「ふるさとづくり'94」掲載 |
<集団の部>ふるさとづくり振興奨励賞 |
次代へつなける住みよい環境づくり |
岩手県・滝沢村 小岩井生活学校 |
地域を見つめて 県都盛岡市に隣接する滝沢村は急速な都市化進行の中で、人口4万人を超す全国一のマンモス村となっている。小岩井地区は雫石町、小岩井農場に隣接する350戸の集落で、周囲は、山あり、川あり、田畑ありと自然いっぱいの素晴らしい地域である。「この素晴らしい自然をどのようにして次代の子ども達に残してやれるか」これが昭和62年に発足した滝沢村小岩井生活学校のテーマである。 この自然に恵まれた小岩井地区には、郵便局も小学校もなく、年金受給者はわざわざ盛岡まで20キロの行程を、バスや列車を使って出かけなければならなかった。「何とかならないものか」という住民の願いを受けて生活学校を中心に、自治会、婦人会、住民が郵便局設置運動に立ち上がり、運動が実を結び、平成元年12月小岩井駅前に特定郵便局の開局を見た。3年を経過し現在取扱い件数6千件、年金の取扱いも450件になっている。 調査が運動の原動力 岩手山から流れる地下水を、それまで生活用水に利用していた当地区に、平成元年簡易上水道が通った。鉄分の多い地下水で白い洗濯物も赤くなる生活から、白いシャツが着られるようになり皆喜んだ。そんな中で、「少しぐらい黄色いシャツを着ても、下水道が先に欲しかった」という声が出て、テーマを「環境浄化」と決めた。 まず、家庭から出される雑排水がどうなっているかから調査を始めることにした。@マンホールを追って浸透式の所、Aただ土を掘って堰とし流しっ放しの所、B農業用水路に流している所等である。粘土質のこの地域では、浸透式は大方の家ですぐ使えなくなり、掘返しているが長くは持たない、やむなく汲み取り業者に頼んでいる始末。場所がないため個人で掘って堰に流しても、2軒3軒と家が集まれば容易に浸透せず、夏には蚊や蝿の温床となっている。 この調査から、下水道設置を第一の生活課題に捉え「1日も早く地区内に下水道を」を合言葉にしてきた。また、そのための学習をし、私たちの流した水が最終的にどう処理されているかを知るため終末処理場の見学会も実施し、同時に村へ陳情書も提出した。 第1回の対話集金を開催(平成2年7月)したところ、役場の係から小岩井地区は下水道対象地区に入っていないとの回答で、運動は大きく頓挫し、全員の失望も大きかった。 しかし、私たちは「この大きな課題は、10年かかっても…」との覚悟で、下水道設置運動が成功した盛岡市の松園地区や、雫石地区の事例も学習した。また、地区内の意見を行政に反映させるため、下水道設置についてのアンケート調査も実施した。地域の主婦210名、回答者151名、回答率72%で、調査結果は下水道設置を望む割合が98.9%という高率となって示された。この回答率は運動を進める私たちに力強い励ましとなり地区民への問題提起ともなり、自治会内に下水道設置委員会の設立を見ることとなった。 手順を知る なぜ、そんなに下水道設置が難しいのだろう、何か他に方法はないものか、学習を進めていたところ、農業集落排水施設のあることを知り、学習会を開くことにし、県庁の担当係長を講師に招く事にした。ところが学習会直前に役場から「村に声もかけず、勝手に県から講師を呼んだ」ということであった。私たちとしては、農業集落排水施設の学習会だったのだが、村との事前の話し合いを欠き、こうした結果を招いた。しかし、こうした経験により、今後の運動の進め方に多くの示唆を得た。 村当局への働きかけ 何回かの学習会と対話集会で、下水道設置の条件がいかに難しいかが判然としてきた。イ、世帯数が不足しているため、市街化区域に編入できないこと。ロ、区域が広く漸次世帯数が増加していても、まだその密度が低いこと、等が挙げられた。しかし、平成5年4月の自治会総会時に、会長から地区内の情勢として、新たに1千人規模の研究センターの建設が予定されており、小岩井地区も大きく様変わりするであろう旨の報告があった。 この機に材当局の都市計画の見直しを求め、小岩井地区市街化区域編入の請願書を提出したところ、6月の材議会で請願は受理され、総務常任委員会で継続審査となった。 将来の環境浄化にむけて 「いつか下水道が通り、家庭からの雑排水を流すとき、同じ流すなら少しでも綺麗なほうがいい」、下水道処理場を見学した者なら誰もが感ずることだ。ましてや、下水道の完備していないいまこそ必須の意識だ。台所の流し、排水口に紙製のフィルターを使用し、どれぐらいゴミが溜まるか、流れる水は綺麗になるかを知るために、地区内の各家庭に紙製のフィルターを配り、試用してもらいアンケート用紙も添付した。・配付世帯260戸で、回答率74.2%、となった。調査は、下水道設置運動が基盤になっているとはいえ、住民の流している生活排水そのものに、根本から目を向ける結果となった。 住みよい環境を目指して こうした地味な活動を続けているうちに、メンバーは、自分たちの回りに課題がいっぱい転がっていることに気付き、課題について一つひとつ着実に実践してきた。 小岩井地区の上水道の水源地は、隣接の姥屋敷地区にある。その近くに色々の廃材が捨てられブスブスいぶっていると知らされた。「飲み水が危ない」と私たちはさっそくその場所を見に行った、そこは産業廃棄物処理場となっていた。看板を見ると業者としての認可番号がない。山間の静かな人目につかないその場所は、谷間に川が流れ、雨が降れば廃棄物から出る汚水が川に入る…。誰の目にも明らかなその光景は恐ろしいものだった。 そこから約1キロ先に水源地がある。そこへ行って見てまたもや驚いた。水源地から500メートルと離れてない所に、豪奢なゴルフ場ができ、芝の緑がつやつやしていた。 私たちは産業廃棄物にも増して、ゴルフ場が気になった。農薬ならぬ芝の薬が地下水となって、小岩井地区の飲料水に浸みこんではいないだろうか。早速、役場に水道水の水質検査について尋ねたところ、上水道が入ってからはまだ1度も検査をしたことがないと言う。そこで検査を依頼し、毎年定期的に検査し結果を住民に知らせてくれるよう要望した。水質検査の結果は、飲料水に適するとされ、平成4年からは検査は毎年実施され、結果は住民に知らされるようになった。 また、産業廃棄物場は、県議会でも問題にされ、業者は無許可、不法投棄ということで3ヵ月の営業停止処分を受けている。しかし、1年後現地を廻って見たら、廃棄物の上に覆土はしているものの廃棄物はそのままで、釜からはまだ煙が煙っていた。地域の安全な生活を確保するため、今後も見回りを続けていくこととしている。 安全を求めて 平成5年2月、雫石町で開催された世界アルペンスキー大会で、小岩井地区の道路事情は180度変った。大会開催中の車の混雑を避けるため、国道46号線と平行するように小岩井駅前に2車線の道路が敷かれ、一夜にして危険いっぱいの駅前になった。この道路には、信号機はおろか横断歩道すらない。朝のラッシュ時の1時間に250台の車が行き交う。広い道路は、そこにある小さな駅の存在を気付かせない。制限速度50キロを守って走る車は3分の1、列車に乗るために駅を目指してここを横断することは並大抵のことではない。大人ですら勇気がいる。 4月、隣駅の大釜まで列車通学する子供たち、特に新入学児童をこの危険な道路を走る車から守らなければならなかった。小学生90名、中学生43名、そして盛岡への通学・通勤者が列車を利用する。母親たちは毎朝、交替で黄色い旗を特って車を止め、子どもたちを横断させて事故を防いできた。 交通安全協会、教育委員会に働きかけ、自治会長、小・中学校長、村会議員、交通安全母の会、育成会員の方々と一緒に話し合いをしたら、多くの一致点が見出された。交通標識の設置は、当初10月設置の回答であったが、7月設置との連絡を受けた。私たちの目下の役目は、安全に渡れる道路の実現のための「パイプ役」。“住みよいふるさとづくり”は、安全で快適に暮らせるための努力を維持し続けることなのかもしれない。 |