具体験コーナーや繩ないの実演コーナーも登場しました。

(農村留学生の受入れ)
 交流の中から、田舎で生活する子供もでてきました。これまで、酪農を覚えたいと小梨の実習に来たり、親元を離れ小梨で1年間、小学校に通いながら生活した子供もいます。
 世田谷区の小学生を受入れ、制度化し、今後積極的に取り組む計画です。

(大学生などのお世話)
 世田谷の家庭で、交流に参加した子供たちが大学や各種学校に進学するのを受け入れたり、アルバイトの世話や就職の身元保証人になってくれたりしています。
 これらの子供たちは、スプリング交流の世田谷側のスタッフとして、交流のお世話もしています。(関東ボランペOB会)


効果・成果

 交流は、長く継続してこそノウハウが蓄積され、実を結び成果が現れてきます。9年だけの実践では、必ずしも評価できるものではありませんが、この間の成果として
(1) 子供たちが、田舎や都会だけでは分からない文化を、直接体験の中から吸収することで、刺激やカルチャーショックを与えられた。視野が広がり、人間関係を学び、豊かな人間性が生まれた。
(2) 交流を経験した中・高校生が、ジュニアリーダークラブ「ボランペ」に積極的に参加している。スプリング交流では、交流の実質的なリーダーとしてお世話し、サマー交流では、裏方に徹して交流を支えるほか、地域の祭りの手伝いなどを行い、地域から認められ頼りにされている。
(3) 子供の交流が親の交流に発展し、さらに地域を巻き込んで拡大してきた。親同士、地域同士、新たな世界に触れることで、親たちは子供のことをこれまで以上に考え、育成の意欲にあふれるなど親たち自身が変化した。
(4) 産直交流により、生産への意欲がわいてきた。経済意識や理念から生まれたものではないので、純粋に「よりよいもの」を追及することが、農業を見直すきっかけとなり、自覚や自信が生まれ、生産意欲がわいて、農業を楽しむ気持ちが生まれてきた。


結び

 外に向けて開かれていない社会は停滞すると考え、長期的な展望を持ちながら交流をデザインしてきました。
 交流事業は、結果や成果が見えにくい面もありますが、目的を二層明確にし、方法論、推進体制を確立して意識や機運を一層盛り上げなければなりません。
 近年、地域の教育力(地域の人間形成力)の低下がいわれています。農村でも、兼業農家の増加や車社会による職場の遠隔地化などが進むにつれ、他人との付き合いが希薄になり、都会ナイズされてきています。このことは、次代を担う青少年の人間形成にも大きな影響を与えてきています。
 地域の持つ教育力を回復させる、あるいは低下させないためにも、地域の中での「人との交流」の機会をもっと多く増やし、その中に意識的に子供を取り込んでいくようなコミュニティ活動がますます必要になっています。
 PALPAL交流は、子供の交流がお母さんを巻き込み、お母さんは「ただの農家の嫁で終わりたくない」と発奮し、それに刺激されてお父さんが動きだしました。
 この交流は、子供たちの心を大きく成長させ、地域の人たちの心を大きく成長させ、地域の人たちの心に活気を与えました。心と心を結ぶふれあいが深まり、子供、親、地域の人たちは牛歩のスピードですが確かな歩みを始めました。
 これからも、どっしりと地についた活動の基盤を確立させながら、無理せず、気負わずに継続していきたいと思っております。