「ふるさとづくり'95」掲載
<市町村の部>ふるさとづくり大賞 内閣総理大臣賞

豪雪を逆手に取ったまちづくり
新潟県 安塚町
心の過疎からの脱却

 日本の国土面積の52パーセントは雪が降る、いわゆる雪国であり、約2000万人が住んでいる。30センチの雪が降れば“大災害”となる東京からわずか1時間余りで、まったく異なる雪国の世界に到着でき、スキーができるというのも日本だけであろう。そして、積雪1メートルから3メートルもの多雪地に住居を構え、耕し、生活していることも世界に誇れる知恵といえる。
 かつて先人は、雪が降って交通が途絶し、数10キロを歩き、屋根の雪処理に追われたり、雪崩、融雪災害に命を奪われた。しかし一方では、雪国であるがゆえに、雪解け水が山の頂き近くまで開かれた天水田を潤し、おいしい米の恵みを与えてきた。
 雪との関係が共存から敵対へと変わってきたのはむしろ近年、高度経済成長の時代からのこととも言えるのである。
 安塚町は、新潟県の西南端に位置し、長野県飯山市と境を接している。冬期の最低気温は摂氏0度程度でマイナスになることは珍しいが季節風が運ぶ日本海の水蒸気が、1、000メートル級の山並に最初にぶつかるため役場周辺(標高80メートル)でも1メートル50センチ、山沿いは3〜4メートルの最高積雪深を平年でも記録するところである。人口は、昭和30年の3か村合併当時で11、000人余り、現在は4、500人台にまで減少した。70.23平方キロの町面積のうち、林野率は50パーセントの中山間地で農地のほとんどは水田というコメ単作地帯。65歳以上の人口は22パーセント、農業の衰退、山間、多雪、高齢化、嫁不足。クドけば、クドキのもとはいくらでもある。
 かといって雪国は昔と何も変わっていない訳ではない。
 雪は時に[雪雪雪雪](ゆき)と書きたいほどに積もる。そこで暮らすための知恵として、雪処理はお互いの共同の力で対処しようと、地域ごとに防雪体制整備事業を取り入れた。共同の車庫、駐車場整備、小型除雪機、ブルドーザーの導入などが町内の3分の2の地域に整備されており「雪なんてへっちゃらだい」と大書された車庫もある。屋根雪処理に工夫をした家屋には、低利融資制度を設け冬を快適に暮らすための研究などにも助成できる基金もある。主要な道路は除雪され、交通は確保されている。けれども雪国の生活者が雪のない地域の生活を夢見ている以上、不満が残り雪は邪魔物でしかない。こわいのは、人口が減った、若者が少ない、工場がないというような客観的な過疎というより、むしろ住んでいる人間自身が落ちこむ、自信と誇りを失くす、不平、不満ばかりで自ら手足を動かすことをしなくなる「心の過疎」である。


雪をロマンとメルヘンに

 心の過疎から脱却する一番の特効薬は、安塚の場合、やはり雪や冬に対する考え方を変えることであった。
 地域づくりにコミュニティという手法を取り入れ様々な行政と住民活動のふれあいとにぎわいづくりの試行錯誤の中から、毎年2月のスノーフェスティバルが生まれた。町中からスコップやスノーダンプを手に人々が集まり、各チームに分かれて一斉に雪像づくりを競う。この単純明快な冬のおまつりは、すでに10回を数え前夜祭には、住民の手づくり演劇「雪太郎」が上演され、冬の花火が打ち上げられる。住民が自ら楽しみながら、観光客や外国人留学生との交流も加わった。
 3年連続豪雪の痛手の中から生まれたものは今までの発想をまさに逆転する「雪の宅配便」であり「雪国売ります」の企画。昭和61年の春のことである。日本で初めて雪そのものを売った。雪ダルマ型の発泡スチロールにつめられた雪が、日本中ヘトラックに乗り飛行機に乗って送られていく。雪の降らない地方にとって雪はまさにロマンでありメルヘンである。雪を売って初めてそれを実感できた。さらに土地付きの空き家を売り出した「雪国売ります」の企画では、雪国の持つ自然や人情の深さがどれほど都会の人々をひきつけるかを知った。
 そして、昭和62年2月には、東京ヘダンプ450台分の雪を運び込み、サヨウナラ後楽園球場スノーフェスティバルという大パフォーマンスを繰り広げ、行政と住民が力をあわせて「雪と遊んだ」このイベントは、第3回の日本イベント大賞を受賞したのである。
 確かに一連の企画は、町の経済構造を変えるほどの力を持つものではなかったが、町と人は確かに変わった。「私のふるさとは日本一の雪国安塚です」と胸を張って言えるようになった。東京ブランドではない雪国ブランド、自前の文化を自ら楽しみ、誇りに思うことが実は雪国の快適さを生み出す最大の力であろう。


雪は資源で遊び相手

 最大のマイナス要素は、最大の資源でもあった。町は入口に「雪のふるさと安塚」の大看板を掲げ、雪だるまをシンボルマークとした。面白いもので雪国の人、北国の人までが雪を買ってくれる。一番雪が多く積もった冬に来たいという人もいる。
 様々なイベントは町の元気と組織力を生み出し、その後も300人の1日ミュージカル、おとなり3町村の合同演劇、雪国シンポジウムなど多くのイベントを開き幅広い交流の輪をつくってきた。
 今後は、経済的なゆとりと共に文化的な資質を高めながら、雪国の豊かさをまずそこに住む人々が満喫したいものと考えている。
 平成2年12月、国のリゾート指定を受けた町の主峰菱ヶ岳山麓にキューピットバレイというスキー場がオープンした。町が10パーセント出資して資本金4億円の会社を設立、約100億円が投資された。当町にとっては、初めての本格的スキー場で、グリーンシーズンも含め20万人の集客を生んでいる。社員はほとんど地元採用であり、若者のUターン効果、冬期の雇用も大きい。スキー場のあるまちがみんなでスキーをやらない手はないから、小中学生はもちろんのこと、講習会やスキースクールを始めて「みんなでスキー」を合言葉にしている。
 今一つは、スキー場の中腹に温泉を掘削、高温の湯が自噴した。住民の公募で「ゆきだるま温泉」と名づけ源泉は「雪の泉」、風呂は「雪の湯」の名称である。平成4年2月には男女共100人ずつが入浴できる大きな浴場がオープンし、スキー場が一望でき、雪見をしながらの雪の湯は絶景で住民や観光客の憩いの場となり入場者は1年で10万人を突破している。今まで観先客はごくわずかだった町に、雪を利用したリゾートが出現し、人があふれ車があふれる。住民の心に与える影響は計り知れない。12月に入るとスキー場も雪の宅配便も天気予報に一喜一憂する。雪は降らないと困るものになった。


幸せ感のある町づくり

 まちづくりは住民の「幸せ感」をつくることが基本である。いろいろな人とふれあう幸せ感、地域の人々といっしょに暮らせる幸せ感、自分の町を誇りにできる幸せ感である。これがあれば人口が増えた減った、若い人がいるいない、産業があるないという価値基準ではなく、人間的魅力のある人がたくさん住むすばらしい町と言えるのではないかと。
 この理想に近づくためのプログラムが「雪国文化村構想」である。全町を公園と呼べるような町にする。そのためには何をすれば良いのか。イメージする将来の安塚は、教養が高く倫理観があり、そして経済力もある住民の住む町であり、ますます進むであろう高齢化社会の中で誰もが健康で安心して暮らせる環境をつくり、生涯を通じて様々な教育の機会に恵まれ、豊かな心で家庭と地域に生き、自らの力量を存分に発揮できるまちづくりである。雪国という環境の中で経済的、文化的な潤いを求めるとき、その要素はやはり「雪」であり、その雪が育んだ豊かな緑であり、そして何よりそこに住む人である。平成元年度1年間をかけたプロジェクト委員会が導き出した答は「雪と緑と人を活かした全町公園」これが安塚町雪国文化村構想のコンセプトである。


雪国文化村構想

 雪国文化村構想の柱は4つある。まず、スキー場や温泉そして、町内の地域特性を活かした観光レクリエーション施設の整備によって、農業、商業など既存の産業を相乗効果的に底上げすること。二つ目は、自然と人間が共生できる雪国景観づくり。三つ目は、雪国研究を核とした町づくり、そして四つ目は「ゆう(遊、結、裕)」を軸とした町づくりである。この四つの柱にそって、町内を六つの里(ゾーン)に分け、雪の結晶のように地域の個性を結びつけ全町が公園と呼べるような美しい文化村づくりを目指している。
 花いっぱいの町づくりも、花の会や地域の各団体が、まず自分の住んでいるところぐらいは美しくしようということから運動が広がり、春の水仙、秋のコスモスを中心に全町30キロのフラワーロードが全くのボランティアで続けられている。
 美しい農村、たたずみたくなる雪景色は、そこに住む人の英知と奉仕の心がなければ、広く深い美しさが出来ない。
 平成3年10月に施行した「美しい安塚町の風景を守り育てる条例」いわゆる景観条例を制定したのもそんな狙いをもっている。この条例の特色はたとえば伝統的な家並みが残る地域やリゾート地域のみを地域設定するということではなく、全町一律に網をかけたということである。同時に屋根の色、壁の色の統一化、看板の材質、大きさ、色、森林や農地開発に対する届け出など確かに制約を与える条例であるが家そのもののアクセントとしての花いっぱい、緑化、道路からのセットバックなど将来に向けて景観を育て上げようという性格をもっているということである。
 雪国文化村にふさわしいグランドデザインを具現化するためのキマリ、目標をつくろうということであり、息の長い作業であるけれども数10年後には、地域を誇れるものに全町が仕上がっていくであろう。


雪だるま財団

 平成2年9月に設立した(財)雪だるま財団は、雪の研究、情報発信を主眼として発足したものであり、町と町民、そして雪と雪国に関心を持つ企業が寄付を寄せている。雪国文化村基本計画に沿って、景観条例や克雪型住宅、アメニティ施策の研究を手がけており、文化村のシンクタンク的機能を果たしている。
 財団を窓口として全国、世界の雪情報、町づくり情報、そして人のネットワークが広がりつつあり、それは、雪国文化圏という雪国のネットワークヘと育てていきたいと考えている。
 雪国のまちづくりは多種多様であるが、災害や道路の無雪化、雪公園、雪ドームなど大きな力と財政力を必要としており、国の力と非雪国の人々の理解を必要としている。
 したがって、雪国、北国同士の結束とお互いの生活や研究、施策を支援する交流が望まれる。要は日本の国土に雪国文化圏をつくり、お互いの圏域で、大きな施策転換ができる企画をし、研究提言をすることが必要である。
 雪の研究は実に遅れをとっている。国土の半分が雪国なのに災害研究にとどまらず、快適な居住空間を生み出す手段、寒さ、雪処理、結露などの住宅研究、雪遊び、冬の衣服など未知の分野が多い。だから世界に発信できる雪研究所が雪国になくてはならない。現在の国の雪に対処する姿勢はあまりにも小さく、雪の資源的な価値、雪利用は無限であり、未知の分野であるからである。


行政と住民のプレイ

 安塚のまちづくりは行政主導と言われてきたし、実際は、行政の発案による企画が大部分を占めてはいる。しかし、肝心なのは「主役はだれか」ということであり、この意味で、今までのまちづくり運動の中で貫かれたものは「住民参加」であり「住民が主役」ということである。様々なイベント、シンポジウム、交流事業、そして観光開発に至るまでその姿勢は変わっていない。つまりは「住民主体の行政主導」である。行政と住民は車の両輪、どちらかが止まってしまえば前には進めない。そして地域づくりの力となるのは「人材育成」であり「自分づくり」である。行政、住民、そのどちらにも国内、国外の研修制度があり、社会教育、財団それぞれの立場で様々な「生涯楽習」のプログラムが提供されている。行政と住民が手を変え、品を変えと言えば語弊があるが常にプレイを繰り返してきたのである。町中に緑があふれ、花が咲き、様々なメニューを持つ魅力たっぷりの人間たちに出会える。そして春夏秋冬という四季の他に雪という五つ目の季節(五季)を存分に楽しみ謳歌する。安塚が描く、雪国のグランドデザインの具現化にむけて、今は、第2ラウンドの試行錯誤の時である。