「ふるさとづくり'96」掲載
<集団の部>ふるさとづくり奨励賞 主催者賞

「夢いらんかね」ふれあい交差する出夢出夢虫の里
「夢の音村」このマチに私の今(青春)がある
島根県金城町 サウンドファイブ夢の音会
 ♪こちらふるさと若い夢 音に聞いたら「応答願う」♪ ふるさと発信・それ受信 心おこしに交わるイズム ホンネ・本音のふるさとだ♪・・・・・・・・(夢の音村ソング)♪
 若さあふれる元気いっぱいの歌声がこだまする「夢の音(ね)村」で唄い継がれる“村民歌”です。このムラの村民は20代、30代を中心とする若者たち。
 集い・語り・涙し汗流しあって生きる彼等はス・テ・キ。
 町の人々の信頼と熱い工−ルに応えてムラでの生き生きとした生活や活動を続ける若者たちの姿そのものが、今日誇れる町の「観光」の一つでもあります。
 失敗の許される年代に汗を流さずに挑戦しないまま終わりたくない……ふるさと金城の将来に夢を広げ、確実な足取りを続ける若き村民の一様な積極性が夢の音村の活動を支えています。夢の音村の歴史に花開いてしるされる一つ一つの物語をたどる時、「この町で生きていく。もっとこの町を楽しむだけ」。返される言葉がいつも自然体でこのムラの若者たちは“町づくり”ヘの気負いは少しも感じさせません。
 若いエネルギーとふれあいの交差する夢の音村の村民はいつしか「出夢出夢虫」(でんでんむし)とも呼ばれ、いずれも百戦練磨の夢人であり、ムラの“特産品”でもあります。 ♪“こちらふるさと若い夢・・・。1968〜1995。「出夢出夢虫」のス・テ・キな青春が続いています。


夢いらんかね。金城町は“音楽動夢(ドーム)”
 〜1968〜1995季節(とき)を越え夢が輝く「100回ステージ」
  「夢のステージ」が結んだもの〜

 夢の音村建設活動には、28年間に及び着実に積み重ねられている若者たちの音楽活動が基盤となっています。1968年、「歌声のあふれる町づくりにふれあいのコンサートを贈り続ける」をキャッチフレーズに、日頃生の芸術や音楽文化にふれる機会の少ないこの町にも音楽の灯りをともしていこうと、アマチュア音楽グループ「サウンドファイブ」による音楽活動がスタートしました。
 グループの名前が語るように、28年前に5人でスタートした活動も長い活動の歴史の中で多くの支援の若者たちをスタッフとして迎え、今や40人を越える若い大集団を形成して幅広い文化活動を継続しており、町の音楽文化・舞台文化向上の推進役としての役割を担ってきました。
 自ら開いた手づくりコンサートは延べ100回を越えて数え、町の隅々にまで音楽の灯を贈り続けて広く町民に親しまれるところです。1980年からは“本物”の舞台を地域の皆さんとともに楽しみたいとの願いから「小さな町のデッカイコンサート」と題してプロモート活動にも力を入れ、会の若いパワーと地域の支援ネットワークが組み合ってボニージャックス・坂田明・マリーン・岡林信康・森田公一などプロアーティストを迎え夢のステージを実現させてきました。
 迎えたアーティストは夢の音村“名誉村民”として正式認定し(現在13人)ふるさと特産品の宅配、夢の音村イベントヘの招待・メッセージ送信、著書での活動紹介などの形で村民との交流を温めています。
 こうして「100回ステージ」「夢のステージ」ヘの取り組みは単なるステージの提供のみならず、優れた舞台文化との出会い、世代を越えた地域の支援ネットワークの構築をはじめ、コンサートなど一つ一つのイベントを成功させてきた自信と感動を共有した仲間づくり、“若い地方の力”の盛り上げに結ばれてきました。


夢いらんかね。ふれあい交差する出夢出夢虫の里
「夢の音村」を建設(おこ)す若者たち
 〜手づくりで活動拠点施設整備、感動の「共有」による心おこし・ヤル気おこし・歩みおこし〜

♪こちらふるさと若い夢 音に聞いたら「応答願う」♪
 1985年、何やら耳慣れない歌声のこだまするムラが金城町に姿を現しました。“地図には載っていない村”『夢の音村』の誕生です。
 1968年から続けられている音楽グループ「サウンドファイブ」とその支援スタッフによる数々のコンサートと若者らしい発想で、田舎を逆手にとった一つ一つのビックイベントの成功による感動の共有は、若者たちの夢をさらに大きく膨らませ、ついに自らの心おこし・ヤル気おこし・歩みおこしによる独立村建設を『宣言』。
 地図には載っていない村『夢の音(ね)村』建設活動への自力の新しい一歩を踏み出しました。
 『夢の音(ね)村』は、“好きな音楽活動の拠点。そして本音(ホンネ)で夢を語り合うムラ”として命名。サウンドファイブは支援スタッフとともに新たに「サウンドファイブ夢の音会」として組織を改称。夢の音村初代村長(34歳)も誕生させ、金城の町に2人目の首長の“出現”は内外にも大きな話題を集めました。
 夢の音会では早速夢の音村建設構想を策定。事業の着手とともに若者たちのそれぞれの出番を生かした活躍が始まりました。1985年1月、夢の音村の中心施設であり、グループの活動拠点ともなる夢の音村1号館(音楽ホール・ミーティングルーム60平方メートル)が完成。延べ32日間、133人の若者を動員して昼夜の作業による自力の“城”を築き上げました。この建設には大工、電気工、重機オペレーターなど多業種の職にある若者たちの一人ひとりの出番とその情熱が注がれ、女性会員たちも毎夜の炊き出しで支援しました。
 続いて2号館(作業棟)、キャンプ場(60人収容)、3号館(ログハウス)、進入路造成など次々と施設を備えて開村。(用地は会員の一人が提供)。
 オープンしたこれらの施設は、会員交流の場である以外にも、保育園や小学校の遠足コースや野外活動に、また、子ども会、ガールスカウト活動に、地域住民の憩いの場として広く町民に開放し活用が図られています。
 若者定住が叫ばれる今日、その要件として考えられるいくつかの点の中でも働き場の確保、交通環境など生活環境の整備とともに若者たちの声として多いのが「気軽に集まれる場所、活動拠点の確保」「既存施設の充実」「余暇時間を生かせる施設整備」などを望む意見が聞かれます。
 若者たちの団体活動にとって『場』の確保・活用は大切な要素の一つですが、「たまり場」「活動拠点」の確保・活用に自ら活路を開いた先進事例として、数ある町の施設の中でも一段と揮いて映る夢の音村施設です。
 こうした建設活動にも何一つ気負いは感じられません。「理屈なんてない。この活動が好きだからみんなで汗を流しただけ」「自分たち自身で汗水流して建てた活動拠点。ある程度みんな同じ気持ちで行動を起こしているから気軽。ここを拠点とした活動を通して知り合った仲間も多いし、活動に連帯感や多くの思い出もできたことが財産」。「若者の団体活動にはいつも新しい取り組みを起こしていけるような“たまり場”が必要。そこで新しい出会いや発見などからお互いが見え、みんなで一緒に“光ってくる”道場。また、新しいエネルギーを生み出していく場でもあると思う」。「自由気ままに話し合えるし、他人の干渉もないからネ」。語り合う若者たちの声が弾むように、夢の音村建設済動を通して得る数々の出会いや体験は、今まで気付かなかった自分を見つけ出す“自分との出会い”が一番の魅力でもあるようです。
 若者たちによる夢の音村建設活動には、資材提供、建設機械の賃与、技術指導など町民から贈られた支援や共感の声も大きな励みとなっています。


夢いらんかね。夢追いかけて追い抜いて金城のマチの「プロ」になる
 〜より高い文化を育む企画・演出集団を目指して〜

 サウンドファイブ夢の音会が追いかけている夢の一つに、より専門的な技術・知識を身につけた町の演出集団へと組織の成長を図っていきたいと願っています。
 長い年月にわたる音楽活動で培われたスタッフの音響・照明分野における技術力は、機材整備を含めかなり高水準にあると思われ、今日まで町内外で取り組まれるイベントや町の行事、地域行事などの技術スタッフとして機材協力とあわせその役割を担ってきました。
 さらに一層専門的な技術の研修・修得に実践を重ねて新たな機材整備、充実を図りながらより優れた文化事業の導入・推進と町の将来構想にそって取り組みの進められている各種プロジェクト事業、年間行事、イベントなどの専門スタッフとしてその役割を果たしうる集団育成を目指すとともに、地域の小さな催しやお祭りなども含めその支援スタッフとして企画のグレードアップに寄与していきたいと考えています。


夢いらんかね。ボクらの夢がまた一つ形になった
 〜森田公一さんが“公民館長”になってくれた「訳」。「森の公民館」整備に結ばれたもの〜

 音楽という絆で結ばれながらも自分たちの大きな夢を見つけていく、それが夢の音村建設の第一歩でしたが、夢の音会の活動拠点ともいえる夢の音村1号館をはじめ、若者たち自身の手づくりによるムラの施設整備は年々その形を整え充実した施設へと発展を続けるうち、ついに「村」までつくってしまった若者たち。
 この活動は、1993年林野庁「緑交流空間整備事業」(全国で7力所 5ヵ年 事業費1億2千万円 事業主体・金城町)に結ばれ、若者たちが手づくりで作り上げてきた夢の音村施設を中心とした森林エリアに、交流研修センター・バンガロー・野外ステージ・イベント広場などの各種施設整備が決定しました。夢の音村建設へと若者たちがともに流してきた汗が、国の補助事業導人へと結ばれた地道な活動成果でもあります。
 この決定を機に、完成後これら施設は幅広く世代を越えた交流のできる場に……との願いを込めて、夢の音村のこれら施設の総称を「グリーンスポット森の公民館」と命名。公民館長には森の公民館『森』と『公』にちなんで「青春時代」のヒット曲で知られる作曲家の森田公一さんを東京の事務所に訪ねて直訴。快く館長就任を引き受けていただくこととなりました。今後、森田館長には夢の音村が行う代表的な事業に参加をいただきながら、出夢出夢虫たちや一般町民との交流を続けていくことになりました。
 国の事業導人により一層充実が図られていく夢の音村・森の公民館は、集い、学び、結ぶという公民館的要素に遊び心もある運営をしていきたいと、若者たちのこの事業に対する関心と期待は大きく、事業の進捗状況に熱い視線が注がれています。
 夢の音村と近接する町の観光資源には魅力的な観光スポットも多く、完成後の「森の公民館」施設はこれら周辺の既存施設との連携により積極的な利用者の誘致を図り、利用者の要望に応えるべくさまざまな活動の展開が期待されるところです。
 特に“学(学ぶ)・遊(遊ぶ)・休(憩い)・体(体験)・観(観る)・眠(泊)・食(食べる)”の分野で「森の公民館」的機能を有する森林交流プレイメニューの研究・開発を進め、夢の音村の抱える措導者・有資格者の人材活用と会のネットワークを生かして個性的なイベント企画、交流事業の展開を目指しています。


夢いらんかね。遊び心が光る“夢の音村流”信報発信
 〜響け若造のメッセージ、発想豊かに「資源活用型」イベントの一例〜

 「金城のマチにもドームがあったンダ……」。1993年、県下及び全国的にも注目を集めたユニークなイベントが夢の音会の発案で誕生しました。
 全国初のビニールハウスイベント、題して『夢いらんかね。柏村武昭・森田公一のふれあいトーナメントinドーム』。
 夢の音村に隣接してそびえるJA金城町の育苗(水稲)施設・ビニールハウスは、間口6メートルの長さ100メートルが8棟、この8棟のハウスは一つ屋根で結ばれ、中の広さは約5、000平方メートル、畳3、000枚に相当する広大な広さはまさに圧巻。
 初めて中に入ってハウスを見上げた出夢出夢虫たちにひらめきが生まれました。金城の町にも、束京や福岡ドーム、そして出雲の木造ドームにも劣らない“ビニールドーム”があったンダ……。
 ここから若者たちの輝きがサエを増します。「ここを講演とコンサート会場にしよう」。講演講師にはサウンドファイブがラジオ番組でジョイントした夢の音村名誉村民・柏村武昭氏に依頼。柏村さんは「全国各地で講演会に呼ばれるけれどもビニールハウスでやれと言われたのは初めて、オモシロイ、やりましょう」と。「森の公民館」館長・森田公一さんの来演も決まりました。
 全国初のビニールハウスイベントに若者の出演もほしい……もう一歩頭をひねってまたまた若者たちが考えました。ビニールハウスは『芽』を出す施設。国の事業導人も決定し、夢の音村の機能充実が図られる一方、その期待に応える青年活動の発展を期して若者たちが胸に秘めたる夢や持ち前の「いい芽」をもっと出そう・伸ばそうとの願いも込めて若者たち自身の共演も決定。
 当日は、若者たちの遊び心が生んだ“怪イベント”に、半信半疑ハウス会場に足を運んだ観客800人。柏村武昭の元気でるゾ講座、森田公一ふれあいコンサート、そして、太鼓に舞踊、ミニコンサートにと若者たちのオンステージ。3時間に及びドームイベントはくりひろげられました。あいにくの雨模様も関係なくそこはビニールドーム。入場者も、JA全城町の職員もあらためて金城のマチにもドームがあったンダ……。
 この企画は、島根県「エキサイティングしまね推進事業」助成事業にも選ばれ支援をいただきました。会場セッティングや企画のユニーク性、出夢出夢虫たちの手づくりでパワフルな行動力等は広くマスコミの目にも止まり、テレビ番組の製作をはじめ全国に向けて様々な形で情報発信の機会ともなりました。この他にも、夢の音村を会場としてくりひろげられる男女出会いの交流会など恒例のイベントも毎年多彩なゲストを迎えてにぎやかに開惟されています。


夢いらんかね・仲間を結んで夢中になりたい「夢の音村」
 〜金城の町が好き。ボクらの出番がありますふるさとづくり〜

 サウンドファイブ夢の音会は、町づくりや活性化を唱え先端を行く組織でもありません。会則で縛らず活動の魅力と人脈で多くの若者たちの心をひきつけ、様々な出会いや実践活動を重ねながらともに汗を流し、感動は共有しあって夢中でス・テ・キに生きていたい。
 夢の音村には、多くの出夢出夢虫たちの夢中で生きた「証」が蓄積されています。今日まで、28年間継続してきた活動が行動が、これからも結果的に町や地域づくりの活力になることを願うものです。
 夢の音村でス・テ・キに生きること〜愛するふるさと金城で力強くス・テ・キに生きる証でもあります。
 「夢いらんかね」。ふれあい交差する出夢出夢虫の里『夢の音村』を建設(おこ)す若者たち。このマチに私たちの今(青春)があります。