「ふるさとづくり'99」掲載
<集団の部>ふるさとづくり賞 内閣官房長官賞

水を生かした街づくり活動
徳島県徳島市 新町川を守る会
はじめに

 徳島市内には、四国三郎の愛称で知られる吉野川をはじめ現在大小138の河川が流れ、橋梁の数は1654本と、さながら水壕都市の様相を呈しています。また、徳島市周辺地域が藍の原産地であったことから、かつてはその移送手段に河川が利用され、とりわけ徳島市の中心部を流れる新町川は長い長い期間にわたって人びとの営みを支えてきた町の仲間でした。
 その後、藍産業が衰退し、新町川は人びとの意識から遠ざかり、昭和40年前後まで流域の工場・家庭から出される排水で魚が住めないほど汚れたどぶ川と化し、当時、写生に訪れた小学生の画用紙には、黒い水の流れだけが描かれていたほどで、おまけに中心部を東西に分断するこの川は市民にとって迷惑な存在として疎んじられていました。
 昭和40年代中頃からは、各種の公害規制により少しずつ元の姿を回復してくるようになってきましたが、依然として沢山のゴミは浮遊したまま放置されていました。


みんなの協力は地道な活動によって得られる

 この新町川界隈で靴店を経営する私は、阿波おどりのイベントとして新町川イカダレースを催したことがあり、人が去った後の惨状に見兼ねて川の掃除を始めたことがきっかけとなり、平成2年3月に「市民の汚した川は市民の手できれいに再生しよう」と、川を愛する有志10人で「新町川を守る会」というボランティアグループを結成し、毎月2回ボート4隻に分乗して網を手に川の清掃を始めるここになりました。
 掃除は都心を流れる新町川と助任川によって、ちょうど植物のひょうたんの形に結ばれた通称ひょうたん島と言われる円周6キロメートルの河川と、吉野川にいたるまでの範囲であります。
 活動当初はベッドやバイク、冷蔵庫、扇風機など、驚くような物が川に捨てられており、清掃船はすぐに満杯になりました。
 開始から2年程が経過し、われわれの清掃活動が軌道に乗り始めると、マスコミ等でその活動が紹介されるようになり、それまで奇異な活動、何か特殊な団体として捉えられていたものが、多くの市民から理解を得られるようになりました。


市民の喜びがボランティアの活力源となる

 平成4年に徳島市で策定した「ひょうたん島 水と緑のネットワーク構想」にもとづき購入された9人乗りの電動遊覧ボートによって、「ひょうたん島遊覧船試乗会」が開始されました。当初、隔週毎(1日4回の運航)を市が行っていましたが、隔週開催であることから試乗希望者の伸びに限界が見え始めていました。しかし、今後この事業が川を生かした街づくりに大変重要なものであることから、どうせ週末は水際公園付近で何らかの活動をしている自分たちであれば、もう少し運行回数を増やせるのではないかと考え、早速、市に「無償でいいから新町川を守る会で取り組ませてくれませんか」と申し込んだのであります。その結果、市からの委託事業として依頼されることとなりました。
 この事業が、毎週の開催となり、回を重ねる毎に利用者も増え、リピートして来られる方々とも顔なじみになりました。こちらとしても試乗者との交流が楽しみとなり、試乗を終えて満足して喜んでいただく皆さんの顔が増えて来るにしたがって、この事業に確かな手応えを感じるようになりました。
 しかしながら、試乗会の評判がだんだんと高まるにつれて、バッテリー船ひょうたん号だけでは多数の乗船希望者へ対応出来なくなってきました。そこで、会で一念発起し、新たに14人乗りの中型艇を独自で購入することとなり、事業名も「ひょうたん島周遊船事業」と変更して、本格的に事業を拡大していくこととなりました。
 一方では、この定期運航には、燃料費として1回約2万円の経費が必要であり、そのうえ新たに操縦者と、ガイド役2人を常時確保したうえでローテーションさせていかなければなりません。しかもボランティア活動といえども始めた限りはこちらの都合だけで休止することもできず、事業拡大については不安いっぱいのスタートでした。
 幸い、運転業務を受け持つための船舶免許取得には、県の職員でもある会員が名乗り出てくれました。ガイド役についても、当分の間68歳のプロカメラマンと高校生の会員が従事してくれることとなりました。
 現在、この周遊船事業は毎年3月から11月までの期間、週末の土曜日と日曜日に1日4回の定期運航と、毎年お盆に開催される阿波踊り期間中や、本会で育成・管理する川沿いの花壇(約250m)に花咲く頃の特別運航の実施は、プライベートな時間を犠牲にして従事するボランティア活動としては確かに厳しいものがあります。寒い日、暑い日の苦労や、活動費の工面などは、川を生かした街づくりに対する市民の喜びと期待の高まりなどが引き替えでなければ到底継続できないものです。
 幸い、この周遊船事業も開始から5年が経過し、今では年間約2万人の方々に川から街の風景を楽しんでもらえるようになりました。
 また、平成9年からは、毎月1回津田漁港で開催される魚介類の即売会「とれとれ市」に、市内に宿泊されている観光客等を早朝6時から水上送迎しております。毎回予約でいっぱいの状態となり、これら一連の事業に対する反響の大きさから、平成10年にはさらに新艇を購入し、今では3艇による運航体制となりました。また、阿波踊りの練習風景を観光化していこうとの目的から、川沿いの公園に約100個の提灯を点灯させ、練習風景を周遊船から観て楽しんでいただくため新事業を開始しています。


市民参加により、1人の100歩より100人の1歩を誘導する

 ボランティア活動は地道な活動の連続であり、徐々にではありますが、その活動の輸を広げていくことが必要です。しかしながら、なんら社会的な保証のない立場や、資金面、情報発信力などに弱点があり、それらに伴う苦労の連続ではあります。しかし、最後は人と人とが、心と心で結びつくボランティア活動の心地よさを参加者全員が共有できるということはお金には代え難い魅力があるといえるでしよう。
 そのため本会では、会員による日常の活動と共に、平成8年から広く一般市民や、他の活動団体との連帯を目的にした取り組みを行っています。
 事業内容は、毎年夏に本会が中心的に運営する吉野川フェスティバルの柱事業の一つとして、吉野川沿岸の市民5万人による河川一斉清掃の実施があります。河川の大規模清掃による実効面とともに、参加者にとっては1年に1回のボランティア活動であっても、活動後の爽やかな達成感により彼らとの緩やかな連帯感が醸成していけるものと考えています。
 また、川を生かした徳島の街づくり情報を中心にしたタウン情報誌「ひょうたん島(A4版24頁・1万部発行・無料)」を年4回発行しており、この取材・編集作業にも沢山の仲間の参加とともに、過去に雑誌編集等の経験を持つ市民の参加や、印刷会社など各方面から支援を受けて行っています。
 そのほか、平成4年から毎年クリスマス期間中の3日間は「サンタが川からやって来る」と題して、会員がサンタクロースの衣装を身にまとい、地域の子どもたちに200人分のケーキをプレゼントしたり、いろいろなプレゼント約2万個を袋に詰め込んで、ひょうたん島を周遊しております。今では、各所の川縁に大勢の人だかりが出来るようになり、用意したプレゼントは瞬く間に底をつく有様です。また、それと同時に、平成9年には川沿いの家々に電飾をお願いして、クリスマス・デコレーションコンテストを実施し話題を呼びました。
 平成元年からは、行政の依頼を受けて、毎年4回さまざまな環境啓発イベント「ラブリバーフェスティバル」を行っており、年始の恒例行事となっている寒中水泳を始め、魚釣り大会、時には橋の上の結婚式を開催するなど、話題性の高い事業を展開しています。また、平成8年から水際のミニFM放送局を開設して、毎週土曜日と日曜日には若い会員スタッフと高校生ボランティアの参加によるユ二ークな番組を発信しており、このように活動の輸は市民を巻き込んで、しだいしだいに大きな広がりを見せております。


おわりに

 これらの川と水を生かして、都市環境の向上にかかわった事業を開始して8年余り「できる人が、できる時に、できる事を」と、お互いに活動を強制しないことを本会の運営方針に、会員全員で「水がきれいになれば、人も街も川を向いてくれるし、水辺に人が集まり憩いの時間を過こせば、水も水辺ももっときれいにしようと思うはず」を信じてさまざまな活動を展開しております。行政とのパートナー関係も良好に作用し、今では市民、マスコミ、企業などからも、新町川を守る会がやるならということで、われわれのまちづくり活動に対する理解と協力をいただけるようになり、会員数も現在220人を数え、今後ますます徳島の特長である水を生かした街づくりを推進していきたいと考えています。