「ふるさとづくり'99」掲載 |
<集団の部>ふるさとづくり奨励賞 主催者賞 |
人にやさしい安心できる街づくり |
秋田県秋田市 秋田中央生活学校 |
県中央部に位置する秋田市は、東に太平洋を擁する出羽丘陵、西に日本海が広がる緑豊かな公園都市です。人口は31万人を越え、東北の県庁所在都市では仙台市に次ぎ2番目です。慶長7年(1602)に常陸太田の城主佐竹義宣が、関ケ原の戦いののち秋田に国替となり、現在の千秋公園の地に城を築き、周辺を城下町として整備しました。市制施行は明治22年4月1日。平成元年には市制施行100周年を迎えました。「きらめく北の人間都市あきた」をキャッチフレーズに、人にやさしいまちづくりを進めています。 このような中よりよい暮らしをめざし、住みよい秋田市をつくるために地域から集まったメンバーにより、昭和59年に開設された秋田中央生活学校も14年目を迎えました。開設当時、テーマについて何度も話し合いを持ち、協議を重ね、その時代に即応したテーマを取りあげ活動してきました。 歩道橋の撤去運動の継続 秋田市はあまりにも歩道橋が多く、街の雰囲気を何か暗いものにしていることに気がつきました。また、歩道橋の階段は高齢者や身体障害者、自分たち女性にとってもなかなか大変です。さらに冬期間は階段が滑りやすく、大変危険な状態です。60年度から生活学校では市内の商店街や住宅地にある歩道橋11か所について事前学習し、現地調査や利用の実態調査、アンケート調査などを行い、問題点を整理しました。 そして、対話集会を行うとともに県知事さんや、市長さんに陳情書を提出するなど、ねばり強く交渉をしてまいりました。その結果、撤去運動を63年5月から始めて2年目で第1号の秋田駅前にあります「久保田歩道橋」が撤去されました。 その後、平成8年に秋田県では横断歩道橋の存続、廃止に関する検討委員会が開かれ、平成10年3月に開催された第3回委員会において、「秋田市内の歩道橋を基本的には全部廃止する。但し、個別の歩道橋については設置当初の目的が継続しているかどうかを評価して、地域住民との対話を通して対処していく」ことに決定されました。これは、私たちの運動の成果と考え、会員一同喜んでおります。 地下道についても調査を進めており、アンケート調査では、女性の場合は怖いので防犯ベルが欲しい、階段の幅が広く歩きづらい、暗い、雨水がたまる、汚い等の意見があり、改善について関係機関と協議を進めています。 河川環境を整え地域のまちづくり (1)私たちの地域には猿田川が流れ、その近くにお茶屋橋があります。現在はきれいな、いきいきした川に生まれかわり魚も住んでいます。 その当時、猿田川に地域の住民たちが『ごみ』を捨てていました。また、お茶屋橋のたもとに夕方になると、屋台を引いて来て『やきとり』を商売するおじさんがいました。店が終わるとのこりものを捨てたり、汚水を流すため、長い月日になると、ごみが河川側に留まり悪臭が漂い、昔この川で釣を楽しんだのにあまりにも汚れがひどくなりました。早速、メンバーと話し合い、地域の皆さんにゴミを猿田川に捨ていないよう声かけ運動をしたり、屋台(焼き鳥)を立ち退させるため、県の河川課へお願いしましたが、中々腰があがりませんでした。 そこで昭和61年に直接私たちだけで話し合いをしました。「生活がかかっている」「個人にいわれる問題ではない」など、いろいろ言われました。地域の環境問題や地域に住んでいる人たちが、安心して暮らせる住み良い地域づくりに協力してもらえるよう、再度話し合いをしたところ解ってくださいました。その跡地には、県の許可をいただき生活学校で花壇をつくりました。道行く人たちを楽しませております。 (2)昭和63年、牛島小学校の1年生が、自転車もろとも猿田川に転落。その遺体は、お茶屋橋から30メートル下流で発見されました。 二度とこのような事故が起こらないように、猿田川の土手に『サク』を設置する運動を行い、400メートルのサクが設置されました。しかし、10年もの歳月が過ぎると、サクも所々腐り危険な状況になってきました。そこで、県の河川課の方へ何度となく足を運び話をしました。予算的な問題もあり、年ごとに腐った『サク』から取り替えることを約束してくれました。9年度は40メートルが取り替えられ、二度と事故のない地域づくりを目指しています。 (3)平成4年、県の方でお茶屋橋を新しく建設してくださいました。男性にも呼びかけ毎年クリーンアップ作戦を展開し、終了後、猿田川に魚を放流しております。時々釣りをしている人も見かけます。老いも、若きも誰でも安心して暮らせる地域づくりに頑張っています。過去を追憶し、長い歳月でした。 医療とリハビリテーションが一貫してできる体制づくり 県交通救急災害センターと赤十字病院を結ぶ婦人会館跡地に、専門的『リハビリテーション』の設置運動を平成2年から取り組み、活動を実践してきました。 平成元年9月5日、山形県天童市で生活学校東北・北海道ブロック研究集会が開催されたときに、主人が倒れたとの連絡があり、交通救急災害センターに入院。いろいろな体験の中から疑問を持ちました。医学が進歩しても治療した後どうするか。リハビリが必要なのに施設の完備もない、夜は冬でも暖房を消し病人には第一第二の災害が振りかかる。早速例会を開きメンバーたちと話をしました。事前調査から始めることで役割分担を決め、聞き取り調査を市内300人にしたところ、大変良いことだということで、アンケート調査用紙を1000部作成、市内全域に配布、回収数は988人でした。また長野県鹿教湯病院・リハビリテーションセンターヘメンバーと視察に行きました。大変参考になりました。県知事や市長宛に要望書を提出し、対話集会も平成3年7月29日に開催しました。その後、平成9年4月に秋田県協和町に「県立リハビリテーション精神医療センター」が完成し、私たちの実践活動が実を結んだことを大変喜んでおります。 安心して暮らせる社会・優しいまちづくり 平成元年より、私たちで出来ることがあるかどうかいろいろ考え、浮かんだのは、福祉社会に対応して福祉の学習をしなければということでした。そこで老人の病床をお見舞いしながら、秋田中央生活学校と町内連合婦人部と合同で福祉社会の勉強をしております。 以前は、市の福祉課の方へ病床にある老人あてのお見舞い品を届けていましたが、感謝状を頂くだけで、何の学習も出来ないことに気がつきました。平成元年から秋田市内にある社会福祉特別養護老人ホームを年に一度、お見舞い品を持参しながら訪問し、施設長からお話を聞いて学習することを決めました。持参するお見舞い品は、学校のメンバーと連合婦人部その他の町内から協力して頂き、740点〜800点近いお見舞い品を持参、施設を回りながら福祉のあり方・福祉施設のあり方などのお話を聞き、平成9年度は介護保険について学習しました。 アトリオン(県立総合生活文化会館)南玄関前手すり設置運動 アトリオンで生活学校の会議があり、その中で秋田県は21世紀になると全国一の高齢者県になることが、頭の隅からはなれませんでした。これからは、高齢者や身障者・視覚障害者たちが街を歩行するにも不便を感じないような、道路や公共施設の建設が必要であると考えました。会議が終わって、アトリオン南玄関前に立っていると、足の障害を少々もっている中年の男性からお話しがあり、「つかまるところをつけてもらう」運動が出来ないものかと、問われました。平成6年、生活学校のメンバーと相談したところ、階段の横の壁に手すりを設置したらどうか、7段のある階段に1段1段のくぎりに色タイルをしたら良いのではないかなど、現場を見ながら話し合いをしました。 また役員会を開き、実践活動のための事前調査やアトリオン前、大型店前で約300人の方々から聞き取り調査を行いました。99%が手すりの設置を希望されましたし、その他にメンバーの住んでいる町内等の聞き取り調査では、約500人を対象に調査したところ100%がテスリの設置の必要性を認めました。その後、この調査を基に県知事、秋田市長宛に要望書を提出しました。「来年度設置の方向で検討してまいります」と秋田市長から回答をいただきました。早速、市公園緑地課から、「アトリオン南向きの階段の手すり設置場所を確認したいので、立ち会っていただきたい」旨の連絡をいただき、現場で課長他2名の公園緑地課員と話し合い、広い階段の横の壁に設置していただくことにしました。 そして8年8月2日に設置の運びとなりました。障害者・高齢者も安心してアトリオンに足を運ぶことができ、生活学校の仲間も大変喜んでいます。 婦人用トイレのハンドバック掛けと荷物の置き台設置について 昭和63年、婦人用トイレに、ハンドバック掛けと荷物の置き台設置についての実践活動実施、大型店・百貨店をメンバーと調査にまわってミニ対話をしながら、婦人用トイレのハンドバック掛けと荷物の置き台を設置してくれるよう、お願いと話し合いをしました。早速取り付けますと話してくださいましたのは、あるホテルの店長さんでした。そのようにして秋田市全体の大型店・百貨店・ホテル・行政・駅等を回り、お願いしました。2年後、事後処理として再確認に回りましたら、行政以外はきちんと設置されていました。現在は行政の関係機関でも設置しています。 公立保育所・民間保育所・私立保育園・時間の延長に取り組む 働くお母さんたちのために役立つことが出来たらと思い、秋田市内の公立保育所・民間保育所・私立保育園の時間の延長の運動実施。行政に働きかけ何度か話し合いを持ちました。実践活動が認められ、平成8年度から午前7時〜午後7時になりました。私立保育園は、時間は決まっても午後の時間は働いているお母さんに合わせて、さらに時間を延長しています。この運動も長い歳月でありましたが、大変良かったと思っております。 |