「ふるさとづくり'95」掲載
<集団の部>ふるさとづくり奨励賞 主催者賞

まず「杉の木村」を建設
鳥取県智頭町 智頭町活性化プロジェクト集団
智頭町活性化プロジェクト集団(CCPT)の結成と理念

 智頭町は鳥取県東部の最奥部に位置し、杉の美林に囲まれた静かな町です。かつては、林業の町として栄えていました。しかし、近年木材価格の下落に伴う林業の低迷につれて若者は都市に流出し、高齢化、過疎化は加速度的に深まっています。
 この静かな町に突然元気な風が巻き起こりました。昭和60年に開催された「わかとり国体」を成功させようと、町民の心が燃え上がったのです。あらためてわが町を見つめ、全国の選手達に何をアピールしたらよいか、何をお土産にしようか、町民こぞって知恵が絞られました。
 国体終了後、この盛り上がりをなんとか持続させたいと考えた数人の熱心な人達がいました。これが後のCCPTの核となる人達です。Uターンの郵便局員、製材業、運転手、役場職員等様々な業種の人達が寄り集まって、「杉のまち」の活性化を目指し、夢をふくらませていきました。
 63年には、いろいろな分野で頑張っているグループを束ねて「智頭町活性化プロジェクト集団(CCPT)」が結成されました。「町の活性化は町民1人ひとりの自覚が第一、思想や巷間の政治に捕らわれず、純粋な郷土愛を特って結合しよう」「住民自治の精神を特って、地域経営、地域共育、国際化、社会開発システム論の実践を目指そう」を主な理念として様々な活動を展開しています。


杉にこだわり

 昭和59年、国体選手のお土産として考案された杉板のはがきは、ほんのり漂う杉の香りが好評で、確かな手応えを感じたメンバーの中から木工品の製作を専業にする人が現れました。杉を薄く剥いで作った杉の香はがき、動植物の形に糸鋸でくりぬいたおもしろ“遊便”シリーズ、杉の本にシルク印刷をのせて作った木の絵本等、次々にユニーク商品を開発して全国に発信しています。また、自由にはがきをデザインする「木づくり遊便コンテスト」を開き、特選作品をヒントに「智頭ウッドクラフト研究会」を発足させて、杉の木工品の特産品化が進められました。
 さらに智頭杉のPRとして、「智頭杉『日本の家』設計コンテスト」を開催しました。CCPTのプロデュースのもとに建築事業協同組合が設立されて、素材の杉から建築まで一貫した販売システムが確立されました。
 また、CCPTが初期の段階から取り組んでいる「杉の木村」があります。智頭町でも過疎化の激しい最奥の地区に、当初は都市生活者との交流の場としてスタートしたのですが、慣れないイベント続きに住民が息切れをしてきました。そこで鳥取大学の実態調査をもとに、住民の活性化のシンボルとして智頭杉を使ったログハウスを建てることになりました。カナダから高校教師でログビルダーのジュディー・アップさんを招き、全国から建設ボランティアを公募して5棟のログハウスが完成しました。ハウスは杉の木村産業組合に無償譲渡され、その後行政も入って、美しい緑と川に恵まれたリゾート地に仕上がりました。ここでも、ログハウス建築を企業化し、従業員10人の会社に成長して相次ぐ注文の対応に追われています。
 ジュディーさんを招いたことから、彼女の高校と町内高校生との交換留学が始まりました。めったに外国人と出会うことのない山間の町で、ホームステイを受け入れたり、英会話教室が持たれたり、パーティーが聞かれたり、智頭町における国際交流が始まりました。同時に、鳥取大学の留学生やCCPTが招いたオレゴン大学の留学生が、滞在したり訪れたりするようになり、最初はぎごちなかった交流も徐々に自然なものとなりました。
 相互交流は今も続き、一昨年はメンバーを中心に23人の人達がカナダを訪問し、昨年には16人のカナダの人達が智頭町を訪れ、野外での歓迎パーティーが聞かれました。川魚の串焼きを頬張りながら「グレイト・グレイト」を連発する一行と、身振り手振りでなんとか心を通わせようとする地区の人達とのほほえましい交流が繰り広げられました。
 オレゴン大学の学生によって智頭の民話が英訳され、智頭中学校とオレゴン州オークリッジの中学生にプレゼントされました。さらに、英訳された民話を全国の小学生、中学生に紹介し、「暗唱スピーチコンテスト」が開かれました。この本とコンテストは毎年企画され、現在3冊目が作られています。
 学習の場として、平成元年から「杉下(さんか)村塾」が聞かれています。これはCCPTが自らの研讃の場として、1番力を入れているものです。国の内外からトップレベルの講師を招き、全国から受講生を募ります。そして、「杉の木村」のログハウスで2泊3日の寝食を共にし、猛勉強をします。今年も10月28日〜30日まで、開催が決まっています。「耕読会」という読書会も年に4回開かれて、題本をネタに熱心にディスカッションを重ねています。
 また、智頭に来られた先生方を地元の人達が山菜料理を1皿ずつ持ち寄ってもてなし、ちゃっかり勉強しちゃおうという「公開ミニ講座」もこの間から始まりました。1時間半の講義を、老若男女が目を輝かせて間いています。


“地域経営”等が

 CCPTはこの7年間、とても限られた紙面では語り尽くせないほどの様々な活動を精力的に続けてきました。その中で常に一貫していることは、単なるイベント屋ではなく、いつもその後の波及効果を予想分析して住民への影響を考えたり、企業化に結び付けてきたということ。つまり地域経営を要としているのです。また、集団自身が大学の先生や企業の研究者の方々と共に、科学を取り入れながら学習を重ねてきたということです。活動の中から築き上げてきたネットワークを大切にし、かかかる人々の個性、特質を発見して、知恵を引き出す知恵を活用しています。この2つはCCPTの活動の大きな特色となっています。
 すべての学習の場は、地域の人々に公開されており、集団そのものも出入り自由のダイナミックな集団です。テーマに基づいてプロジェクトチームを編成し、企画運営していきます。また、毎年活動の総括として「提言書」を作成し、現在までに5冊を発行していますが、これらのことも特色といえましょう。


広がる活動の輪

 最近、智頭の若者が町外の若者から「智頭の人はいいなあ」と言われることがあると聞きます。たびたびイベントなどが新聞紙上を賑わすこともあってのことだとは思いますが、確実に智頭のイメージが変わりつつあるのを感じます。
 「杉の木村」は過疎地区の再生を促し、昨年は2000人の宿泊客を数えました。
 青少年の海外派遣は、5年間で34人を送りだし、相互交流の総数は100人を超えています。そして、平成5年度からは、高校生は智頭農林高校が、大学生は「智頭町未来人集団」が、社会人は「智頭町青年海外派遣支援協議会」がそれぞれ組織され、CCPTが開発したノウハウを受け継いで、意欲的に取り組んでいます。
 「智頭杉『日本の家』設計コンテスト」を契機に設立された建築事業協同組合は、年商3億円というビッグビジネスに成長しています。
 何も無い状態であるゼロを、たとえわずかであっても有る状態である1に変えるという作業は、外からは見えない無限のエネルギーを必要とします。そのエネルギーは当事者とその周辺に蓄積されていきます。CCPTはこのゼロから1の起動を、地道に繰り返し行ってきたといえるのではないでしょうか。そして、地域の人達1人ひとりが主体的に地域を捉え始める大きなきっかけを作ったと思われます。
 地域が元気になるためには、まずその地に住む人々がそこで暮らすことに自信と誇りを持つということが一番大切なことです。CCPTは地域の人々が自負心を持ってこの地に暮らすことができるよう、自らも研讃を重ねながら活動を続けています。そしてその活動は、少しずつですが大きな輪となって広がっています。