「ふるさとづくり'95」掲載 |
<集団の部>ふるさとづくり振興奨励賞 |
健康を公害から守る大気汚染の測定 |
東京都杉並区 杉並区第7生活学校 |
昭和45年、杉並区内にある高校で、体育授業中の女生徒が急にバタバタと倒れるという事件があった。その時校舎の上に紫色の異様な雲が漂い、道行く人も目がチカチカし、何が起きたのかわからない不思議な現象であった。それから1年を経て、練馬区の中学校でも同じような被害があった。後で叫ばれだした「光化学スモッグ」だった。 東京オリンピックの開催を機に、増大した車の排気ガス、振動等で健康を害していく人が増える中、この2つの事件が大気汚染に対する住民意識を剌激し、運動が始まった。 まず運動は環状7号線をはさんで東西に位置する高円寺地区の住民が、高円寺公害をなくす会を発足。アンケート調査、化学者の鉛測定、医師の健康調査と住民の署名集め等を行った。結果は細かく資料にまとめて1019人の連名で区議会に提出した。この時申し入れた公害監視委員制度が、昭和46年12月、ようやく制定され、グループからも1人が委員会のメンバーになったのである。 生活学校が公害問題に取り組む 昭和47年「杉並区第7生活学校」(代表・渡辺正子さん、メンバー45人)をはじめ、生活学校連絡会で地域診断グループを結成、光化学スモッグを追って大気汚染、アサガオ・人体への影響調査を実施し、関係各方面に提出したり、さらに二酸化チッソの測定等、専門家を招きこれらの調査結果を基に対話集会を開催した。 この運動は、他の団体とも連携して協力できるようになり、また、行政との連携に意を注ぎ、住民との対話を密にして、行政への提言や様々な支援を訴えてきた。さらに、蚕糸試験場の化学者の助言から、環状7号線を1車線削り街路樹にした場合、20%もの二酸化チッソの発生を防げることがわかり、さっそく、東京都に提言し、難行の末実現をみたのである。 次代を担う子供たちによりよい環境を しかしまだまだ100%の実施には至っていない。現在も騒音、大気汚染のために健康を害する人は絶えず、その対応も同じ東京都でありながら、区によってまちまちである。公害患者の救済を行政に切望するものである。公害は複雑化し、その関心も行政、住民共に深まってきたようである。次代を担う子供たちへの啓蒙と共に、将来に向け、よりよい環境保全をめざして努力している。 |