「ふるさとづくり'95」掲載 |
<集団の部>ふるさとづくり振興奨励賞 |
女性にやさしい新しい村づくり |
福島県飯舘村 若妻の翼 |
飯舘村は福島県の東北に位置し、人口7800人の純農村で、冷害の常襲地帯であり、平成5年度の米の収穫は皆無だった。ゆえに自分の住んでいる村に「自信と誇り」など持てようがなく、村民が村外で「どちらから?」と訪ねられてもできるだけ自分の村名を出さないで済ませたかった。それが今では誰もが「飯舘村から来ました」といえるようになり、さらに必ず「あの『若妻の翼』(代表・松下清子さん、メンバー90人)の飯舘村ですネ」と言葉が返って来るようになった。 海外研修参加までの葛藤 飯舘村は平成元年から5年間、村のお嫁さんたちをヨーロッパ海外研修に派遣した。その事業の名が「若妻の翼」で、新春ホラ吹き大会での「21世紀には『村営主婦の翼』が飛んでいるはず」というホラを村が取り上げ、誕生した。一般的に自治体が実施する海外研修の参加条件は組織の代表者とか活動歴何年等だが、「若妻の翼」は個人の資格・意思が基本だったため、普通の女性・若いお嫁さんが参加できたのだった。しかし、その「農村の普通の嫁さん」であるがために「そんな金があるならトラクターの借金を返すのが先」「何で外から来た嫁が先なの」等の声の中、大変な心の葛藤の末の申し込みだった。 活発になったグループ活動 「海外研修に行って何か変わった?」とよく開かれるが、何も変わらないと言った方が正しいかもしれない。しかし、公民館主催の「夫婦共学ゼミナール」等への参加によって、自分の人生をつくるには夫や家族と向き合わなければ何も進まないということに気付いた。家族と正面から向き合うことにより、これまでの「個人を束縛するための家族」から「個人を育てるための家族」に変わってきた。農村は同色の世界で変わった色が認められない社会だった。その封建的・閉鎖的な農村に女性の存在感・若者の位置付けが定着し始めたのだ。 ピラミッド方式の組織・集団は個の確立を一層難しいものにし、個人を育てにくくしている。したがって「若妻の翼」は連絡協議会はつくらない。大きなフレームという考え方だ。そんな考えで、地域に花を増やし写真コンクールを実施したり、特産品にもなったドライフラワーづくりやリサイクル活動など、それぞれのグループが自発的に生活に密着した活動を展開しながら、さらに村に「生活者の視点」で活動を広げていくとしている。 |