「ふるさとづくり'94」掲載
<個人の部>ふるさとづくり振興奨励賞

病いを克服し、多彩なボランティア活動に生きる日々
千葉県・光町 木内こう
地域の概況と家族構成

 私は、光町の木戸浜海岸まで、2キロメートルの長塚という集落に住んでいます。長塚は町の中でも数多くのペンションもあり、夏場は海水浴等の客で賑わう集落です。私は昭和23年、物資のない時代、縁あって光町に嫁ぎ、現在4人で暮らしています。家族構成は、夫と私、そして長女と次男です。私は専業主婦として過ごしてきました。3人の子育てにホッとした48年、庭の石につまづき、腰を痛め35日間入院してしまいました。退院しても足、腰の痛みが出てしまい、2年間通院しましたが、先生からは「この痛みはもう直らない」と言われた時、ボー然としてしまいました。私は、まだ45歳。「このままジッと寝たり起きたりの生活をしていては、自分が駄目になってしまう」と思い、「何とかしなくては」と思いついたのがミシン掛けでした。足・腰には大きな負担でしたが、「何か目標を持たないと自分自身に負けてしまう」と思い、既制服の検定試験に挑む事にしました。5時間で2枚のワンピースを仕上げる事は素人の私には大変でしたが、若い男女に混じって試験を受け、実技の2級に合格する事が出来ました。家族も大変喜んでくれ、「私もクヨクヨしていてはいけないんだ。出来る事は何でもやってみよう」と自信がついてきました。そんな時、入院中寝返りも出来ず、不便だった寝巻きを思い出し、自分であれこれ考え、改良寝巻きを作って見ました。これを婦人発明家協会に出品したら、全国の中から11人選ばれ、東京新宿の京王百貨店賞を頂く事が出来ました。


衣類のリフォームに取り組む

 57年に婦人会の地区の理事を受けた時の事です。年に1回行う廃品回収に立ち会うと、まだまだ新しい物が捨てられています。物のない時代に育った私には、とてももったいなく、何とかもう一度生かしてあげたいと、衣類のリフォームに取り組みました。家の中を見回すと、利用出来る衣類がたくさんあります。「このワイシャツから何か出来るかしら。このタオルからは…このボアシーツからは…」と考え、工夫するひと時が、とても楽しくなりました。丁度そんな時、光町産業まつりに農協婦人部でも、手芸と料理の展示をしたため、私の作品も出品しました。300点以上の出品でしたが、私のリフォームに特別賞を頂く事が出来ました。また、公民館からも婦人学級のリフォーム教室の講師を依頼され開催しました。毎日を忙しく過ごしている人々も、物を大切にする心を育て、充実した日々を送り、明日の生産活動にも大きな励みになるようにと思って引き受けました。若い人も、年老いた方々もとても熱心で作り上げた作品は、個性的で楽しい物ばかりでした。このリフォーム教室は1年行い、そのまとめとして、産業まつりでファッションショーを開く事が出来ました。3歳から70歳までの人々30人がモデルとなり、この教室で作った物を、皆さんに披露する事が出来、物を生かして使う喜びを味わう1日になりました。


町の食事づくりに参加

 現在、光町には65歳以上の独り暮らしのお年寄りが百人余りおります。社会福祉協議会では、昭和60年から毎月1回食事づくりを行っており、お年寄りは町のバスで送迎されます。その際、私はボランティア活動として食事づくりに参加しています。この食事づくりには、“あじさいグループ”34人が、3交替で行っています。グループの皆さんは栄養改善推進のOBの方々です。地域の独り暮らしのお年寄りと食事サービスを通して『心のふれあいと、交流を持ちたい』と考えています。食事づくりには、季節に応じた献立と、塩分控えめに、栄養価を考え、夏には食中毒に注意し、お年寄りに喜んでもらえるよう、献立を考えます。この食事会に、1人でも多くの独り暮らしのお年寄りに、楽しみを与えられるよう活動を続けています。また、この活動を始めてから調理師の資格を取ろうと、同60年に受験しました。家族の寝静まった頃、起きて本とノートを広げ学習しました。難しい問題がたくさんありましたが頑張り合格する事が出来ました。


私がボランティア活動を始めた動機

 今や環境問題に関する不法投棄等が大きな社会問題となっています。私がこの活動に取り組んだ動機は、私の家が県道沿いにあるため、昭和50年代に入ると、自動車や自転車から、投げられる空き罐やゴミが道路のあちこちに目につくようになりました。55年のある朝、1人で拾っていると偶然、友人に出会いその人は「家の前を拾っている」との事でした。「どうせやるのなら一緒にやりましょう」と、59年8月から2人で毎月1回、道路の空き罐拾いをする事になりました。その後、仲間も徐々に増え、61年9月会員7人で、正式にクリーン友の会を結成し、今では会員も20人になりました。私達の活動は、毎月、1日を定例日と決めてありますが例外の日もあります。活動内容は、道路美化清掃全般、危険物置場の清掃、県道沿いに覆いかぶさった草刈り、県道沿いの緑地帯の除草と清掃等。そして県道沿いに花木を植え、花の咲く季節には道行く人の目を楽しませる事も出来ます。月1回の空き罐拾いと、共に「私達に、今何か出来るか」と考え、町で行っている食事サービスに行かれない集落の独り暮らしのお年寄りと、仲間の皆さんとの交流を待つために、年5回の食事サービスと手芸等もしながら、楽しい1日を過ごす事が出来ます。その他、年1回町のバスをお借りして、手作り弁当を待ち、集落のお年寄りを連れて見学会等にも行っています。また、高齢者の皆さんは人間国宝だと思います。私達は老若男女の交流を深めながら、自然を愛し、地球に優しい暮らし方を考え、21世紀を拓くふるさとづくりをめざして活動を続けています。


活動の苦労と喜び

 私が空き罐拾いを始めて10年余りが経過しました。ひとくちに10年と言っても、雨の日もあり、風の日もあり人間関係の難しさから「やめてしまいたい」と考えた日もありました。しかし、「少しでも集落をきれいにしたい、私の微力な力でも地域で役立ちたい」という思いが通じ、仲間も7人となり、20人となって活動が出来るようになりました。活動は、夏は朝8時で、冬は8時30分に集まり、空き罐拾いや草刈り等2時間余り行い、汗を流した後、お茶を飲みながら会話をします。40代から70代の人々が集まり、月1度の楽しみの場となっています。地域の人々から「お陰様できれいになり気持ちがいいね」と言われると疲れも忘れてしまいます。また、「独り暮らしになると、話をする人もいない、食事づくりもおろそかになってしまう」と言う中で「今日は本当に楽しかった。生きていてよかった」と涙ながらに話す顔を見ていると「やっていて良かった。お年寄りの皆さんがこんなに喜んでくれて」としみじみと感じます。これからの課題として、今後、老人が孤立化しないよう集落ぐるみで守って行く対策がさらに大切になってくると思います。また、平成2年10月『光町・婦人のつばさ』で、海外研修として香港・マカオの老人施設訪問に参加し、現地のお年寄りの生活等を通訳を通して、見聞きする事が出来ました。


老後づくりを大切に

 急激に進む高齢化社会の中で、年老いても生涯健康で楽しく生きがいを持って、社会生活を送るために自分の持っている技術や体験を生かしながら魅力ある老後を生き生きと、他人のため、自分のため、地域社会のために温かい人間性を持ち、心豊かに生きる老後づくりと地域づくりの必要性を感じます。


これからの生き方

 自分なりにボランティア活動を始めて、早や10年余りが経ちました。1人の活動が20人に増え、さらにお年寄りに楽しみを与える場になって来ました。活動の幅が広がって来たのも支え合える仲間があり、勇気づけてくれた家族がいたからと感謝しています。ボランティアとは「出来る時に、出来る人が無理なく行い、他人の立場になって考えられる心を持つ事だ」と思います。私達の活動はまだ小さな灯ですが、「人に役立つ喜びを育て合いながら、高齢化社会の進む中で地域で支え合える仲間づくりをめざして、―歩ずつ活動を積み重ねて行きたいと思います。そして、10年先、いや20年先たくさんの仲間と楽しい人生を送っている」と感じられるよう、思いやりのある毎日を大切に温かい心で仲間同士が手をつなぎ、明るい福祉の町づくりに努力して行きたいと思います。私がボランティア活動を続けられたのも、家族みんなの協力と仲間との出会いがあり、多くの友達がいたからと思います。身近な集落内の友達・婦人会・農協婦人部・栄養改善推進員・生活改善グループ、そしてボランティア活動の友達がいます。長かった子供の入院生活、そして自分の入院した時の事、悲しい時、つらい時、たくさんの友達に支えられて生きて来た私は幸せ者です。これからは、広い社会に目を向けて、地域社会で困難を乗り越える精神と、1人1人を大切にする優しい心を待ち、家族や自分の健康にも気を使いながら、次の世代を受け継ぐ若い人達にも、人生を前向きに生きるように指導して行きたいと思います。
 なお、平成4年度県政モニターの1人として、有意義な体験と社会勉強の中で、県が行っている県民のための政策事業についても、種々知る事の出来た学びの1年でした。その他、『さわやか ハートちば ふれあい会』に入会させて頂き、たくさんの人々とふれあう事も出来ました。これからも地域社会でふれあいの輪を広げて行きたいと思います。また、私達県民が協力しあい、『伸びゆく、明るい、住みよい、千葉県』に、そして、『ふるさとづくり』に誇りを持ち、躍進する千葉県と地域が大きく発展する事を願いながら、微力ではありますが、ご協力してまいりたいと思います。